2017年のSGI提言

SGIの国連支援に脈打つ大乗仏教の「菩薩」の精神

第2段
SGIの国連支援に脈打つ大乗仏教の「菩薩」の精神

地球温暖化防止の「パリ協定」が発効

第一の柱は、「同じ地球で共に生きる」との思いに立った連帯を、青年を中心に広げることです。

昨年11月、地球温暖化防止の新たな国際枠組みとなるパリ協定が発効しました。

4月の署名式で175カ国・地域が一斉に調印を果たす中、協定の採択(2015年12月)から1年たらずで発効するという画期的なスピードです。長らく不可能と言われてきたことが、今では世界中の国々で協力して臨もうとする流れに変わってきたのです。

潮目の変化が生じたのは、異常気象や海面上昇など、気候変動の影響が次々と目に見える形で現れ、どの国にとっても喫緊の課題であるとの「認識の共有」が進んだことが大きかったと思われます。

貧困の解消をはじめとする17の分野、169項目に及ぶSDGsの目標を前進させるには、温暖化防止対策のような「認識の共有」に基づく行動の連帯を、あらゆる分野で築いていかねばなりません。

DGsの多岐にわたる目標を前にして、達成を危ぶむ声もあります。

しかし、目標の数の多さは、それだけ大勢の人が深刻な問題に直面していることの証左であり、どれ一つとしてそのままにしてよいものではないはずです。紛争にしても災害にしても、直接的な被害に加えて人々を苦しめるのは、〝自分たちのことが見過ごされているのではないか〟との思いではないでしょうか。

焦眉しょうびの難民問題についても、昨年5月の世界人道サミットに続き、難民と移民に関する国連サミットが9月に行われましたが、国際協力は思うように進んでいません。

その現状に対し、国連のアントニオ・グテーレス新事務総長は就任決定直後(2016年10月)のインタビューでこう述べました。

「こうした動きを逆転させ、難民保護を本来のグローバルな責任として受け入れてもらえるよう、全力を尽くしていきます。それは単に、難民条約に盛り込まれているだけではありません。全世界のあらゆる文化や宗教にも深く根づいた理念です。イスラム教にも、キリスト教にも、アフリカを含む各地にも、そして仏教やヒンズー教にも、難民を保護するという強い意識が見られます」(国連広報センターのウェブサイト

グテーレス事務総長が訴える通り、難民問題への対応を強化することが急務であり、しかも、そのための精神的な基盤は、さまざまな形で世界に息づいているものなのです。

ゆえに大切なのは、どれだけ問題が大きく、解決が困難であろうと、互いに連帯しながら、人々のためにできることを積み上げていくアプローチではないでしょうか。

釈尊の教えを貫くおうびょうやくの励まし

仏教の出発点も、人々の苦しみを一緒になって乗り越えることにありました。

釈尊は、後に八万法蔵と呼ばれるほどの多くの教えを残しましたが、その大半は、目の前にいる人々の悩みや苦しみと向き合う中で語られたものでした。

釈尊は、教えを説く対象を限定することなく、「われは万人の友である。万人のなかまである」(『仏弟子の告白』中村元訳、岩波書店)との信念のままに、行く先々で出会ったさまざまな人々に法を説いたのです。

釈尊の評伝を綴った哲学者カール・ヤスパースも、「仏陀の出現は知識の教師としてではなく、救済の道の告知者としてなのである」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と記しています。

「救済の道」との表現はインド医学の用語を踏まえたものであるとヤスパースは述べていますが、まさに釈尊の説法の底流にあったのは、病気になった人に最も適した薬を施すような〝おうびょうやく〟の励ましだったといえましょう。

釈尊は、仲間になった弟子にも、「比丘びくたちよ、遊行ゆぎょうせよ、多くの人々の福利のために、多くの人々の安楽のために」(『原始仏典』第1巻、畝部俊英ほか訳、講談社)と、声をかけました。

民族や社会的階層の隔てなく、悩める人々の所に足を運ぶ実践を重ねた釈尊と弟子たちは、「四方の人」と呼ばれたのです。

釈尊には、生命の尊厳に対する深い確信がありました。全ての人に尊極の生命が具わっており、厳しい環境にあっても生命に具わる可能性を開花させることができるとの確信です。

当時の社会では、自分の今の姿や未来は、過去からの宿命で一切が定められ、変えることはできないと説く「宿命論」が支配的である一方で、人間生活の出来事には特別な原因や条件はないとする「偶然論」の思想も説かれていました。

「宿命論」の思想は、どれだけ努力しても運命は変えられず、自分の境遇をただ受け入れるしかないとのあきらめを植え付け、人間の心から希望を奪い去るものでした。

また「偶然論」も、どんな行いをしようと結果には関係ないと考えるために、人生を無軌道にしてしまうばかりか、他の人々を傷つけても意に介さない状態を招きました。

釈尊は、こうした呪縛や悪弊などから人々を解き放つため、「生れを問うことなかれ。行いを問え。火は実にあらゆる薪から生ずる」(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)と呼び掛けました。

人生は全て動かし難いものと決定づけられているのではなく、今この瞬間の「行い」で切り開くことができると説いたのです。

仏教では、自らの一念の変革によって、未来の結果(果)につながる今現在の状態(因)そのものを変えることができると訴えるとともに、原因と結果の関係を方向づける「縁」の重要性を提起しています。

つまり、「因」が同じでも、そこにどのような「縁」が結びつくかによって、一人一人に現れる「果」は異なってくる、と。

この視座に立って、生命の尊厳と可能性への確信を抱きながら、生きる希望を失いかけた人に寄り添い、共に前へ進もうと励ます生き方を、仏教は促しているのです。