2012年の環境提言

「グリーン経済」の確立へ国際協力を 人道的競争で文明の基軸を転換

第3段
「グリーン経済」の確立へ国際協力を 人道的競争で文明の基軸を転換

ペッチェイ博士が鳴らしていた警鐘

そこで思い起こすのが、ローマクラブの創設を通じて、リオ+20の淵源である国連人間環境会議にも影響を与えたアウレリオ・ペッチェイ博士が、私との対談集で述べていた言葉です。

「われわれは自らの力に魅惑され、〝なすべきこと〟ではなく〝できること〟をやっており、実際に〝なすべきこと〟や〝なすべきでないこと〟に対しても、あるいは人類の新しい状況に潜んでいると考えなければならない道徳的・倫理的規制に対してすらも、なんら配慮することなく、どんどん前進しています」(『二十一世紀への警鐘』、『池田大作全集第4巻』所収)

このペッチェイ博士の警鐘は、私ども創価学会の牧口常三郎初代会長が『人生地理学』で提起していた問題意識とも通底したものだっただけに、深く共感したことを覚えています。

牧口初代会長は、弱肉強食の論理のままに他の犠牲を顧みず、〝できること〟の追求が強行されていた20世紀初頭の世界の姿を、こう描写していました。

「各々いやしくも利益のある所、すなわち経済的侵略の余地ある所、政治的権力の乗ずべき罅隙(=すきま)ある所に向かって虎視眈々たり。さればあたかも気界における現象の低気圧の部分に向かって高気圧部より、空気の流動するが如き現象を国際勢力の上に生ぜり」(以下、『牧口常三郎全集第2巻』第三文明社、現代表記に改めた)

それから110年近くの歳月を経た現在、どれだけ状況は変わったのか――。

他国に脅威を与えることで威信を誇示し合う軍拡競争や、貧困や格差の拡大に目を背けた形でのグローバルな経済競争はやむことなく、現代文明の軸足は今なお、倫理的なブレーキが十分に働かないまま、〝できること〟をどこまでも追い求める思考の磁場から、容易に抜け出せない状態にあるといえましょう。

最初は十分コントロールできると思い込んでいた欲望が、次々と現実となる中で肥大化し、気がついたら手に負えない状態に陥ってしまう――そんな欲望のスパイラル(連鎖)がもたらしたものこそ、非人道的兵器の最たる存在である核兵器であり、経済成長を最優先させるあまりに各地で急速に広がった環境破壊であり、投機の過熱によるマネーゲームが引き起こした昨今の経済金融危機ではなかったでしょうか。

昨年3月の福島での原発事故も、災害が引き金になったものとはいえ、核分裂反応の制御による発電にエネルギーの一部を依存することが抱える重大な危険性が、安全神話が叫ばれる中で半ば見過ごされてきたことに問題があったのではないかと思われます。

自他共の幸福を目指すビジョン

もちろんその一方で、〝できること〟の追求が、人々の健康と福祉面における向上や、衣食住に関する状況の改善をもたらしたり、交通・通信技術の発達によって人やモノの交流が飛躍的な広がりをみせるなど、さまざまな恵みを社会にもたらし、発展の大きな原動力になってきたことも事実です。

牧口初代会長も、そうした追求自体を否定してはおらず、むしろ競争を通じて人々が切磋琢磨し、活力を引き出し合う点に着目し、「競争の強大なる所これ進歩発達のある所、いやしくも天然、人為の事情によりて自由競争の阻礙せらるる所。これ沈滞、不動、退化の生ずる所なる」との認識を示していました。

ただしその主眼は、利己主義に基づいて他の犠牲を顧みない軍事的、政治的、経済的競争から脱却し、「自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめん」と願い、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」人道的競争へのシフトを促す点にありました。

これは、欲望の源にある〝自分の置かれた状況を何とかしたい〟という思いが持つエネルギーを生かしつつ、それをより価値的な目的へと向け直すことで「自他共の幸福」につなげようとするビジョンであり、競争の質的転換を志向したものに他なりません。

仏法では、その人間精神の内なる変革のダイナミズムについて、「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(御書710ページ)と説いています。いわば、自分を取り巻く状況に対する怒りや悲しみを、他者を傷つけ、貶めるような破壊的な行動に向けるのではなく、自分を含めて多くの人々を苦しめている社会の悪弊や脅威に立ち向かう建設的な行動へと昇華させる中で、社会を「希望」と「勇気」の光明で照らしていく生き方を促しているのです。

仏法の思想とも響き合う牧口初代会長のビジョンを現代に当てはめてみると、軍事的競争の転換については、「国家の安全保障」だけではなく「人間の安全保障」の理念に基づいて、防災や感染症対策のような分野でどう貢献していくか、切磋琢磨することが一つの例に挙げられましょう。

〝共通の脅威〟の克服のために努力し合うことが、どの国にとっても望ましい〝共通の利益〟となっていくからです。

政治的競争についても、これを「ハードパワーによる覇権争い」ではなく、いかに創造的な政策を打ち出し、どれだけ共感を広げるかを競っていく「ソフトパワーの発揮競争」という次元に置き換えていけば、同じような構図が浮かび上がってきます。

有志国とNGO(非政府組織)が触発し合い、力強い連帯を形づくる中で成立した「対人地雷禁止条約」や「クラスター爆弾禁止条約」などは、その象徴的な例といえましょう。

これは、軍事目的を理由にした〝できること〟の追求よりも、人道的に〝なすべきこと〟を優先させるよう、各国に迫った運動に他ならず、その共感が国際社会に広がったからこそ実現をみたものなのです。

では、経済的競争において、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」方式へと踏み出す契機となる挑戦は一体何か――。

私は、リオ+20の主要議題となっている「持続可能な開発及び貧困根絶の文脈におけるグリーン経済」の確立が、まさにその鍵を握っていると訴えたい。

温室効果ガスの発生を抑える低炭素で資源効率の高い「グリーン経済」への移行を、地球的規模で進めるための方法として、各国の成功体験や技術を蓄積し、他の国々がそれを応用するための支援を行う国際的な制度づくりを求める声が高まっています。

私は、この制度を会議での合意を経て成立に導き、先駆的な実績を重ねてきた国々が「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」行動、そしてさらには、人道的競争の理念を時間軸に開いた「未来のためにし、未来を益しつつ現在も益する」行動に、意欲的に踏み出すことを切に願ってやみません。

「持続可能性」の追求というと、何かを制限されたり、抑制的な姿勢が求められるといったイメージで受け止められてしまうかもしれませんが、その段階にとどまっていては変革の波動は広がりません。

資源は有限であっても、人間の可能性は無限であり、人間が創造することのできる価値にも限りがない。その価値の発揮を良い意味で競い合い、世界へ未来へと共に還元していくダイナミックな概念として位置付けてこそ、「持続可能性」の真価は輝くのではないでしょうか。

「他の国々(人々)のために行動する中で、自国の姿(自分の人生)をより良いものに変えていく」、また、「より良い未来を目指す中で、現在の状況をさらに良いものに変えていく」――その往還作業の中で、「持続可能性」の追求は、互いの〝かけがえのない尊厳〟を大切にしながら、皆が平和で幸福に生きられる世界の構築へと着実につながっていくと、私は確信するのです。