2018年のSGI提言

人類の「生存の権利」を守る 核兵器禁止条約の発効を

第10段
人類の「生存の権利」を守る 核兵器禁止条約の発効を

続いて、これまで論じてきた〝一人一人の生命と尊厳〟の観点に基づき、地球的な課題を解決するための提案を行いたい。

第一のテーマは、核兵器の問題です。

昨年7月、核兵器禁止条約が122カ国の賛成を得て国連で採択されました。

核兵器の開発をはじめ、製造や保有、そして核兵器の使用とその()(かく)にいたるまで、全面的に禁止する条約です。

かつて国際司法裁判所は、核兵器の威嚇や使用は国際法に一般的に違反するとしながらも、国家の存亡に関わるような極端な状況の場合には、合法か違法かをはっきりと結論することはできないとの勧告的意見を示しました。

この核兵器禁止条約は、そのような場合も含めて、いかなる例外も認めず、一律に禁止するものに他なりません。

先月もICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞の授賞式にあわせるような形で、禁止条約の2回目の署名式が国連で行われたように、条約の発効に向けた努力が積み重ねられています。

その一方で、核保有国や核依存国の間では〝核兵器禁止条約は現実的ではない〟といった声が根強くあります。

しかし過去の歴史において、核兵器を一時は保有しながらも、非核の選択に踏み切った国の事例がないわけではありません。

例えば、南アフリカ共和国はデクラーク大統領が議会演説でアパルトヘイト(人種隔離)の廃止を約束した翌年(1990年)から、核兵器の解体に着手しました。

その後、核拡散防止条約(NPT)に加盟し、1996年には他の国々と共にアフリカ非核兵器地帯条約への署名を果たしたのです。

非核兵器地帯の設立の先駆けとなった中南米のトラテロルコ条約も、前文で「核戦争の惨害を一掃する」との文言に続いて、「全ての人の権利の平等」に基づく恒久的平和が掲げられていたように、〝非核の選択〟と〝人権の理念〟が分かちがたく結びつく形で誕生したものでした。

国際人権法の理念は、国の違いを問わず、一人一人の生命と尊厳を守ることを求めるものであり、その追求の先には核軍拡を続ける余地など残されているはずがありません。

(ひるがえ)って現在、北朝鮮の核開発を巡る情勢のように、核兵器の存在があからさまな〝威嚇の手段〟としての様相を再び強めている状況は、国際社会の深い懸念となっています。

また近年、アメリカとロシアの間で中距離核戦力(INF)全廃条約の遵守を巡る対立がみられることも憂慮されます。

国際法の歴史が築いてきたもの

核抑止政策の骨格は〝核兵器による威嚇〟にありますが、そこにひそむ問題を突き詰めて考える時、哲学者のハンナ・アーレントが提起した「他者を圧倒する自由意志」としての主権というテーマを思い起こします(『過去と未来の間』引田隆也・齋藤純一訳、みすず書房)。

アーレントは、古代ギリシャにおいて自由は、他者との交わりの中で〝()(げい)〟ともいうべき輝きをもって表れる言葉や振る舞いに息づくものとして捉えられていたのに対し、それが近代以降、他者への眼差しを欠いた自己の意志に基づく「選択の自由」の意味へと変容してきたとして、こう指摘しています。

「自由の理念が、行為から力としての意志へ移動し、行為のうちに具体的に明示される状態としての自由から選択の自由へと移動した結果、それは、前述の意味での至芸であることをやめ、他者から独立し、しかも最終的には他者を圧倒する自由意志の理想、すなわち主権となった」と。

アーレントはこの考察を通し、自由と主権の関係を論じましたが、壊滅的な被害をもたらす核兵器によって安全保障を確保しようとする国家のあり方は、「他者を圧倒する自由意志」の最たるものとはいえないでしょうか。

ある意味で国際法の歴史とは、国家に対して〝越えてはならない一線〟を明確化し、共通規範として打ち立てていく挑戦の積み重ねでもあったといえます。

16世紀から17世紀にかけてヨーロッパで続いた戦乱に胸を痛める中で、近代国際法の礎を築いたグロティウスは、『戦争と平和の法』で、敵といえども人間であることに変わりはなく、信義は守られなければならないと訴えました。

そしてその思想は19世紀以降、戦時における禁止事項を定めた国際人道法の形成につながり、20世紀の2度に及ぶ世界大戦を経て、国連憲章で「武力による威嚇または武力の行使」が一般的に禁止されたのです。

これまで生物兵器や化学兵器をはじめ、対人地雷やクラスター爆弾が、条約によって〝いかなる場合も使用が許されない兵器〟として一線が引かれたことを機に、保有を望み続ける国が減少するようになりました。昨年は化学兵器禁止条約の発効20周年でしたが、締約国は192カ国に達し、化学兵器の9割が廃棄されてきたのです。

国際規範はひとたび明確に打ち立てられれば、国家のあり方のみならず、世界のあり方を方向づけていく重みがあります。

CANのフィン事務局長も、ノーベル平和賞の授賞式で訴えていました。

「今日、化学兵器を保有することを自慢する国はありません。神経剤サリンを使用することは極限的な状況下であれば許されると主張する国もありません。敵国に対してペストやポリオをばらまく権利を公言する国もありません。これらは、国際的な規範が作られて、人々の認識が変わったからです」(NHKのウェブサイト)

そして今、条約の採択によって、核兵器が〝いかなる場合も使用が許されない兵器〟として明確化されるにいたりました。

国連のグテーレス事務総長も、「グローバルな緊張が高まり、軍事力が誇示され、核兵器の使用を巡って危険な言葉が交わされている」との強い警告を発しています。核兵器を巡る混迷が深まっている今だからこそ、核抑止政策の是非を真摯に問い直すべきではないでしょうか。