2018年のSGI提言

人間を隔てる壁を打ち破り 万人の尊厳を説いた釈尊

第6段
人間を隔てる壁を打ち破り 万人の尊厳を説いた釈尊

国と国をつなぐインフラの構築

次に第二の柱として挙げたいのは、分断を乗り越える人権教育の重要性です。

近年、移民と難民の急増に伴う入国管理の強化や資源の領有に関する係争など、国境を巡る問題がさまざまクローズアップされるようになってきています。

一方で、それとは正反対の動きが勢いを増していることが注目されます。

多くの国を直通で結ぶ鉄道をはじめ、国をまたいだ電力供給網やインターネットの海底ケーブルの敷設など、共通インフラの整備が広がっていることです。

最新の研究によると、これまで敷設された海底ケーブルは約75万キロ、鉄道は約120万キロといったように、その長さは、世界の国境線の総計である25万キロをはるかに上回る規模になっています。

また、こうしたインフラの構築に投入される費用は年間で3兆ドルに達し、世界全体の防衛費の年額(1兆7500億ドル)よりも多く、その差は広がる傾向にあるというのです。

この状況を踏まえて、地政学の見直しを提唱するシンガポール国立大学のパラグ・カンナ上級研究員は、次のように指摘しています(『「接続性」の地政学(上)』尼丁千津子・木村高子訳、原書房)。

「構築されたインフラの全体図が地図に記されていないために、国境線は、人が創造した地理を映し出すどんな手段より勝っているような印象を受ける。だが、今日では真実はその逆である。国境線が重要な役割を果たすのはあくまでその場のみで、他の線のほうが重要な場合がはるかに多いのだ」と。

共通インフラの構築は、EU(欧州連合)のような地域にとどまらず、緊張を抱える地域でも見られ、その利用を通じて互いに受ける恩恵が「自然の地理と政治的地理がそれぞれ抱えている問題点」を克服する契機にもなりうると強調しているのです。

国境線という「政治的な地理」の現実を踏まえつつも、共通インフラの果たす役割に着目し、「機能的な地理」の姿を浮かび上がらせようとしたカンナ氏の試みに、私は、先に言及した牧口初代会長の『人生地理学』を貫く眼差しと相通じるものを感じます。

地理への認識が人間や国家の行動に及ぼす影響を重視した牧口会長は、行動の基軸を「人道的競争」に置くこと、すなわち、「その目的を利己主義にのみ置かずして、自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめんとする」方法を意識的に選び取ることを呼び掛けていたからです(前掲『牧口常三郎全集』第2巻、現代表記に改めた)。

国境線がどの国にとっても譲れないものだとしても、越境して結ばれる共通インフラの線が増えれば、それだけ国と国との関係は豊かなものに変わっていく――。こうした動きは、牧口会長が提唱した「人道的競争」への萌芽ともいえるものではないでしょうか。

牧口会長の思想の根幹には〝価値は関係性から生じる〟という哲学がありましたが、異なる存在を結ぶつながりを広げることは、人権を巡る課題を前に進める上でも欠かせない要素であると私は考えます。マンデラが、白人の看守や看護師といった人々との個人的な結びつきを広げ、出獄後の政治活動の礎ともなった人間性に対する確信を深めていったように、さまざまな差異があっても、互いの関係性をプラスの価値を生み出す方向へと転じることはできるからです。

世界各地で広がる排他主義の動き

〝万人の尊厳〟を説いた釈尊が常に留意を促していたのも、言葉による固定化がもたらす危険性に他なりませんでした。

「生れによって〈バラモン〉となるのではない。生れによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである」(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)と、人間の尊さは属性を示す言葉で左右されるものではないと訴えたのです。

仏法に、「(おん)()(だん)()」という言葉があります。

仏と人間とを全く別の存在として立て分けてしまい、最極の生命状態(仏界)を得るためには、それ以外の生命状態(九界)をすべて(いと)い、そこから離れて、断ち切る以外にないと考えることを指し、それを戒めた言葉です。

日蓮大聖人はこの点を踏まえて、「二乗を永不成仏と説き給ふは二乗一人計りなげ(歎)くべきにあらざりけり我等も同じなげきにてありけりと心うるなり」(御書522ページ)と述べ、特定の人々の存在を根本から否定するのは、他者の尊厳を傷つけるだけでなく、自分の尊厳の土台を突き崩すことになると訴えました。

これは仏法の生命論的な視座ですが、人間の尊厳に対して障壁を設けることの危険性は、現代の人権問題を考える上でも看過してはならない点だと思えてなりません。

特定の人々を蔑み、遠ざけようとし、関係を持つことを嫌う排他主義が、世界各地で深刻な問題を引き起こしているからです。

昨年の国連人権理事会でも、排他主義に関する二つの決議が採択されました。

宗教などの違いに基づく不寛容と闘うことを求めた決議と、外国人嫌悪の行為などを防止するために人種差別撤廃条約の追加議定書の草案づくりを開始する決議です。

2年前に国連で採択されたニューヨーク宣言でも、「難民または移民を悪魔呼ばわりすることは、私たちが深く関わってきた全人類に対する尊厳と平等の価値を心の底から損ねている」(国連広報センターのウェブサイト)と警鐘が鳴らされていました。

もとより、自分が属する集団に愛着を感じるのは、自然な感情といえるものです。また、自分が住む地域に他国から来た人々を迎え入れることに不安や戸惑いを感じるのも、やむを得ない面があるかもしれません。

しかしそれが排他主義へと傾き、ヘイトスピーチのように憎悪や敵意をむき出しに差別をすることは人権侵害になります。