2018年のSGI提言

他者が抱える心の痛みと 真摯に向き合う生き方を

第7段
他者が抱える心の痛みと 真摯に向き合う生き方を

フィルターバブルが引き起こす問題

特に近年、情報社会化が進み、他者とつながる可能性は拡大しているにもかかわらず、ネット空間を通じて増幅するのは、同じような考えを持つ人々との一体感ばかりという現象がみられることが懸念されます。

「フィルターバブル」と呼ばれるもので、インターネットで情報を探す際に、利用者の傾向を反映した情報が優先的に表示され、他の情報が目に入りにくくなるため、知らず知らずのうちに特定のフィルターで選別された情報に囲まれて、バブルの球体の膜に包まれてしまったような状態になることを指します。

深刻なのは、社会問題を巡る認識でも、その傾向が顕著になりつつあることです。

気になる社会問題があっても、目にするのは、自分の考えに近い主張や解説が載ったウェブサイトやSNSの内容になってしまいがちで、異なる意見は最初から遠ざけられ、吟味の対象となることは稀だからです。

この問題に詳しいイーライ・パリサー氏は、「情報の共有が体験の共有を生む時代において、フィルターバブルは我々を引き裂く遠心力となる」と注意を喚起しています。

物事を適切に判断するためには文脈を把握し、さまざまな方位に目を配ることが必要となるはずなのに、「フィルターバブルでは360度どころか、下手をすると1度しか認識できない可能性がある」と、視野の狭さがもたらす悪影響に警鐘を鳴らしているのです(『フィルターバブル』井口耕二訳、早川書房を引用・参照)。

多様性の尊重に関する研究でも、社会で主流をなす集団の人々が、差別的な扱いを自分たちは受けずに済んでいる現実をさほど意識しないままでいることが、それ以外の人々に「生きづらさ」を感じさせる状況を助長してきたと指摘されています。

かつて、〝公民権運動の母〟と呼ばれるローザ・パークスさんとお会いした時(1993年1月)、語っておられた言葉が忘れられません。

「私は悲しい出来事をいくつもいくつも体験してきました。人種差別が、法律のもとで堂々とまかり通り、自分も含めて多くの人々が苦しむのを、何度も目の当たりにしています」

心の痛みをどれだけ強く感じようが、目に見える形で表さなければ、誰も気にとめようとはしない――。

あの歴史的なバス・ボイコット運動は、パークスさんの〝不正義に対する明確な拒否〟の姿勢が、多くの人々の胸に突き刺さったからこそ、大きな波動を巻き起こしたのではないでしょうか。

歴史の教訓を青年に語り継ぐ

日本でも、中国や韓国など近隣諸国の人々への差別意識が根強くみられることは、極めて遺憾と言わざるを得ません。

近隣諸国との相互理解と信頼の構築を目指し、私が長年にわたって交流を深める中で友誼を結んできた一人に、韓国の()寿()(ソン)元首相がいます。

李元首相の父君は、日本が植民地支配をしていた時代に判事の仕事に就きましたが、韓服を着て出勤し、日本語を話すことを強要されても、決して受け入れませんでした。そして、固有の名前を日本式に改める「創氏改名」を拒否したために判事の職を追われ、弁護士の仕事を始めようとしても開業を許されなかったといいます。

この李元首相から伺った話を含め、戦前と戦時中に非道な扱いを受けた近隣諸国の人々の心の痛みを日本の青年たちに語り継がねばならないとの思いで、私はことあるごとに歴史の教訓を訴えてきました。

昨年10月、創価大学で講演した李元首相は、「どんなに優れた人であっても、他者に対して傲慢であってはならない。また、ある民族が他の民族に対して、傲慢であってはならない」と呼び掛けましたが、日本で今なお続く差別をなくすためにも、若い世代が胸に刻んでほしいと願わずにはいられません。

ともすれば差別は、多くの人にとって無関係のものと受け止められがちです。しかし、社会的なマイノリティー(少数者)の立場に置かれてきた人々にとって、それは日常的に身に降りかかる現実なのです。

