2013年のSGI提言

対話で結ぶ友情こそ平和の文化を築く礎

第8段
対話で結ぶ友情こそ平和の文化を築く礎

集団心理や扇動に押し流されない

人の人間には民族や宗教だけでなく、さまざまに自己を規定する要素が複層的に折り重なっています。この「アイデンティティの複数性」が、現代において人々が集団心理や暴力的な扇動に押し流されないためのカギになると訴えたのは、経済学者のアマルティア・セン博士でした。

幼い頃、紛争で多くの人が“宗教の違い„だけを理由に命を奪われる姿を目にして、深く胸を痛め、その悲劇を防ぐための研究と思索を続けてきたセン博士は、「たとえ暗黙のうちにであっても、人間のアイデンティティは選択の余地のない単一基準のものだと主張することは、人間を矮小化するだけでなく、世界を一触即発の状態にしやすくなる」と警告した上で、こう述べています。

「問題の多い世界で調和を望めるとすれば、それは人間のアイデンティティの複数性によるものだろう。多様なアイデンティティはお互いを縦横に結び、硬直した線で分断された逆らえないとされる鋭い対立にも抵抗する」(大門毅監訳/東郷えりか訳『アイデンティティと暴力』勁草書房)と。

同じ民族に属していようと、同じ宗教を信じていようと、育った環境も違えば、職業や趣味も違い、信条や生き方も異なる。人それぞれ千差万別なのが、世界の実相です。民族や宗教の違いとは位相を異にしつつ、人間と人間の一対一の関係において、さまざまなアイデンティティが時に交錯し、共鳴し合う可能性が常に開かれている。

そこに、セン博士が洞察したような、逆らいがたい分断の壁を超えて、友情や共感の絆が結ばれる契機が生じるといってよい。

私が世界の識者と「文明間対話」や「宗教間対話」を進めるにあたって、家族の話や生い立ち、青春時代の思い出、現在の道に進むまでの経緯などを伺うとともに、地球的問題群の解決策や人類の未来の展望について幅広く語り合ってきたのは理由があります。

民族や宗教のラベルで埋もれてしまいがちな「その人ならではの人生の豊饒さ」と「その人を突き動かしてきた信念」を浮き彫りにしつつ、その相手との間でしかできない生命と生命との交響楽を「対話」を通して奏で合い、世界を真に人間的なものにするための道筋を照らし出すことを願ってきたからでした。

その交響楽の中で、民族や宗教といった自己と他者の違いを際立たせる差異さえも、「最良の自己」を互いに顕現していくための、かけがえのない旋律として立ち現れるのです。

民族や宗教による社会の分断を防ぐ

この点に関し、セン博士の問題意識とも通じる「人間の複数性」――私が「その人ならではの人生の豊饒さ」との表現を用いて示そうとした人間の無限の多様性――を自らの哲学の要石としていた、哲学者のハンナ・アレントが印象深い言葉を残しています。

「われわれが世界の物事にどれほど影響されようと、それがどれほど強くわれわれを感動させかつ刺激しようと、仲間とそれについて討論することができる場合にのみ、そうしたことはわれわれにとって人間的なものとなる」(『暗い時代の人々』阿部齊訳、筑摩書房)

ここに出てくる「仲間」の意味を、アレントが同胞愛ではなく友情、それも、真理に対する見解が異なる人間同士の友情の文脈で論じているように、差異があるからこそ、対話によって世界は人間性を帯びるのであり、友情があるからこそ、一人一人の生命も多様性が織り成す妙なる輝きを増していくのです。

心と心が通い合っていなければ成り立たない、この友情こそ、多様性の源である差異が“排他の記号„と化して社会を分断することを食い止める防波堤となるものであり、憎悪や暴力が渦巻く「戦争の文化」の激流に他者への共感や同苦の心を押し流されないために、人間がどこまでも守り抜いていくべき魂の紋章ではないでしょうか。

先のユネスコの声明が一つの淵源となり、国連が推進してきた「平和の文化」の構築は、こうした「戦争の文化」からの脱却を目指すものでした。

SGIでは、「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力の国際10年」(2001年~2010年)の期間中はもとより、現在も展示活動をはじめ、民衆レベルでの意識啓発や対話に取り組んでいます。

「平和の文化」を地球の全ての場所に定着させるには、憎悪や対立の根を一つ一つ辛抱強く取り除いていかねばなりません。

しかし私たちには、同じ人間である以上、「己が身にひきくらべて」他者の苦しみに思いをはせることができる「内省」という名の心の音叉があり、誰に対してもどこにでも架けることのできる「対話」という名の橋がある。そして、どんな荒れ地も耕すことのできる「友情」という名の鍬があり、鋤がある。

仏典に「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(御書761ページ)とありますが、「平和の文化」の沃野を広げゆく友情とは、同じ世界に生きる人間として互いの存在を喜び合い、どんな差異があろうとも互いの尊厳ある生を守り抜く誓いの異名であると言えないでしょうか。

21世紀の宗教が果たすべき役割

以上3点にわたり、「生命の尊厳」に基づく文明を築くための指標と考えるものを論じてきました。

この三つの指標を、私がコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジでの講演(「『地球市民』教育への一考察」、1996年6月)で提示した地球市民の要件と照らし合わせると、①他者の苦しみに寄り添う「慈悲」、②生命の平等性と可能性を深く認識する「智慧」、③どんな差異も互いの人間性を薫発する糧としていく「勇気」、という生命の力用に集約することができます。

この生命の力用が全ての人々に内在していることに目を向けることから、平和と共生の地球社会を建設するための挑戦は始まるのではないでしょうか。

そして、21世紀の宗教に求められる社会的使命も、こうした生命の力用を豊かに開花させる後押しとしての役割を果たし、「生命の尊厳」の息吹を社会に脈動させる民衆の連帯を育むことにあると、私は考えるのです。