2013年のSGI提言

緊張緩和と関係緊密化へ 「日中首脳会談」を定期開催

第15段
緊張緩和と関係緊密化へ 「日中首脳会談」を定期開催

国交正常化40周年に高まった緊張

最後に、平和と共生の地球社会の建設というテーマに関連して、緊張が続く日本と中国の関係改善と未来の展望について、私の考えを述べておきたい。

昨年は、日中国交正常化40周年という節目の年であったにもかかわらず、かつてないほどの緊張と摩擦が高まり、日中関係は戦後最悪の状態に陥ったとさえ言われます。

実際、40周年の意義をとどめる行事や交流計画の中止と延期が相次いだほか、経済の面でも関係は大きく冷え込みました。

しかし私は、日中関係の未来を決して悲観しておりません。

なぜなら日中の友好は、国交正常化の前から、「涓滴岩を穿つ」の譬えの如く、心ある先人たちが一滴また一滴と、両国の間に立ちはだかる頑強な岩盤を穿ちながら切り開いてきたものであり、今日まで長い歳月を通じて堅実に積み重ねられてきた友好交流の絆の重みがあるからです。

私が国交正常化の提言を行った当時(1968年9月)は、中国との友好を口にすることさえ憚られる空気があり、ある意味で、現在以上に厳しい状況にあったともいえます。しかし、隣国との友好なくして日本の未来はなく、日中関係の安定なくしてアジアと世界の平和も開けないというのが私の信念でした。

提言発表から6年後(1974年12月)、北京を訪問し周恩来総理と鄧小平副総理にお会いした時、お二人が“中国の人民だけでなく日本の民衆も、日本の軍国主義の犠牲者である„との思いを抱いていることを痛感した私は、「戦争の悲劇を二度と起こさないために、民衆と民衆との崩れざる友誼の橋を何としても築き上げるのだ!」との決意をさらに深くしました。

友好の纜を断じて離してはならない

以来、今日まで私は、若い世代を中心とした友好交流の推進に情熱を注ぎ続けてきたのです。

国交正常化後、中国から初の国費留学生6人を、私が身元保証人となり、創価大学にお迎えしたのが1975年でしたが、歳月を経て、今や中国から年間10万人の留学生が日本で学び、中国では15,000人の日本人が学ぶ時代が到来しています。

その他にも、文化や教育などさまざまな分野での交流をはじめ、両国の地方自治体が結んできた349に及ぶ姉妹交流の広がりや、四川大地震や東日本大震災で互いの国が苦難に陥った時に助け合ってきた歴史があり、何度か緊張が生じても友好の水脈は着実に水嵩を増してきたのです。

この水脈に注がれてきた一滴一滴は、顔と顔が向き合う“一対一の心の交流„を通じて育まれてきた友情の結晶に他ならず、どんな試練や難局に直面しても容易に枯渇してしまうものではないし、断じてそうさせてはならないとの思いを強めています。

私は以前、北京大学での講演(「教育の道 文化の橋――私の一考察」、1990年5月)で、「両国の間にいかなる紆余曲折が生じようと、私たちは断じて友好の纜から手を離してはならない」と呼びかけました。まさに今が、その一つの正念場であると思えてなりません。

政治と経済の分野では、大なり小なり波が起こるのは歴史の常です。穏やかで凪のような時は例外的であるかもしれません。

ゆえに大切なのは、日中平和友好条約で誓約した「武力または武力による威嚇に訴えない」「覇権を求めない」との2点を、どんな局面でも守り抜くことではないでしょうか。

その原則さえ堅持していけば、たとえ時間はかかっても乗り越えるための道は必ず見えてくるはずです。むしろ順調な時よりも逆境の時のほうが、両国の絆をより本格的に深める契機となる可能性がある。