2014年のSGI提言

憎悪や排他の感情に押し流されず善性を薫発し合う生き方を

第7段
憎悪や排他の感情に押し流されず善性を薫発し合う生き方を

第1次大戦を機に生じた戦争の変異

最後に、第三の柱として提起したいのは、「自他共の善性を呼び覚ます価値創造」です。

今年で第1次世界大戦の勃発から100年となりますが、戦争の様相はこの大戦を境目に大きな変異を遂げたと言われます。

その一つは「対象の無差別性」で、工業力の発達で距離や地理的制約を超えての攻撃が可能となり、前線と銃後の境界が実質的に消滅する中、戦闘機による一般市民を巻き込んだ都市爆撃や、潜水艦による民間船を含む無差別の魚雷攻撃が行われたことです。

もう一つは「手段の無制限性」で、戦争の規模が大きくなったために、個々の戦局を少しでも早く有利に運ぶことが重要課題となる中、戦果を効率よく上げるために、毒ガスなどの非人道的な兵器が使用されるようになったことです。

これらは、国民と資源を最大限に投入して敵国を圧倒しようとする「総力戦」の思想が芽生える中で進められたもので、その結果、第1次世界大戦では戦闘員の犠牲者が増大したほか、一般市民の間でも多くの犠牲者が出ました。こうした傾向は第2次世界大戦でさらにエスカレートし、戦闘員の犠牲者が1700万人に対し、一般市民の犠牲者は3400万人にのぼったと推定されています。

現在にいたるまで、この“二つの無差別性„はとどまることなく追求されており、その最たるものが敵側に属する人間すべての殲滅も辞さない「核兵器」であり、もう一つの象徴が、遠隔攻撃の最終進化形ともいうべき存在として近年、国際社会で懸念が高まっている「無人機攻撃」です。

無人機攻撃は、テロ組織や武装勢力など“自国に対する脅威„とみなした存在を、遠隔操作による空爆で排除しようとする行為ですが、本来裁判などで対処すべきところを、問答無用で武力行使することに加え、周辺の住民が攻撃に巻き込まれても“付随的被害„として容認する姿勢が問題視されており、昨年には国連人権理事会の依頼を受けた専門家チームによる実態調査も行われました。

核兵器と無人機攻撃は、いずれも人道や人権の精神に反するだけではありません。その根底には、いったん敵とみなせば、どんな人間であろうと生かしておく余地はなく、いかなる手段をとろうと、どんな犠牲が生じても構わないという、「究極の排除」の思想が横たわっています。

善悪二元論による峻別が社会を蝕む

こうした善悪二元論的な峻別が、人間の精神をどのように蝕んでいくのか。

かつて社会倫理学者のシセラ・ボク博士が、スペイン内戦に身を投じた詩人のスティーヴン・スペンダーの報告を通して、次のように論じていたことが思い起こされます。

――スペンダーは党派心の結末をこう記していた。

敵対するファシスト勢力に殺された子どもたちの写真を見た時には「激しい悲しみに襲われた」ものの、左派勢力による残虐行為をファシスト勢力が非難した時には「奴らはあんなうそをついていると怒りを感じた」だけだった、と。

そんな彼にも、「殺されたすべての子どもたちのことを公平に気遣うのでなければ、明らかに子どもが殺されることが全く気にならなくなっていく」と思う時があったが、心がそう働くことに、彼はある種の恐怖を覚えたほどだった。

つまりスペンダーは、「彼の側に立って戦う人たちの生命の危険に対する猛烈な関心と、ファシストの策略に対する彼の恐怖と不信」によって認識が歪められてしまった結果、「ファシスト側の子どもたちへの関心をすっかりなくし、彼らの災難をただのプロパガンダとみなすようになった」と(『戦争と平和』大沢正道訳、法政大学出版局を引用・参照)。

自分の側に「善」を置き、自分が敵視する人々をおしなべて「悪」とみなす思想は、イデオロギー対立が世界を分断した東西冷戦が終結した後も、さまざまに形を変えて多くの問題を引き起こしています。

例えば、「テロの脅威」を理由に特定の宗教を信仰する人々を十把一絡げに危険視する風潮を煽るような動きをはじめ、「社会の不安」の高まりを背景に原因の矛先を特定の民族や人種に向けるヘイト・クライムやヘイト・スピーチ、さらには「安全保障」の名の下に人々の自由に制限を加えたり、監視の強化を人権よりも優先させる形で推し進める傾向が強まっていることなどに現れていると言えましょう。

テロの脅威や社会の不安への対処とともに、安全保障への配慮が必要だとしても、その底流に善悪二元論的な思想がある限り、かえって恐怖や不信の渦を強めて、社会の亀裂をさらに深めてしまう恐れがあると、言わざるを得ません。

そこには、常に「善」の側に立っていると自負しながらも、知らず知らずのうちに、自分が「悪」とみなしてきた対象に投影してきたイメージ――非人道的で抑圧的な行動を、映し鏡のように自ら実行に移してしまっている状況が生じていないでしょうか。

そうではなく、マンデラ氏が大統領就任にあたり、「わたしたちは、なおも続く貧困や欠乏、苦難、差別から、すべての同胞を解き放つことを誓います。絶対に、二度とふたたび、この美しい国で、人が人を抑圧するようなことがくり返されてはなりません」(前掲『自由への長い道(下)』)と世界に向けて宣誓したように、テロの脅威や社会の不安への対処、また安全保障への配慮を行う場合でも、“いかなる人も抑圧してはならない„との原則に立って、社会の歪みを一つ一つ修復する努力を粘り強く進める中でこそ、問題解決の地平は開けてくるのではないかと思うのです。