2013年のSGI提言

悲劇の流転を断つ挑戦を!

第2段
悲劇の流転を断つ挑戦を!

文豪ゲーテが剔抉した文明の病理

「今はすべてが悪魔的速度で、思考においても行動においても一瞬たりとも休むことなく走り過ぎていく」

「若者たちは非常に幼いうちから急き立てられ、時の渦に飲み込まれていく。豊かさと速さこそ世間が称賛し、誰もが求めてやまないものとなった」(マンフレート・オステン『ファウストとホムンクルス』石原あえか訳、慶應義塾大学出版会)

この鋭い文明批評は、現代の思想家によるものではありません。18世紀後半から19世紀にかけて活躍した文豪ゲーテの言葉です。

私は現在、ワイマール・ゲーテ協会顧問のマンフレット・オステン博士と、ゲーテの思想と人生をめぐる連載対談 を行っています。

オステン博士は、ゲーテが『ファウスト』でこの文明の病理を真正面から取り上げ、「すばやいマント」(移動手段)や「すばやい剣」(兵器)、「すばやい金」(マネー)を駆使して欲望を次々とかなえながらも、ついには破滅する人間の姿を描いたことに、注目していました(「加速する時間あるいは人間の自己破壊」山崎達也訳、『東洋学術研究』第44巻第1号)。

そして、ファウストのためにメフィストが提供したこれらのものを、「形態と呼称は二一世紀初頭と異なるものの、内容的にはまったく同一のものをさす件の悪魔的速度の道具」と位置付け、「現代人にはファウスト博士を同時代人と認める能力が備わっているのだろうか?」と訴えましたが(前掲『ファウストとホムンクルス』)、一体どれだけの人が自分たちの社会と無縁な話と受け流せるでしょうか。

自国を守るために人類を絶滅させかねない核兵器しかり、格差の拡大や弱者の切り捨てを招いてきた競争至上主義的な社会しかり、経済成長の最優先で歯止めのかからない環境破壊しかり、投機マネーによる価格高騰が引き起こす食糧危機しかり、であります。

その結果、蔑ろにされてはならないものが、いとも簡単に踏みにじられる悲劇が何度も生じている。それもメフィストの助力を借りずして――。ゲーテが剔抉した病理は、現代においてまさに極まれりと言うほかありません。

ミレニアム開発目標の趣旨は〝世界から、できうる限りの悲惨をなくす〟ことにありましたが、この文明の病理に本腰を入れて対処することなくして、事態の改善が一時的に図られたとしても、次々と問題が惹起し、状況が再び悪化してしまう恐れが残ります。

では、その荊棘を前にして、2030年に向けた新たな挑戦にどう取りかかっていけばよいのか。

「いつかは終局に達するというような歩き方では駄目だ。その一歩々々が終局であり、一歩が一歩としての価値を持たなくてはならない」(エッケルマン『ゲェテとの対話』上、亀尾英四郎訳、岩波書店。現代表記に改めた)との、ゲーテの言葉が示唆を与えてくれると、私は考えます。

つまり、事態改善に向けての努力を弥縫策に終わらせず、さまざまな脅威に苦しむ人々が「生きる希望」や「尊厳ある生」を取り戻すための糧として、一つまた一つと結実させながら、時代の潮流を破壊から建設へ、対立から共存へ、分断から連帯へと向け直す挑戦を進めていくことです。

ゆえに新目標の制定においても、〝社会で蔑ろにしてはならないものは何か〟を問い直しつつ、平和と共生の地球社会に向けての確かな一歩一歩を導くような精神的基軸を据えることが求められます。私は、その基軸として「生命の尊厳」を提示したい。

平和と共生の地球社会を一つの建物に譬えるならば、「人権」や「人間の安全保障」などの理念は建物を形づくる柱であり、「生命の尊厳」はそれらの柱を支える一切の土台と位置付けることができます。

その土台が抽象的な概念にとどまっている限り、危機や試練に直面した時、柱は不安定になり、建物の瓦解も防げない。建物の強度を担保する礎として十分な重みを伴い、一人一人の人間の生き方という大地に根を張ったものでなくては意味を持ち得ません。

そこで私は、「生命の尊厳」を基軸にした文明のビジョンを浮かび上がらせるために、社会で常に顧みられるべき精神性として、三つのメルクマール(指標)を提起してみたい。