2018年のSGI提言

SGIの平和運動の源流に脈打つ 牧口会長と戸田会長の精神

第4段
SGIの平和運動の源流に脈打つ 牧口会長と戸田会長の精神

厳しい弾圧の中で貫き通した信念

私どもSGIの平和運動の源流は、第2次世界大戦中に日本の軍部政府と戦い抜いた、創価学会の牧口常三郎初代会長と戸田城聖第2代会長の信念の闘争にあります。

牧口会長は20世紀初頭に著した『人生地理学』で、植民地支配の広がりによって世界の多くの民衆が苦しんでいる状況に胸を痛め、「競いて人の国を奪わんとし、之がためには横暴残虐敢て(はばか)る所にあらず」(『牧口常三郎全集』第1巻、第三文明社、現代表記に改めた)と警鐘を鳴らしました。

また、日本が軍国主義への傾斜を強め、その影響が教育にも色濃く及ぶ中で、1930年に『創価教育学体系』を世に問い、子どもたちの幸福と社会全体の幸福のために価値創造の力を養うことに教育の目的があると訴え、自ら実践の先頭に立ち続けました。

その信念は、国家総動員法が敷かれ、「滅私奉公」のスローガンの下、政治や経済から文化や宗教にいたるまで統制が進んだ時も変わることはなく、「自己を空にせよということは?である。自分もみんなも共に幸福になろうというのが本当である」(『牧口常三郎全集』第10巻)と、軍部政府の方針に痛烈な批判を加えたのです。

思想弾圧によって機関紙が廃刊を余儀なくされ、会合に特高刑事の監視がつくようになっても、一歩も退かずに声を上げ続けた結果、牧口会長は1943年7月、治安維持法違反と不敬罪の容疑で弟子の戸田理事長(当時)らと共に逮捕されました。

「表現の自由」「集会の自由」「信教の自由」のすべてが奪われ、投獄までされながらも、牧口会長は最後まで信念を曲げることなく、獄中で73年の生涯を終えたのです。

マンデラ元大統領の忘れ得ぬ言葉に、新しい世界を勝ち取る人間とは腕組みをした傍観者などではなく、「(あん)(たん)たるときでも真実を見限ることなく、あきらめることなく何度も試み、愚弄されても、屈辱を受けても、敗北を喫してもくじけない人」であるとあります(『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』長田雅子訳、明石書店)。

獄中で生涯を閉じたという事実だけを見れば、牧口会長の信念は結実をみなかったように映るかもしれません。しかし、その信念は、獄中闘争を共に貫いた戸田第2代会長に厳然と受け継がれ、途絶えはしなかったのです。

冷戦が深まる中で朝鮮戦争が起きた時、戸田会長の心を占めていたのは、「戦争の勝敗、政策、思想の是非」といった国際政治の次元で語られる関心事ではありませんでした。

「この戦争によって、夫を失い、妻をなくし、子を求め、親をさがす民衆が多くおりはしないか」と憂慮し、「人民がいくところがない。楽土にたいする希望がないほど悲しきことはない」(『戸田城聖全集』第3巻)と述べたように、その思いは牧口会長と同じく、何よりも民衆の窮状に向けられていたのです。

1956年にハンガリー動乱が起きた時にも、その眼差しは変わりませんでした。政治的な経緯もさることながら、「国民が悲痛な境遇にあることだけは察せられる」とし、「ただ、一日も早く、地上からかかる悲惨事のないような世界をつくりたい」と、時代変革の波を民衆の行動で起こすことを固く誓ったのです。

こうした信念に基づき、どの国の民衆も踏み台にされることのない世界を築く「地球民族主義」を提唱した戸田会長が、絶対に見過ごすことのできない一凶と捉えていたのが、民衆の生存の権利を根底から脅かす核兵器の問題に他なりませんでした。

であればこそ戸田会長は逝去の7カ月前に「原水爆禁止宣言」を発表し、核兵器の禁止と廃絶への道を切り開くことを、当時、青年だった私たちに託したのであります。