2012年の環境提言

人間の可能性を開花させる鍵は自ら決めた「使命」を貫く中に

第5段
人間の可能性を開花させる鍵は自ら決めた「使命」を貫く中に

納得と手応えが参加の輪を広げる

マータイ博士が「一人ひとりに環境史の流れを変える力があることを証明するもの」(福岡伸一訳『モッタイナイで地球は緑になる』木楽舎)と、誇りをもって語っていたこの運動を通し、特に重要だと思われる点を三つ挙げたいと思います。

第一は、参加する人々の「納得」と「手応え」をどこまでも大切にしながら、活動の輪を着実に広げてきた点です。

博士は運動を進めるにあたって行ったセミナーで、直面している問題を皆に次々と挙げてもらい、「こういった問題の原因はどこにあると思いますか?」と聞くと、ほとんどの人が「政府の責任」と答えたといいます(以下、小池百合子訳『UNBOWED へこたれない』小学館)。

それは正しいとしても、政府だけが悪いと考えているうちは、いつまでも状況は改善しない。ゆえに博士は呼びかけました。

「これはあなたがたの土地なんですよ」

「あなたがたのものなのに、あなたがたは大事にしていません。土壌の浸食が起こるままにしていますが、あなたがたにも何かできるはずです。木を植えられるじゃないですか」

また、植樹をしていると、成長の遅さを理由に木を植えたくないと話しかけてくる人が少なからずいる。そんな時、博士は、こう諭してきたといいます。

「今あなたが切っている木は、あなた自身が植えたのではなく、先人たちが植えたものでしょう」

「だから、将来この地域に役立つように、私たちは木を植えなければならない。木の苗のように、太陽と良い土壌と豊富な雨があれば、私たちの未来の根っこは地中深くに根づき、希望の大樹は空高く伸びるでしょう」

どれだけ目的が立派であろうと、納得が伴わなければ、人は動くものではありません。疑問を丁寧に受け止めながら、その一つ一つが氷解するまで心を配り、誠実に言葉をかけ続けてこそ、納得は芽生える。

こうした粘り強い対話の末に得られた「納得」とともに、運動の成果が目に見える形ではっきりと表れ、参加した一人一人が確かな「手応え」を感じられたからこそ、多くの人々を次々と巻き込むことができたのではないでしょうか。

博士は語っています。

「植樹はシンプルで、十分実現でき、そう長くない期間内に確実な成果が得られる活動でもあります。これにより、人々の関心と貢献を維持しつづけることができるのです」

「ですから私たちは、みんなで3000万本以上の木を植えることで、燃料、食料、集会所、そして子どもの教育費や家計を補う収入を提供してきました。同時にこの活動は、雇用を生み出し、土壌と河川流域を改善してきました」(以下、前掲『ピース・ウーマン』)

私はここに、人々が無力感や悲愴感にとらわれることなく、むしろ自分の行動が現実の変革につながっている「喜び」と「誇り」をもって活動に連なることができた最大の要因があったと思えてなりません。

救われる側から救う側への転換

続く第二の点は、一人一人の「エンパワーメント」に重点を置き、内在する無限の可能性を引き出す中で、より大きな使命に目覚めて生きることを人々に促してきたことです。

グリーンベルト運動の成果は、これまで達成された植樹の本数もさることながら、本当の意義は、次の博士の言葉が物語っているように、人々のエンパワーメントにありました。

「私はいつも、自分たちの活動はただ木を植えるだけのことじゃない、と思ってきました。これは、人々が自分たちの環境や政府、生活、そして未来について責任を持つように啓蒙する活動なんです。私は自分のためだけでなく、もっと大きなもののために働いているんだとわかりました。それを知ってから、私は強くなれたのです」

つまり、運動に参加した人々、特に農村部の女性たちが、自らの手で植樹や育樹を進める中で、「環境を維持・再生させるか、それとも破壊するのか」という選択権を本当の意味で得ることができた。

その上で、運動に参加するたびに行われてきた意識啓発の機会を通じて、植樹への取り組みや、森を伐採から守るために行動することが、「『民主主義や社会的良識を尊重し、法律と人権、女性の権利を遵守する社会を作る』という、もっと大きな使命の一部だということを自覚していった」というのです。

こうして、最初は「薪と衛生的な飲み水がほしい」と博士のもとを訪れていた女性たちが経験を重ねて自信を深める中で、次々と地域のリーダーになり、苗床を管理し、雨水の貯蔵や食糧の確保といった共同体ぐるみのプロジェクトを担うまでになっていった。

彼女たちの変化にみられる「エンパワーメント」から「リーダーシップの発揮」というプロセスを見るにつけ、仏法の真髄である「法華経」で説かれた、〝救いを求める側〟から〝人々を苦しみから救うために行動する側〟への目覚めのドラマが二重写しになって浮かんできます。

苦しみを根本的に解決する力は、自分の外にあるのではない。内なる無限の可能性に目覚め、それを開花させる中で自身が変わり、周囲の人々をも「幸福」と「安心」の方向へ導いていく――その一人の偉大な蘇生のドラマの中に、自己の苦しみさえも〝社会をより良くするための糧〟にする道が開けてくると仏法では説くのです。

仏典には、そうした誓いを固めた一人の女性の言葉が、こう記されています。

「今後わたくしは、身よりのない者、牢につながれた者、捕縛された者、病気で苦しむ者、思い悩む者、貧しき者、困窮者、大厄にあった人々を見たならば、かれらを救恤(=救援)せずには一歩たりとも退きません」(『勝鬘経』、中村元『現代語訳 大乗仏典3』東京書籍)

そして、彼女は自ら立てた誓願のままに、生涯、苦悩に沈む人々のための行動を貫き通したのです。

マータイ博士も、この誓願的生き方と響き合う信念を語っていました。「私たちは、傷ついた地球が回復するのを助けるためにこの世に生を受けたのです」(以下、前掲『ピース・ウーマン』)と。

つまり、法律のような形で外在的に決められているから行動するのでも、何かの便宜や報酬だけを求めて行動するのでもない。

また、何かが起これば吹き飛んでしまうような決意でも、誰かの力を頼んで状況の変化を期待して待つような願望でもない。

誓願的生き方とは、博士が「今後やらなければいけない仕事の膨大さを認識することで、力というより、エネルギーが湧いてくる」と述べているように、どんなに困難な課題でも、それが自分の使命である限り、勇んで前に進もうとする生き方に他なりません。

地域を舞台にしたエンパワーメントで人々の勇気と智慧を涌現させていく中で、状況の改善のために自ら立ち上がること(リーダーシップの発揮)を促す。そして、皆で力を合わせて〝小さな前進〟を一つ一つ積み重ねながら、その生き方を自分たちの「誓い」や「使命」として踏み固めていくことが、持続可能性を追求する裾野を地球大に広げていく基盤になると、私は考えるのです。