2014年のSGI提言

「同苦」の精神と対話が連帯の心を呼び覚ます

第6段
「同苦」の精神と対話が連帯の心を呼び覚ます

苦しんでいる人を絶対に見捨てない

次に、第二の柱として提起したいのは、「連帯して問題解決にあたる価値創造」です。

近年、レジリエンスに関する研究が進む中で、その鍵を握るものとして、いくつか重要な要素が浮かび上がってきています。

例えば、「混乱に対処し、傷を癒すためにレジリエントなコミュニティが拠り所とするのは、深い信頼に根ざしたインフォーマルなネットワーク」であることや、「レジリエンスを人為的に植えつけようとする努力は功を奏しがたいが、その努力が真に日常の活動に根ざした人間関係から生まれるとき、レジリエンスは花開く」(前掲『レジリエンス 復活力』)といった点などが挙げられます。

しかし、「深い信頼」を育む磁場となり、「日常の活動に根ざした人間関係」を築くための足場となるはずのソーシャル・キャピタルは、年々、弱体化している傾向がみられます。

それがまた、ソーシャル・キャピタルが持つ緩衝地帯としての力を弱め、さまざまな脅威や社会が直面する問題の影響が、そのまま直接、一人一人に襲いかかる状態を招いている。

その結果、厳しい状況に置かれた人々の多くが、苦しみを独りで抱えたまま、生きる希望を失ってしまうか、もしくは何事も自分のことを優先させ、生き残りを図るかという、両極端の“孤立„に引き裂かれる事態が生じていることが、強く懸念されます。

経済哲学者のセルジュ・ラトゥーシュ氏が、弱肉強食的な経済競争で見捨てられてきた人々の尊厳を取り戻すために、「ディーセントな社会」(民衆を辱めない社会)を目指す必要性を訴え、他者と楽しみや喜びを分かち合うことを意味する「コンヴィヴィアリテ」の価値をその機軸の一つに挙げていますが(『〈脱成長〉は、世界を変えられるか?』中野佳裕訳、作品社)、大事な問題提起ではないでしょうか。

仏法においても、この「コンヴィヴィアリテ」の志向性と響き合う、「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(御書761ページ)との教えが説かれています。

現代社会の骨格に据えるべきものは、こうした喜びの分かち合いを通じて、社会を“富の輝き„ではなく“尊厳の輝き„で満たしていくためのビジョンであり、「最も苦しんでいる人を絶対に見捨てない」という同苦の精神ではないかと私は思うのです。

人間と人間とのつながりが希薄になってきた時代の流れの中で、そうした社会への転換を目指すことは、途方もない難題に思えてしまうかもしれません。

しかし、それがどれだけ抗しがたい流れに見えたとしても、人権運動の闘士マーチン・ルーサー・キング博士が強調していたように、「われわれはすべて、相互依存という逃れがたい網の目に捕えられており、同じ一枚の運命の衣裳のなかに結びつけられている」のであり、「われわれは力を合わせてともに生きるべく創られている」(『良心のトランペット』中島和子訳、みすず書房)というのが、この世界の実相ではないでしょうか。

仏法の思想においても、キング博士の主張と相通じる「縁起観」が説かれていますが、人間同士の表面的なつながりがどれだけ失われても、生命と生命が織り成す連関性の中で世界が形づくられているという実相は変わるものではなく、人々の行動によって幾重にも「プラスの連鎖」を起こすことは可能なのです。

ハマーショルドが親友に遺した言葉

世界の被災地を取材したノンフィクション作家のレベッカ・ソルニット氏も、災害時の暗闇を照らす「団結と利他主義と即時対応性でできた星座は大半の人々の中にすでにあり、大事な場面では、それが現れる」(『災害ユートピア』高月園子訳、亜紀書房)と強調しており、大切なのは、緊急時以外は「冬眠中」になりがちな支え合いや同苦の精神を、日頃から生き生きと発揮できるように、心がけていくことではないでしょうか。

ソルニット氏は「聖教新聞」のインタビュー(2012年4月24日付)で、災害時に支え合いの心が生まれる条件として、「一人一人がコミュニティーの一員であると感じられる」ことや、「コミュニティーの中で、自ら声を上げ、働きかけ、自身の役割を感じられること」を挙げていました。

私は、これらの点がそのまま、キング博士が「われわれは力を合わせてともに生きるべく創られている」との言葉で表した人間性を、どんな時にも呼び覚ます要件となり、問題解決に向けての行動の連帯を広げる前提になるのではないかと提起したいのです。