人権教育は、こうした差別を助長する〝無意識の壁〟の存在に目を向けさせ、日々の行動を見つめ直す契機となるものです。

私どもSGIが、人権教育の推進を通して力を入れてきたのも、エンパワーメント(内発的な力の開花)による一人一人の尊厳の回復と、「多元的で誰も排除されない社会」を共に築くための意識啓発です。

これまでSGIは、1995年にスタートした「人権教育のための国連10年」を支援するとともに、そうした国際的な枠組みの継続を呼び掛け、2005年から国連が新たに開始した「人権教育のための世界プログラム」を推進する活動を行ってきました。

その上で、多くの団体と協力しながら、「人権教育および研修に関する国連宣言」の採択を市民社会の側から後押しし、2011年の採択以降は、人権教育に関わる市民社会のネットワークづくりに取り組んできました。

また、人権教育映画「尊厳への道」を制作して上映会を開催してきたほか、昨年3月にジュネーブの国連欧州本部で行った新展示「変革の一歩――人権教育の力」の開催を各地で進めています。

映画や展示で紹介している事例の一つに、オーストラリアのビクトリア州警察での人権研修から広がった社会の変化があります。

ある捜査でLGBTと呼ばれる人々への不当な扱いが問題となったことを契機に、全職員を対象とする人権プロジェクトを導入した州警察では、移民の人々に対する厳しい態度も改められるようになりました。

警察官は「人」と「行為」を混同してはならない。あくまでも「人」は保護し、違法な「行為」があれば、その「行為」に対処する。これが、人権を基盤にした警察の責務である――との認識が徹底されていったのです。

以来、移民の人々の間でも変化が生じました。ある青年は語っています。

――悪いことをしていなくても、警察官が近づくだけで不安を感じていたが、ある時、「青年のためのリーダーシップ育成のプログラムに参加しないか」と声をかけられた。

プログラムに参加して、警察に対する印象も変わり、〝この国の警察官は、制服を着ていても同じ市民であり、普通の人間と変わらない〟と思うようになった――と。

こうして人権研修の導入をきっかけに、警察官の意識が変わり、移民の人々の不安も次第に解消される中で、警察に対する市民全体の信頼が高まっていったのです。

(いん)()()(もう)」の譬え

この事例が象徴するように、人権教育や人権研修の意義は、知識やスキルを身に付けるだけで完結するものではありません。

異なる集団の人々に対し、同じ人間として向き合う心を取り戻し、社会で共に生きていく関係を紡ぐことに眼目があるのです。

これまで「人権教育のための世界プログラム」では、5年ごとに重点対象を設け、①初等・中等教育、②高等教育と教育者や公務員等、③メディアとジャーナリスト、の三つの段階で進められてきました。

続く第4段階は2020年から始まりますが、私は、その重点対象を「青年」にすることを提唱したいと思います。

青年は、フィルターバブルの影響を受けやすい面がある一方で、人権教育で学んだ経験を周囲に語り、発信することで偏見や差別を克服する輪を広げていける存在です。

核兵器の禁止を求めるICANの活動の中核を担ったのも、20代や30代の青年たちでした。

人権の面からも、そうした世代が形づくられていけば、世界の潮流を分断から共生へと大きく転換できるに違いありません。

フィルターバブルや〝無意識の壁〟に囲まれていると、他者の人間性の輝きは目に映らず、自分に本来具わる人間性の輝きも曇らされて周囲に届かなくなってしまいます。

人権教育には、属性や立場の違いがつくり出す自他を隔てる壁を取り払い、自分にとっても、他の人々にとっても〝人間性の光〟を豊かに輝かせる場を広げる力があります。

大乗仏教に「(いん)()()(もう)」((たい)(しゃく)(てん)の宮殿を飾る網)の譬えがあります。

壮大な網の結び目の一つ一つに付けられた宝玉が、互いの姿を映し合う中で、それぞれの輝きを増し、網全体も荘厳されていくイメージに、私は、人権教育が切り開く社会のビジョンをみる思いがします。

人権教育に関する国連宣言が呼び掛ける「多元的で誰も排除されない社会」は、その〝人間性の光〟を豊かに受け合うつながりを幾重にも織り成す中で、力強く支えられていくのではないでしょうか。