2014年のSGI提言

自分の今いる場所を「使命の舞台」に転換

第4段
自分の今いる場所を「使命の舞台」に転換

現実変革の法理を説いた日蓮大聖人

私どもが信奉する仏法の思想も、自分の置かれた環境がどんな深刻な状況に見舞われようとも、自らの使命を成し遂げるための場と定めて“希望の物語„を紡ぎ出していく、「誓願」の生き方を促しています。

それは、13世紀の日本の封建社会にあって、時の権力者の前で、「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」(御書287ページ)と、何ものにも侵されることのない精神の自由を高らかに宣言した、日蓮大聖人が説いたものでした。

当時、地震や台風などの災害をはじめ、飢饉や疫病が度重なり、多くの民衆が塗炭の苦しみにあえぐ中、大聖人はその状況を何としても打開したいとの思いで、幕府の権力者に対し、政道の誤りを正すよう諫言を重ねました。

そのため、襲撃や死罪の宣告に加え、二度の流罪に遭いながらも、「日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224ページ)と、人々の苦しみを取り除くために信念の行動を緩めませんでした。

相次ぐ災難で生きる望みを失いかけた民衆から、最後の気力まで削ぐような思想に対し、徹底的に闘う一方で、苦悩に打ちひしがれた人々を抱きかかえるように励まし、「地にたう(倒)れたる人は・かへりて地よりを(起)く」(同1586ページ)と、いかなる苦難にも打ち勝つ力が万人の胸中に備わることを訴え、勇気づけていったのです。

例えば、厳しい状況から何とか抜け出したいと願う人たちに、“どこか違う場所に行けば、ただちに問題が解決し、幸福になれる„ との思いを抱かせる思想に対し、立ち向かった大聖人は、「此を去って彼に行くには非ざるなり」(同781ページ)と強調しました。

「浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり」(同384ページ)とあるように、自分の今いる場所で苦悩と正面から向き合い、絶望の闇に覆われかけたその場所を「悲劇の舞台」から「使命の舞台」へと変えていく。そして、苦悩に挑む自身の姿を通し、「同じ苦しみを抱える人々が、生きる希望を取り戻す場」へと転換させる道を選び取るよう、促したのです。

さらに大聖人は、社会でどんな悲劇が起ころうとも我関せずと自分の世界に閉じこもる「現実逃避」の傾向を強めかねない思想に対しても、誤りを正すために闘い抜きました。

――仏教でも、不幸に沈む人々を救う方便として、苦しみや迷いといった執着から離れる道を説いたものがある。しかしそれは、あくまで仮の教えであって、釈尊の本意ではない。

ゆえに、法華経薬王品の「離一切苦」(一切の苦を離れしむ)の経文についても、「『離』の字を『明らむ』と読むのである」(同773ページ、趣意)と。

つまり、目の前の問題をあたかも存在していないかのように意識から閉め出すのは、問題の先延ばしにすぎないばかりか、状況をより悪化させるだけであり、苦しみに真正面から向き合って原因を明らかにし、解決への道筋を見極めつつ、悲劇に見舞われる前の状況よりも、平和で幸福な社会を築く道を選び取るべきであると説いたのです。