2017年のSGI提言

男女差別を乗り越えるジェンダー平等の促進

第17段
男女差別を乗り越えるジェンダー平等の促進

安保理で起きた歴史的な大転換

結びに、「人権文化」の建設に深く関わる、ジェンダー平等の重要性について論じたいと思います。

ジェンダー平等とは、男女の差別なく、平等な権利、責任、機会を保障することです。国連機関のUNウィメンが強調するように、その主眼は、多様性を認識し、女性と男性の双方の関心やニーズを共に大切にする社会を築く取り組みにあります。

SDGsでは、ジェンダー平等を達成し、あらゆる場所における、あらゆる形態の差別を撤廃するとの目標を打ち出しています。

その重要性への認識の広がりを裏付けるように、ジェンダー平等が焦点となった昨年3月の「国連女性の地位委員会」には、過去最多となる80カ国以上の大臣と約4100人の市民社会の代表が集いました。

私どもSGIでも、代表が参加するとともに、並行行事として「SDGs達成への道を開く女性のリーダーシップ」と題するフォーラムを開催しました。

そこで確認したのは、ジェンダー平等が重要な人権問題であると同時に、その取り組みの前進がSDGsの全ての目標の前進につながるとの認識です。つまり、前半で言及した、SDGsの取り組みを包括的に進める「ネクサス(関係)アプローチ」の中軸を担うのが、ジェンダー平等であるということです。

各国がジェンダー平等の重要性に対する認識で一致をみたのは、1995年の第4回世界女性会議にさかのぼります。その後、転機となったのが、2000年10月に国連安全保障理事会で採択された「1325決議」でした。

平和と安全保障に関わる取り組みに女性が平等かつ全面的に参加できるよう、具体的な措置をとることを促した決議です。

採択に尽力したアンワルル・チョウドリ元国連事務次長が語っていましたが、決議を実現に導いた背景には、女性の役割に関する「概念的、政治的大転換」があったといいます。

同年3月の国際女性デーに安保理が出した声明で、平和とジェンダー平等が不可分の関係にあると明記されたことで、「戦争や紛争の無力な被害者」とみなされてきた女性に対し、「平和と安全保障の維持と推進には不可欠」との認識の転換が図られた、と(『新しき地球社会の創造へ』潮出版社)。

そして、この転換が「1325決議」として結実し、和平プロセスなどに女性が参加する道が明確に開かれたのです。

国連憲章を巡って女性が上げた声

2年前には、決議の実行状況を振り返った国連の文書が発表されました。

女性が関わった和平交渉は合意に達しやすく、持続性も高いことが明らかになったほか、国連の平和維持活動でも女性要員が現地の人々の信頼を得る上で重要な存在になっていることが報告されています。

現在、SDGsの達成に向け、各国でジェンダー平等に関する政策の検討や実施が始まっていますが、大切なのは、「1325決議」を導いた認識の転換を顧みること――つまり、女性は無力な存在ではなく、その力の発揮が欠かせないとの認識に基づき、社会を組み直していく視点ではないでしょうか。

この点、エマソン協会元会長で女性学に造詣が深いサーラ・ワイダー博士も、「いかなる人であれ、人の下座に置かれることを強いられてはなりません。誰もが〝隣り合わせ〟に座り、耳を傾け、語り合い、互いの持てる力や存在を尊重し合うべきではないでしょうか」(『母への讃歌』潮出版社)と、私との対談で強調していました。

最近の研究で、国連の誕生時において、国連憲章に人権保障の中核をなす一節を組み入れる貢献をしたのが、女性たちだったことが浮き彫りにされています。

1945年、サンフランシスコで国連憲章の制定会議が開かれた時、各国の代表団から、人権に関する規定を盛り込むことを求める意見が相次ぎました。その際、単なる〝人間の権利〟といった表現では不十分であると声を上げたのが、中南米諸国などから参加していた女性たちでした。

こうした中で、憲章前文での男女同権への言及や、性による差別なく人権を尊重する規定(第1条3項)に加えて、国連の全機関で男女が平等に参加する資格があること(第8条)が明記されたのです。

法華経に描かれた竜女の尊極の姿

このような国連誕生時のエピソードを知るにつけ、胸に浮かぶのは、仏教の精髄である法華経で「万人の尊厳」を説く中、それを現実のものにした具体的な姿として「女性の尊厳」が描かれていることです。

――釈尊が、いかなる人々にも尊極の生命がそなわっているとの「万人の尊厳」の法理を説き明かし、重要な話は聞き終えたと思った智積ちしゃく菩薩が、その場から去ろうとした。

釈尊の勧めで、文殊師もんじゅし菩薩と対話をすることになった智積は、わずか8歳の少女(竜女)が尊極の生命を輝かせて、人々に対する深い慈愛の念を持っているとの話を聞かされる。

にわかに信じられずにいた智積の前に、竜女が姿を現すが、釈尊の弟子であるしゃほつも、まだ幼い彼女の姿を見て、本当にそんなことができるのかとの思いを拭えなかった。

竜女は尊極の生命の証しである宝珠を釈尊に手渡した上で、舎利弗に対し、自分の本当の生命の輝きを見てほしいと叫ぶ。

そして、竜女が人々のために尽くす姿を実際に目にした舎利弗と智積は、文殊の話が真実であると確信するにいたった――と。

私は、この場面には、「万人の尊厳」といっても、抽象的な理解だけでは完結しえないことが示されていると感じます。

また日蓮大聖人が、竜女の叫びの核心は、「舎利弗竜女が成仏と思うが僻事ひがごとなり、我が成仏ぞと観ぜよ」(御書747ページ)との思いにあると強調したように、竜女の尊厳と舎利弗の尊厳は、決して別のものではありません。竜女の尊厳(女性の尊厳)に照らされて、その実感を通し、舎利弗の尊厳(男性の尊厳)も浮かび上がっているのです。

つまり法華経では、「女性の尊厳」が現実に示されたことで、「万人の尊厳」が真に内実を伴うものとして結晶しています。

現代の人権についても、女性の権利の重要性が国連憲章に刻まれたからこそ、国連に人権の精神が鮮明な形で宿るようになったのではないでしょうか。

国連憲章の制定会議で声を上げた女性たちの思いも、女性の権利を大切にしなければ、〝人間の権利〟を大切にする社会は築けないとの一点にあったに違いないと思うのです。

UNウィメンでは現在、ジェンダー平等の推進の輪に、積極的に男性も加わることを呼び掛ける、「HeForShe(ヒー・フォー・シー)」のキャンペーンを進めています。

自由と権利を得られずにいてよい人間などなく、自由と権利を求める行動において差異による区別を設けてはならないはずです。

ジェンダー平等の目的――それは男女を問わず、全ての人々が尊厳の光を自分らしく輝かせていける道を、皆で大きく広げていくことにあるのです。

私どもSGIは青年を中心に「人権文化」を担う民衆の連帯を強めながら、「誰も置き去りにしない」世界を築く希望の暁鐘ぎょうしょうを、力強く打ち鳴らしていきたいと思います。