2017年のSGI提言

どこまでも一緒に前へ進む歩みに尊極の生命は共に輝く

第4段
どこまでも一緒に前へ進む歩みに尊極の生命は共に輝く

「化城宝処」の譬え

釈尊の教えの精髄である法華経には、「じょう宝処ほうしょ」という譬えがあります。

――ある隊商の一行が、険路をよく知る導師の案内で、砂漠を進んでいた。しかし途中で疲労の極みに達し、これ以上、前に進めないとあきらめかけた。

ここで引き返しては、皆の苦労が無駄になると考えた導師は、神通力を用いて前方に城をつくり、あの場所まで進もうと励ます。

元気を取り戻した隊商の一行は、城にたどりつき、休息することができた。

疲れが癒えたのを見届けた導師は、これは皆のために現した幻の城(化城)であると明かす。そして、本当の目的地(宝処)は近くにあり、共にそこまで進んでいこうと声をかけた――という話です。

釈尊が重ねてその意味を述べた偈において「宝所」と言葉は変わっていますが、この話を貫く主題は、「共に宝所に至るべし」との一節にあります。

それは、どれだけつらく絶望しそうになっても、手を携えて前に進もうと自他共の幸福を求め抜く、人間精神の大宣言ともいうべき輝きを放っているのです。

また、先ほどの因果の関係から捉え直せば、砂漠で疲労困憊こんぱいし(因)、本来は立ち止まってしまうところ(果)を、励ましの言葉を得て(縁)、目的地にたどりつけた(異なる果)とも位置づけられましょう。

法華経の精神を根幹に、13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人は、ここでいう化城と宝処は決して別々のものではなく、「化城即宝処」(御書732ページ)であると説きました。

宝処にたどりつくという結果もさることながら、「共に宝所に至るべし」との心で、一緒に進む過程そのものが尊い、と。

人々の苦しみとそれに対する励ましが因縁和合して、前に踏み出す一歩一歩が「念念の化城」と現れるだけでなく、それがそのまま、自他共に尊極の生命が輝く「念念の宝処」となっていくと強調したのです。

エスキベル博士が培ってきた信念

私は以前、SDGsに先立つ形で、2015年まで推進された国連のミレニアム開発目標について、「目標の達成はもとより、悲劇に苦しむ一人一人が笑顔を取り戻すことを最優先の課題とすることを忘れてはなりません」と呼び掛けたことがあります。

数値的な改善ばかりに目を奪われると、苦境に置かれた人々への配慮が後回しにされ、また、目標達成への息吹を長続きさせることも難しくなってしまうと考えたからです。

この点、アルゼンチンの人権活動家であるアドルフォ・ペレス=エスキベル博士が語っていた言葉が思い起こされます。

「人間は、人間としての共通の目的を目指して進むとき、自由や平和を志向しているとき、尋常ではない能力を発揮する」(『人権の世紀へのメッセージ』東洋哲学研究所)

こうした信念は、厳しい社会情勢が続いても、未来への希望を決して手放さなかった中南米諸国の民衆と連帯を深める中で、博士が培ってきたものでした。

博士は、民衆の行動をたたえながら、こう述べています。

「民衆の生活をさらに踏み込んで見てみると、老若男女を問わず、民衆は、英雄になろうなどとは思っていません。ただ、奇跡が起きて『一輪の花』が咲くことを日々求めているだけなのです。その開花は、日常生活という戦いのなかにあります。つまり、人生に対して子どもが見せる笑顔のなかに咲き、希望を創り出し、希望の光で道を照らすなかに咲きます。『すべての努力は、自分たちの解放のためなのだ』と気づく瞬間のなかに咲いていくのです」(『人権の世紀へのメッセージ』東洋哲学研究所)

非常に味わい深い言葉だと思います。

SDGsの目標達成は、いずれも容易ならざる挑戦です。

しかし、苦しんでいる人々に寄り添い、エンパワーメントの波を起こす中で、自分たちの身の回りから「一輪の花」を咲かせることはできるはずです。

そして、その何よりの担い手となりうるのが青年ではないでしょうか。

冒頭で触れた国連安保理の「2250決議」が、平和構築に青年が参画する重要性を呼び掛けたのと同様に、あらゆる分野で青年が活躍の機会を得ることができれば、そこから突破口が開けるはずです。

難民選手団の決意

昨年8月、ブラジルのリオデジャネイロで行われたオリンピックに、難民選手団が初出場し、感動の輪を広げました。

出場にあたり、選手が口々に語っていた決意は、胸に深く残りました。

「オリンピックの舞台で走ることで、自分と同じ境遇にある難民に、人生は変えられるというメッセージを送りたい」

「これまでの人生を思い返し、それを自分の強さに変えたい。難民がより良い人生を送れるように願って、私は走りたい」(UNHCR駐日事務所のウェブサイト

これらの言葉が象徴するように、青年の青年たる真骨頂は、過去の姿でも、未来の姿にあるのでもない。

自分自身の〝今の姿〟をもって、同じ時代を生きる人たちの力になりたいという心にこそ、輝くのではないでしょうか。

SDGsが掲げる「誰も置き去りにしない」とのビジョンは、青年にとって、遠く離れた場所にある指標でも、いつか成し遂げるべき未来のゴールでもないと思います。

それは、「同じ人間として同じ地球で共に生きる」ことと同義であり、日々の行動を通して「生きる喜びを分かち合う社会」を築く生き方に等しいものなのです。

青年が、今いる場所で一隅を照らす存在になろうと立ち上がった時、そこから、周囲の人々が希望と生きる力を取り戻す足場となる、安心の空間が形づくられていきます。

その安心の空間に灯された「共に生きる」という思いが、そのまま、国連が目指す「誰も置き去りにしない」地球社会の縮図としての輝きを放ち、同じような問題に苦しむ他の地域の人々を勇気づける光明となっていくに違いないと、確信するのです。