2009年の核廃絶提言

核兵器を“絶対悪”と指弾した戸田会長の「原水爆禁止宣言」

第4段
核兵器を“絶対悪”と指弾した戸田会長の「原水爆禁止宣言」

逝去の7カ月前に青年に託した遺訓

オバマ大統領はプラハでの演説で、「私たちは、20世紀に自由のために戦ったように、21世紀には、世界中の人々が恐怖のない生活を送る権利を求めて共に戦わなければなりません」と述べ、「核兵器のない世界」への人類共闘を呼びかけました(演説の日本語訳は、駐日アメリカ大使館のホームページから)。

かつて核軍拡競争が激化した時代に、こうした核兵器が人々にもたらす脅威や恐怖という民衆の側からの視点に立って、核兵器廃絶を訴えたのが、師の戸田第2代会長でした。

逝去の7カ月前、戸田会長は病の小康状態の中で、青年を中心とした5万人を前に核廃絶を遺訓の第一とする「原水爆禁止宣言」(『戸田城聖全集第4巻』所収)を、52年前のきょう9月8日に発表したのです。

現在の状況に照らして、私が重要と考える宣言の柱は、「政治指導者の意識変革」「核兵器禁止の明確なビジョン」「人間の安全保障のグローバルな確立」の3点です。

第1の柱は、「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」と述べ、核保有の奥底にある国家のエゴイズムを厳しく指弾し、指導者の意識変革を強く促した点です。

「サタン」や「怪物」といった表現は、いささか唐突で奇異な印象を与えるかもしれませんが、核抑止論の底流には、自国の優位や安全のために人類を犠牲にすることも辞さない、常軌を逸した非情の論理が脈打っていることを人々にわかりやすく伝えるとともに、指導者に内省を求めることに主眼がありました。

この宣言と同じ年に発足したパグウォッシュ会議の創設に尽力した哲学者ラッセルも、権力者が陥りかねない生命状態を、「ギリシアの神々の王ジュピターのように、雷電を武器として携えている」姿になぞらえていたことがあります(『権力』東宮隆訳、みすず書房)。

仏法でも、「念々に常に彼れに勝れんことを欲し、人に下るに耐えず、他を軽んじて己れを珍む」(天台大師『摩訶止観』)という勝他の欲望が、人間の生命にあると説きます。

そして、すべてを自分のための手段にしようとする欲望が極まった状態を、「他化自在天」と説くのです。そこでは、他者の存在は限りなく矮小化され、どんな犠牲が生じても躊躇や心の痛みなど感じなくなってしまう。

この点、アメリカで核戦力を掌握する戦略軍総司令官を務めた退役軍人のリー・バトラー氏の次の述懐が思い起こされます。

「私たちは、冷戦期の核抑止という極端な戒律にこだわることで、人間性のもとである生命への尊敬の念をすり減らし、また道徳的感性を削ってきた」(ロバート・D・グリーン著『検証「核抑止論」』梅林宏道・阿部純子訳、高文研)

また、マンハッタン計画に当初加わりながら、道徳的な理由から途中でただ一人離脱した、パグウォッシュ会議のジョセフ・ロートブラット博士も、核戦争が人類にもたらす破局について警告していました。

96年に国際司法裁判所で核兵器の威嚇と使用に関する勧告的意見が示された際、これに先立つ審理で、各国の意見陳述が行われる中、南太平洋のソロモン諸島を支援する形で代表団に加わり、次のような意見を文書で表明したのです。

「空間的にも時間的にも、有害な作用が広がるという放射性降下物の特性は核戦争の持つ独特の特徴である。戦争当事国の住民だけでなく、事実上世界の全人口とその子孫までが、核戦争では犠牲になる。そこに、核兵器が戦争という概念にもたらした根本的な変化がある」(NHK広島核平和プロジェクト著『核兵器裁判』、日本放送出版協会)と。

博士は、放射線が人体に与える影響を詳しく調査し、保有国が核実験を行うたびに放射性物質の脅威にさらされてきた人々の苦しみを代弁して、人類に警鐘を鳴らしたのです。

こうした破滅的な末路を知りながら、核政策を改めることができないのは、他者の痛みを感じ取る“想像力の破産”というほかありません。冷戦時代の負の遺産である核抑止論を、今こそ勇気をもって清算すべき時を迎えているのです。

一切の例外許さず核兵器使用を断罪

第2の柱は、「もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきである」と述べ、いかなる理由があろうと、いかなる国であろうと、核兵器の使用は絶対に許されないと明言した点です。

生命尊厳の思想を根幹に据える仏法者として死刑に強く反対していた師が、あえて極刑を求めるかのような表現を用いたのは、核使用を正当化しようとする論理に明確な楔を打ち、その根を断つためでした。

戸田会長は、人類の生存権を根源的に脅かす存在である核兵器は“絶対悪”にほかならず、核兵器を従来の兵器の延長線上に置いて、状況に応じて使用も可能な“必要悪”と考える余地を一切与えてはならないと強調したのです。

当時、東西の陣営に分かれて、互いの核保有を批判する主張が横行する中で、戸田会長はその迷妄を打ち破り、いかなるイデオロギーにも体制にも偏することなく、人類の名において核兵器を断罪しました。

戦時中に軍国主義と戦い抜いた師は、どの国もどの民族も戦争の犠牲となってはならないと訴え、「地球民族主義」を提唱しました。「原水爆禁止宣言」は、その論理的帰結にほかならなかったのです。

こうした一切の例外を認めない考え方は、国際社会で何度も表明されるにいたっています。61年の国連総会で、核兵器を使用するいかなる国も国連憲章や人道の法則に違反し、人類と文明に対する犯罪とみなされるとの決議が採択されて以来、同様の決議が繰り返されてきました。

また2006年には大量破壊兵器委員会が報告書で、「ある国々が保有する核兵器は脅威とならないが、別の国々が保有すると世界が致命的な危機に陥るという考え方を認めない」との見解を示しています。

あたかも“良い核兵器”と“悪い核兵器”の区別があるかのような考え方が存在している限り、いくら核拡散防止の体制を強化しても正当性や説得性は持ち得ない――。戸田会長の宣言は、核問題の解決を図る上で避けては通れない“急所”を浮き彫りにしたものでもあったのです。

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