2012年のSGI提言

「立正安国論」の根底に脈打つ 民衆の幸福を第一とする思想

第3段
「立正安国論」の根底に脈打つ
民衆の幸福を第一とする思想

悲嘆に暮れる民衆を救うために執筆

トインビー博士がそうであったように、私が今、世界で相次ぐ災害を前にして浮かんでくるのは、13世紀の日本で日蓮大聖人が著した「立正安国論」です。

冒頭に「近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上に迸る」(御書17ページ)とあるように、当時は災害が毎年のように続き、大勢の民衆が命を落とした悲惨きわまりない時代でした。そうした中、悲嘆に暮れる民衆を何としても救わねばならないと、鎌倉幕府の事実上の最高権力者だった北条時頼に提出されたのが「立正安国論」だったのです。

そこで私は、現代の時代相と、人間の安全保障の理念に照らし合わせて、「立正安国論」から浮かび上がってくる視座を、以下3点にわたって提示したい。

第1の視座は、国家が最優先で守るべきものは、民衆の幸福と安全であるとの思想哲学です。

「立正安国論」は、日蓮大聖人の仏法の根幹を成し、生涯を通じて何度も自ら書写されたほど最重視されていたものですが、現存する書写をみると、特徴的な漢字の用い方がされていたことがわかります。

そこでは、国家を言い表す言葉として通常使われる「国」(王の領地を意味する字)や「國」(武力によって治めた場所を意味する字)に代えて、「■<囗の中に民>」という字が多用されており、割合にして8割近くを占めています。

つまり、国家の中心概念に据えるべきは権力者でもなく軍事力でもない。あくまで、そこに暮らす民衆であるとの思想を明らかにされたものと拝されます。

大聖人は別の御書でも、権力者に対して「万民の手足為り」(御書171ページ)と記し、権力を預かる者は民衆に奉仕し、その生活と幸福を守るためにこそ存在すると強調しています。

その哲学を凝結したともいえる「■<囗の中に民>」の字を用いた書を通じて、仏法思想の上から社会を覆う混迷の闇を打ち払う道を示し、封建時代の指導者を諫めることは、まさに命懸けの行為でした。その結果、「世間の失一分もなし」(同958ページ)にもかかわらず、大聖人は何度も命を狙われ、2度も流罪に遭われました。

しかし750年余りの時を経て、大聖人が提起した視座は、今日叫ばれる人間の安全保障の基本理念にも通じる輝きをますます放っているように思われます。

「人間の安全保障委員会」の報告書でも、次の留意が促されていました。

「国家はいまでも人々に安全を提供する主要な立場にある。しかし今日、国家は往々にしてその責任を果たせないばかりか、自国民の安全を脅かす根源となっている場合さえある。だからこそ国家の安全から人々の安全、すなわち『人間の安全保障』に視点を移す必要がある」(前掲『安全保障の今日的課題』)と。

その意味において、いくら経済成長を推し進め、軍備を増強しても、人々の苦しみを取り除く努力を払わず、尊厳ある生を支える役目を果たしていないならば、国家の存在理由は一体どこにあるのでしょうか。

災害は、社会が抱える問題を断層のように浮き上がらせる側面があります。

高齢者をはじめ、女性や子ども、障がいのある人々、経済格差に苦しむ人々といった、社会で厳しい状況に置かれてきた人に被害が集中する傾向が、東日本大震災でも見られました。

そうした方々の苦しみや心中を思えば、政治の対応はあまりにも遅すぎると言わざるを得ません。