時代状況は異なりますが、仏法の成立にあたって、その出発点に横たわっていたのも、さまざまな苦しみに直面する人々に、どう向き合えばよいのかとのテーマでした。
何不自由のない生活が約束された王族に生まれた釈尊が、若き日に出家を決意するまでの心境の変化は、四門出遊の伝承に凝縮した形で描かれています。しかし釈尊の本意は、生老病死を人生に伴う根本苦として、無常をはかなむことにはなかった。
釈尊は後に当時の心境について、「愚かな凡夫は、自分が老いゆくものであって、また、老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している――自分のことを看過して」との思いがよぎり、病や死に対しても人々が同じ受け止め方をしていることを感じざるを得なかったと回想しています(中村元『ゴータマ・ブッダI』、『中村元選集[決定版]第11巻』所収、春秋社)。
あくまで釈尊の眼差しは、老いや病に直面した人々を――それがやがて自分にも訪れることを看過して――忌むべきものと差別してしまう心の驕りに向けられていたのです。
であればこそ釈尊は、周囲から見放された高齢の人や、独りで病気に苦しんでいる人を見ると、放っておくことができなかった。
それを物語る逸話が残っています。
――一人の修行僧が病を患い、伏せっていた。
その姿を目にした釈尊が「汝はどうして苦しんでいるのか。汝はどうして一人で居るのか」と尋ねると、彼は答えた。「私は生まれつき怠けもので、[他人を]看病するに耐えられませんでした。それで今、病気にかかっても看病してくれる人がありません」
それで釈尊は「善男子よ。私が今、汝を看よう」と述べ、汚れていた敷物を取り換えただけでなく、彼の体を自ら洗い、新しい衣にも着替えさせた。
その上で釈尊は、「自ら勤め励みなさい」との言葉をかけ、修行僧は心も身も喜びにあふれた、と(玄奘『大唐西域記』水谷真成訳、『中国古典文学大系22』所収、平凡社)。
思いもよらない献身的な介護もさることながら、釈尊が他の健康な弟子たちにかけるのと何ら変わらない言葉を自分にもかけてくれたことが、尽きかけようとしていた彼の生命に〝尊厳の灯火〟を再び燃え立たせたに違いないと、私には思えてなりません。
その上で、この逸話を、他の経典における伝承と照らし合わせると、もう一つの釈尊の思いが浮かび上がってきます。
――釈尊は、修行僧の介護をした後、弟子たちを集めて、次々と尋ね聞いた。その結果、修行僧が重病に苦しんできたことも、どんな病気を患っていたかも、弟子たちが以前から承知していたことを知った。
にもかかわらず、誰一人として手を差し伸べようとしなかったのはなぜか。
弟子たちから返ってきた答えは、修行僧が病床で語っていた言葉の鏡写しともいうべき、「彼が他の修行僧のために何もしてこなかったので、自分たちも看護しなかった」との言葉だった(「律蔵大品」から趣意)。
この答えは、現代的に表現すれば、「日頃の行いが悪いから」「本人の努力が足りないから」といった自己責任論に通じる論理といえましょう。それが、修行僧にとっては運命論を甘受するあきらめとなって心を萎えさせ、他の弟子たちにとっては傍観視を正当化する驕りとなって心を曇らせていた。
そこで釈尊が、弟子たちの心の曇りを晴らすべく、気づきを促すように説いたのが、「われに仕えようと思う者は、病者を看護せよ」(前掲『ゴータマ・ブッダI』)との言葉でした。
つまり、仏道を行じるとはほかでもない。目の前で苦しんでいる人、困っている人たちに寄り添い、わが事のように心を震わせ、苦楽を共にしようとする生き方にこそある、と。
ここで留意すべきは、そうした過程で尊厳の輝きを取り戻すのは、苦しみに直面してきた人だけでなく、その苦しみを共にしようとする人も同時に含まれているという点です。
生命は尊厳であるといっても、ひとりでに輝くものではない。こうした関わり合いの中で、他者の生命は真にかけがえのないものとして立ち現れ、それをどこまでも守り支えたいと願う心が自分自身の生命をも荘厳するのです。
また釈尊が、先の言葉で「われ(仏)」と「病者」を等値関係に置くことで諭そうとしたのは、病気の身であろうと、老いた身であろうと、人間の生命の尊さという点において全く変わりはなく、差別はないという点でした。
その意味から言えば、他人が病気や老いに苦しむ姿を見て、人生における敗北であるかのようにみなすことは誤りであるばかりか、互いの尊厳を貶めることにつながってしまう。
釈尊の思想の中で「法華経」を最重視した日蓮大聖人は、「法華経」において生命尊厳の象徴として登場する宝塔の姿を通し、「四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり」(御書740ページ)と説きました。
つまり、宝塔を形づくる四つの面は、生老病死に伴う苦しみを乗り越えていく姿(四つの相)をもって輝きを増すのであり、一見、マイナスでしかないように思われる老いや病、そして死さえも、人生を荘厳する糧に昇華できる、と。
生命の尊厳といっても、現実のさまざまな苦悩を離れて本来の輝きを放つことはできず、苦悩を分かち合い、どこまでも心を尽くす中で、「自他共の幸福」への道を開く生き方を、仏法は促しているのです。
ゆえに私ども創価学会は、草創の頃から、「貧乏人と病人の集まり」と時に揶揄されながらも、さまざまな苦しみを抱える人々の真っただ中で共に支え合って生きることを最大の誇りとして前進を続けてきました。
まして昨今は、災害や経済危機に象徴される「突然襲いくる困窮の危険」が、多くの人々から大切なものを一瞬にして奪い、背負い切れない苦しみをもたらす事態が各地で相次いでいるだけに、孤立化を防ぐ要請はますます高まってきているといえましょう。
3年前のハイチ大地震や2年前の東日本大震災のように、甚大な災害に見舞われた地域では、復興がいまだ本格的に進んでいない場所が少なくありません。
何より、被災した方々の「心の復興」や「人生の復興」という大きな課題があります。そこで大切なのは、被災した方々の苦しみを忘れず、社会をあげて被災地の再建を全力で支えることであり、「生きる希望」を共に育む絆を、十重二十重に結んでいくことではないでしょうか。
苦しんでいる人がいれば、その人に笑顔が戻るまで徹して励まし続け、苦楽を分かち合い、どこまでも一緒に寄り添っていく――こうした共に生きようと願う人々の絆がある限り、一つの苦難を乗り越えた先で、再び別の試練が訪れたとしても、不条理の闇を打ち払う陽光が必ず差し込んでいくはずです。
その確信を手放すことなく、「かけがえのないものを守り、自他共の尊厳を輝かせていく」行動を粘り強く起こしていく中に、格差社会の克服をはじめ、一人一人を大切にする「社会的包摂」の基盤を揺るぎないものにする要諦があると、私は考えるのです。