2009年の核廃絶提言

民衆の犠牲を前提とした核抑止論 「人間の安全保障」の確立が急務

第5段
民衆の犠牲を前提とした核抑止論 「人間の安全保障」の確立が急務

核の奥に隠された爪をもぎ取りたい

第3の柱は、「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」と述べ、核実験への抗議もさることながら、多くの民衆の犠牲の上で成り立つ安全保障思想の根絶を図らない限り、本質的な解決はありえないことを指摘した点です。

ひとたび核攻撃の応酬が始まれば、他国の国民にとどまらず、自国の大半の国民も犠牲を免れないことは明らかです。そうした事実に目をつぶって、いくら「国家の安全保障」を声高に叫んでも、本来守るべき国民を捨象した“抜け殻”でしかありません。

核兵器が使用されないまでも、核実験に伴う放射線被曝で多くの人々が命を落とし、がんや遺伝性疾患などに苦しめられています。また、核兵器関連施設の周辺でも、同様の被害が広がっていると言われます。

戸田会長の熱願は、「世界にも、国家にも、個人にも、『悲惨』という文字が使われないようにありたい」(『戸田城聖全集第3巻』)との一点にありました。

その熱願が凝縮した宣言は、一人一人の人間が直面している悲惨な状況を取り除くことに平和の基礎を見いだすアプローチ――すなわち、今日、その重要性が叫ばれている「人間の安全保障」の視座に立脚したものだったのです。

そして何より重要なのは、戸田会長が、「世界」と「国家」と「個人」という、それぞれのレベルにおいて、等しく悲惨な状況を招いてはならないと強調していることです。

つまり、いくら世界の平和を守る大義があったとしても、犠牲となる国があってはならない。国の安全を守るためとはいえ、一般民衆を犠牲にすることがあってはならない。こうした状況を引き起こしている元凶を見定め、核問題の「奥に隠されているところの爪をもぎ取る」作業こそ、人類に課せられた共同の責任ではないでしょうか。

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