2018年のSGI提言

マンデラ氏が灯し続けた 人間性に対する深い信頼

第3段
マンデラ氏が灯し続けた 人間性に対する深い信頼

獄中で培った確信

世界人権宣言が採択された1948年は、一方で、南アフリカ共和国でアパルトヘイト(人種隔離)政策が始まった年でもありました。

その撤廃を目指し、自らが受けた差別への怒りや悲しみを乗り越えながら前に進み続けたのがネルソン・マンデラ元大統領です。

初めてお会いしたのは、マンデラ氏が獄中生活から釈放された8カ月後(1990年10月)でした。

青年時代に解放運動に立ち上がった思いを、マンデラ氏は自伝にこう綴っています(『自由への長い道(上)』)。

「何百もの侮蔑、何百もの屈辱、何百もの記憶に残らないできごとが絶え間なく積み重ねられて、怒りが、反抗心が、同胞を閉じ込めている制度と闘おうという情熱が、自分のなかに育ってきた」と。

投獄によってさらに過酷な扱いを受けたものの、氏の心が憎しみに覆われることはありませんでした。

どんなに辛い時でも、看守が時折のぞかせる「人間性のかけら」を思い起こし、心を持ちこたえさせてきたからです。

すべての白人が黒人を心底憎んでいるわけではないと感じたマンデラ氏は、看守たちが話すアフリカーンス語を習得し、自ら話しかけることで相手の心を解きほぐしていきました。

横暴で高圧的だった所長でさえ、転任で刑務所を離れる時には、マンデラ氏に初めて人間味のある言葉をかけました。

その思いがけない経験を経て、所長が続けてきた冷酷な言動も、突き詰めていけば、アパルトヘイトという「非人間的な制度に押しつけられたもの」だったのではないかとの思いに行き着いたのです。

27年半、実に1万日に及ぶ獄中生活を通し、「人の善良さという炎は、見えなくなることはあっても、消えることはない」(『自由への長い道(下)』)との揺るぎない確信を培ったマンデラ氏は、出獄後、大統領への就任を果たし、「黒人も白人も含めたすべての人々」の生命と尊厳を守るための行動を起こしていきました。

大勢の黒人が白人のグループに殺害され、黒人の間で怒りが渦巻いた時にも、型通りの言葉だけで融和を図ろうとはしませんでした。

ある演説の途中でマンデラ氏は、突然、後方にいた白人の女性を呼んで演台に迎え、笑みをたたえながら〝刑務所で病気になった時に看病してくれた人です〟と紹介しました。

問題は人種の違いではなく人間の心にある――その信念を物語る場面を目にした聴衆の雰囲気は一変し、復讐を求める声も次第に収まっていったのです。

この振る舞いは、自身を縛り続けてきた〝非人間性の鎖〟の重さが身に染みていたからこそ表れたものではないでしょうか。

法華経に描かれた不軽菩薩の実践

私どもが信奉する仏法にも、マンデラ氏が抱いた「人の善良さという炎は、見えなくなることはあっても、消えることはない」との確信と響き合う行動を、どこまでも貫いた菩薩の姿が説かれています。

釈尊の教えの精髄である法華経に描かれている()(きょう)()(さつ)の行動です。

不軽菩薩は周囲から軽んじられても、〝自分は絶対に誰も軽んじない〟との誓いのままに、出会った人々に最大の敬意を示す礼拝を続けました。

悪口を言われ、石を投げつけられても、〝あなたは必ず仏になることができます〟と声をかけることをやめなかった。

マンデラ氏が獄中でひどい仕打ちを受けても、人間性に対する信頼を最後まで曇らせなかったように、不軽菩薩はどれほど周囲から非難されても、相手に尊極の生命が内在していることを信じ抜いたのです。

〝万人の尊厳〟を説いた法華経に基づき、13世紀の日本で仏法を弘めた日蓮大聖人は、その行動に法華経の精神は凝縮しているとし、「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と述べました。

「仏」である釈尊の出世の本懐が、「人間」としての振る舞いにあったとは、逆説的に聞こえるかもしれません。

しかし、釈尊が人々の心に希望を灯したのは、超越的な力によるものではなく、目の前の人が苦しんでいる状態を何とかしたいという人間性の発露に他なりませんでした。

重い病気で寝たきりになった人に対し、周りが手をこまねいている時に、見過ごすことはできないと体を洗って励ましたのが釈尊であり、視力を失った人が衣服のほころびを直したいと思い、〝誰か針に糸を通してもらえないだろうか〟とつぶやいた時、真っ先に声をかけて、手を差し伸べたのも釈尊でした。

その一方で、頼みにしていた2人の弟子を亡くし、胸を痛めながらも自らを鼓舞して前に進むことをやめなかったのが釈尊であり、80歳を過ぎて体の無理がきかなくなったことを受け止めつつも、人々のために最後まで法を説き続けたのが釈尊だったのです。

失意の闇に沈む人がいれば寄り添い、辛い出来事があっても心に太陽を昇らせて、人々を励まし勇気づける――。この人間・釈尊の振る舞いという源流があればこそ、法華経の〝万人の尊厳〟の思想は、生き生きとした脈動を現代まで保ち続けることができたのではないかと思えてなりません。

大乗仏教において、仏を「尊極の衆生」と名付けていたように、仏といっても、人間と隔絶した存在では決してない。不軽菩薩のように、自己の尊厳に目覚め、その重みをかみしめながら、周りの人々を大切にする人間の振る舞いが、そのまま、仏界という尊極の生命の輝きを放ち始めるというのが、法華経の核心にある教えなのです。

大聖人は、この生命のダイナミズムを、「我等は妙覚の父母なり仏は我等が所生の子なり」(御書413ページ)と説きました。

仏法には、苦難を抱えながらも、人々のために行動する一人一人の存在こそ、尊厳の光で社会を照らし出す当体に他ならないとの思想が脈打っているのです。

人権も同じく、法律や条約があるから与えられるものではないはずです。人間は本来、誰しもかけがえのない存在だからこそ、自由と尊厳が守られなければならないのです。

人権を守る法制度づくりに息吹を吹き込んできたのも、ハンフリー博士やマンデラ元大統領のように、差別や人権侵害に見舞われながらも、〝この辛い思いを誰にも味わわせてはならない!〟と、社会の厳しい現実の壁を一つまた一つと打ち破ってきた人たちの存在だったのではないでしょうか。