私の師である創価学会の戸田城聖第2代会長が、「原水爆禁止宣言」を発表してから、今年で60周年になります。
牧口常三郎初代会長と共に、平和と人道のために戦い抜いた戸田会長の思想の柱は、仏法が説く生命尊厳の哲学に根差した「地球民族主義」にありました。
どの国で生まれ、どの民族に属そうと、誰一人、差別したり、踏み台にしたり、犠牲にすることがあってはならない――。
それは今思えば、「誰も置き去りにしない」という、国連が現在、国際社会を挙げて成し遂げようと呼び掛けているビジョンとも響き合う思想にほかなりませんでした。
その強い思いがあればこそ、戸田会長は、世界の民衆の生存権を根源から脅かす核兵器を〝絶対悪〟であるとし、核兵器禁止の潮流を民衆の連帯で築き上げることを、訴えずにはいられなかったのです。
1957年9月8日、台風一過の秋空の下、横浜・三ツ沢の競技場で5万人の青年らを前に叫ばれた、「いやしくも私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」(『戸田城聖全集』第4巻)との言葉は、今も耳朶を離れることはありません。
以来、私どもは、志を同じくする人々や団体と連携しながら、核兵器の禁止と廃絶を求める運動を重ねてきました。
時を経て、核兵器の非人道性に対する認識が国際社会で幅広く共有される中、先月の国連総会で、核兵器禁止条約の交渉開始を求める歴史的な決議が採択されました。
3月からニューヨークの国連本部で始まる交渉会議を通し、核時代に終止符を打つ道が開かれることを強く願ってやみません。
世界では今、こうした核兵器の問題をはじめ、相次ぐ紛争や急増する難民など、多くの課題が山積しています。
しかし私は、人類の行く末を悲観する必要はないと考えます。
なぜなら、青年の数だけ希望があり、未来があると固く信じるからです。
確かに、昨年からスタートした国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」において、最も配慮すべき存在の筆頭に、子どもと若者が挙げられているように、その多くが貧困や格差などの厳しい状況に直面している現実があります。
しかし一方で、平和構築における青年の役割を強調した安全保障理事会の「2250決議」をはじめ、若い世代の力に着目した動きが国連で相次いでいます。
SDGsを定めた国連の「持続可能な開発のための2030アジェンダ」では、若者を〝変革のための重要な主体〟と位置づけ、その力の発揮に期待を寄せていますが、まさに私の確信もそこにあるのです。
青年の存在と活躍こそ、地球的問題群を解決する原動力であり、2030年に向けた国連の挑戦の生命線である――と。
そこで今回は、「青年」に焦点を当てながら、SDGsが目指す〝平和で公正かつ包摂的な社会〟を築くための方途について論じたいと思います。