「沖縄戦の絵」展が2015年6月20日、恩納村の沖縄研修道場で開幕した。沖縄戦終結70年の意義をとどめるもので、沖縄創価学会青年部が主催した。
午後2時からの開幕式には、沖縄アメリカ協会の比嘉幹郎会長をはじめ、多数の来賓が出席した。
沖縄は70年前、戦争という極限状態で、何を感じたのか。「沖縄戦の絵」を見ると、そのことがよく分かる。
「学校で戦争の話は聞いたことがあったけど、全然違いました。友達に戦争って怖いと伝えたい」(小学5年の大城佳美さん)
沖縄戦は第2次世界大戦末期、日本で行われた〝唯一の地上戦〟だった。当時の住民の4人に1人が犠牲となった。体験者が「地上で一番怖いのは人間」とまで語り、米国の従軍記者が「この世の地獄を全て集めた」と形容するほどの〝恐るべき実態〟だった。
沖縄戦終結から70年を迎える。沖縄の地元紙などが同月、実施した県民意識調査では、7割近くが沖縄戦の記憶が「風化している」と答え、「引き継がれている」と答えた人の2割を大きく上回る。
「だからこそ戦争の真実の姿を伝えたい。戦争体験の継承こそ平和をつくる根本の力です」と中村沖縄総県青年部長は力を込める。
展示会の会場は、かつて米軍ミサイル基地だった沖縄研修道場。基地を解体することを聞いた池田大作名誉会長が「永遠に残そう」と提案し、生まれ変わった平和のとりでである。
創価学会は平和運動の一環として、全国で戦争体験を記録し、伝えてきた。反戦出版とともに沖縄青年部が推進したのが「沖縄戦の絵」。現在、約700枚を保存している。
沖縄戦を伝える写真は、全て米国人によるもので、沖縄側からの〝写真〟はなかった。
「戦争体験者に描いてもらって残すしかない」。青年たちは行動を開始する。1981年11月のことである。「沖縄戦の絵」は単なる〝絵〟ではない。それは、一人一人が胸に刻みつけた戦争の残酷さであり、「命どぅ宝」(命こそ宝)との魂の叫びである。それは、戦争で命を絶たれた人々の〝声なき声〟にほかならない。
開幕式で、沖縄アメリカ協会の比嘉会長は、体験の風化が懸念される中での時宜を得た展示と力説した。
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