2009年の核廃絶提言

地球上から「悲惨」の二字をなくす 人類共闘の限りなき挑戦を!

第1段
地球上から「悲惨」の二字をなくす 人類共闘の限りなき挑戦を!

世界を分断し、破壊する象徴が核兵器であるならば、それに打ち勝つものは、希望を歴史創造の力へと鍛え上げる民衆の連帯しかない――。

20世紀を代表する科学者であるアインシュタイン博士が、生涯で唯一の過ちと悔いていたものがありました。

アメリカにナチスの原爆開発の危険性を伝え、早急な対応を求める手紙に署名し、ルーズベルト大統領に送ったことです。

「戦争の理由が何であれ、私は戦争への奉仕は直接的なものも間接的なものも絶対に拒否する」(アリス・カラプリス編『アインシュタインは語る』林一・林大訳、大月書店)と宣言していた博士が、知人の科学者の要請があったとはいえ、なぜこのような決断を下したのか。

原爆の破壊力を誰よりも察知できたがゆえに、ナチスが先に手にした場合の世界の行く末に、底知れぬ恐れを抱いたためと言われています。

年来の主義に反して署名した博士の思いは、軍事の論理の中で置き去りにされていった。しかも、ナチスの敗戦で核開発の意味は失われたと安堵した矢先、原爆が広島と長崎に投下された――。言語に絶する衝撃を受け、亡くなるまでの10年間、核兵器の廃絶を世界に訴え続けたことは、あまりにも有名です。

「最初の原子爆弾が完成して以来、世界を戦争から守るためには、何事も完成されておりません。ところが一方では戦争の破壊力を増すために多くのことがなされてきました」(『晩年に想う』中村誠太郎・南部陽一郎・市井三郎訳、講談社)

この言葉をアインシュタイン博士が述べたのは、1947年でした。その前年に、国連で論議された原子力の国際管理構想が挫折し、ソ連やイギリスが核兵器開発に乗り出す中で、憤りを込めて同じ文章の中で、その警告を三度繰り返したのです。

この47年は、私が師の戸田城聖第2代会長に初めて出会った年でもありました。

師は、軍国主義に抗して、2年に及ぶ獄中闘争を貫き、戦後は平和を求める民衆運動の先頭に立ちました。

そして、ソ連がアメリカを後追いして核実験に成功し、その事実を認めた直後(49年10月)に、「原子爆弾による戦争が起こったならば、世界の民族は崩壊の道をたどる以外にない」(『戸田城聖全集第3巻』)と警告していたのです。