青年の視点2016年のSGI提言

胸を痛める心が灯す「人間性の光明」 目の前の一人を徹して大切に

第3段
胸を痛める心が灯す「人間性の光明」 目の前の一人を徹して大切に

戦時中に難民を守り支えた人々

大勢の難民がヨーロッパに向かうようになり、さまざまな反応が広がる中、国際通信社IPS(インター・プレス・サービス)の記事で報じられていた、イタリアの港町で暮らす人の言葉が心に残りました。

「彼らも私たちと同じく生身の人間です。私たちは彼らが沖合で溺れているのを見て見ぬふりをしているわけにはいきません」(「進退窮まる移民たち」、2015年5月11日)

世界人権宣言には、「すべての人は、迫害を免れるため、他国に避難することを求め、かつ、避難する権利を有する」とあります。

しかしそれ以前に、先の言葉に宿っていたような〝胸を痛める心〟こそが、人権規範のあるなしにかかわらず、どんな場所でも灯すことのできる人間性の光明だと思うのです。

創価学会平和委員会が協力し、昨年10月に東京で行われた「勇気の証言――ホロコースト展 アンネ・フランクと杉原千畝の選択 」でも、その点がテーマとなりました。

展示では、ナチスの迫害のためにオランダで身を隠す生活に置かれながらも希望を失わなかったアンネ・フランクの生涯とともに、6000人ものユダヤ難民を救うために、訓令に反してビザを発行し続けた日本の外交官・杉原千畝の行動が紹介されました。

当時、ユダヤ人への迫害が広がっていたヨーロッパで、いくつもの国の外交官たちが、本国政府の方針に背くことを覚悟の上で、自らの「良心」に従う勇気をもって行動し、難民たちを救っていったことが、歴史に刻まれています。

また、こうした難民の命を守る行動は、アンネの家族の隠れ家生活を命懸けで支えたオランダの女性をはじめ、多くの国の民衆が、人知れず行っていたものでもありました。私は、ここに歴史の地下水脈に流れる「人間性の輝き」をみる思いがしてなりません。

同じく現代でも、自分たちが住む町に突然現れた難民の姿をみて、どれだけの辛酸を味わってきたことかと胸を痛め、やむにやまれず手を差し伸べてきた人は少なくないと思います。

その一つ一つの手が、難民の人たちにとって、どれだけ大きな励ましとなり、かけがえのない命綱になってきたことか――。

このことを考えるにつけ思い起こすのは、マハトマ・ガンジーが、周囲から投げかけられてきた〝大勢の人をすべて救うことなどできない〟との声を念頭に置きつつ、自分の孫に語りかけた言葉です。

「その時々に、一人の命に触れるかどうかが問題なんだ。何千という人々すべてを見まわすことは、必要じゃない。あるとき、一人の命に触れ、その命を救うことができれば、それこそ私たちが作り出せる大きな変化なんだ」(塩田純『ガンディーを継いで』日本放送出版協会)

ささやかな行動だったとしても、それがあるかないかは、差し伸べられた人にとって決定的な重みをもつ大きな違いなのです。

人間の苦しみに無縁なものはない

このガンジーの信条は、私どもSGIが信仰実践の面はもとより、国連支援などの社会的な活動を展開する上でも銘記してきた、「徹して一人一人を大切にする」との精神と深く響き合うものがあります。

仏法の根幹は、すべての人々の生命の尊厳にありますが、それは釈尊の次の教えが象徴するように、気づきや内省を促す中で説かれてきたものでした。

「すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波書店)

つまり、自分が傷つけられることを耐えがたく思い、わが身をかけがえのないものと感じる心――その動かしがたい生命の実感を出発点としながら、〝それは誰にとっても同じことではないのか〟との思いをめぐらせていく。

そして、その「己が身にひきくらべて」の回路を開いていく中で、他の人々の痛みや苦しみが、わが事のように胸に迫ってくる。

こうした「同苦」の生命感覚を基盤としながら、いかなる人も暴力や差別の犠牲にすることのない生き方を歩むよう、釈尊は呼び掛けたのです。

仏法が説く「利他」も、自分を無にすることから生まれるものではない。

それは、自分の存在と切っても切り離せない胸の痛みや、これまで歩んできた人生への愛しさを足場としつつ、人間の苦しみや悲しみに国や民族といった属性による違いなどなく、〝同じ人間として無縁な苦しみなど本来一つもない〟との生命感覚を磨く中で、おのずと輝き始める「人間性の異名」なのです。

哲学者のカール・ヤスパースも釈尊の評伝をつづる中で、「くらなりゆく世において、わたしは滅することなき法鼓ほっくを打とう」と立ち上がった釈尊の生涯は、「一切の者にむかうとは、ひとりひとりの人にむかうことにほかならない」との決意に貫かれていたと、強調していました(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)。

私どもSGIは、この精神を現代に受け継ぐ形で、目の前の一人の苦しみに寄り添い、共に涙し、喜びもまた共にしながら、手を取り合って生きるつながりを広げてきたのです。