そこで思い起こされるのが、国連の第2代事務総長を務めたダグ・ハマーショルドの言葉です。

それは、長年の友人だった作家のジョン・スタインベックとの会食の席で、スタインベックが「ハマーショルドと国連のためにできることはないか」と尋ねた時のものでした。

「地に腰を下ろし、人々に語りかけてください。これが、もっとも大切なことです」(ペール・リンド/ベングト・テリン「自然と文化――ハマーショルドが愛したもの」、ステン・アスク/アンナ・マルク=ユングクウィスト編、『世界平和への冒険旅行』所収、光橋翠訳、新評論)

各地の紛争解決のために困難を顧みずに行動し、国連の良心として今なお慕われる人物にして、この言であります。しかもそれは、アフリカのコンゴ動乱の調停に赴く途上で不慮の死を遂げる2週間ほど前に語ったものに他ならず、私にはその短い言葉から――国連や人類が抱える問題を解決するといっても、千里の道も一歩からで、一人一人が自分の人生の錨を下ろしている場所で、皆と心を開いて話し合いながら、連帯して行動を起こす以外に道はない――とのハマーショルドの思いが伝わってくる気がしてなりません。

その意味でも、ソルニット氏が挙げた「一人一人がコミュニティーの一員であると感じられる」状況をつくり出す上で欠かせないのは、何にも増して「対話」であると言えましょう。

対話といっても、堅苦しく考えて身構えてしまったり、解決策を見つけるまで止めることができないといった窮屈なものでは決してなく、ハマーショルドの言葉に宿る温かみのように、“共に語り合いの場所にいることを喜び合う„という対話のプロセスそのものを大切にすることに、意義があると思います。

私自身、多くの人たちと深く知り合うことができる「対話」を、何よりも楽しく感じ、人生の最大の喜びの糧としてきました。

何より、生活の場である地域で「対話」を広げることは、自分の存在を受け止めてくれる“安心の空間„を広げることにもつながります。また「対話」には、さまざまな垣根を越えて、同じ問題に胸を痛める人々を一つに結びつける力があり、「対話」を通じて互いの心の中に“同じ志„を発見する喜びは、共通の問題に臨むための連帯を自ずと強めていきます。

一人の人間に無限の可能性があるといっても、連帯という横のつながりがなければ、その真価を発揮させることは難しく、「対話」を通じて培った連帯であってこそ、問題解決の途上で壁にぶつかった時も、再びの「対話」で新たな道筋を見いだすことができる。

そして、勝ち取った一つ一つの“小さな前進„を共に喜び合いながら、ゴールに向かってさらに前へ進むことができるのです。

「他者への行動」が生むプラスの連鎖

次に、コミュニティーの中で「自身の役割を感じられること」という二つ目の要件に照らして、大切な意味を持つのが、さまざまな問題がもたらす苦しみを分かち合い、連帯して行動を起こすことです。

私は現在、ローマクラブの共同会長を務めるエルンスト・U・フォン・ヴァイツゼッカー博士との対談を進めていますが、そこで話題になった「自発的労働」(周囲の人々や将来世代のために自分から進んで行う活動)は、苦しみを分かち合う連帯の意義を考える上で、一つの示唆を与えてくれるのではないかと思われます(「地球革命への挑戦」、「東洋学術研究」第52巻第2号所収)。

「自発的労働」の意義は“他者のために尽くす„という点のみに帰着せず、その行為を通じて“より良い自分自身が形づくられる„という「プラスの連鎖」が起こる点にあります。

人間の尊厳はひとりでに輝くものではなく、自分と他者という二つの岸を結ぶ心の橋が架けられてこそ、尊極なる輝きを放ち始めるものに他なりません。

仏典に「人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし」(御書1598ページ)とあるように、他者に尽くす行為が放つ光がそのまま、自身の尊厳を照らし返す光となっていく。どんな厳しい状況に直面し、深い苦しみを抱えていても、励ましの炎を灯すことはできるのであり、その炎が放つ光が相手の苦しみだけでなく、自分の心に覆いかぶさった苦しみの闇をも晴らしていくと、仏法では説くのです。

地域での貢献活動やボランティア、NGOの活動に限らず、苦しみを抱える人々が互いに手を取り合い、「プラスの連鎖」で喜びを広げていく行動は、「対話」とともに、すべての人々の尊厳が輝く社会を築く上で大きな原動力になると確信してやみません。

その無限の可能性は、国連開発計画のヘレン・クラーク総裁が、「もし世界の70億人が人類共通の問題の解決を見出すために協働するならば、計り知れない変化を生み出せることでしょう」(国連開発計画駐日代表事務所のホームページ)と強調していたところでもあります。

地域の問題はもとより、人類共通の課題の解決に向けて計り知れない変化を生み出す礎となるものこそ、「他者との喜びの共有」を軸とした連帯であり、その連帯に基づく価値創造の挑戦だと思うのです。