2020年のSGI提言

法華経が説く国土変革のドラマ 自分の足元から希望を灯す

第7段
法華経が説く国土変革のドラマ 自分の足元から希望を灯す

娑婆即寂光\(しゃばそくじゃっこう\)の法理

脅威に対して建設的に向き合うこのアプローチは、仏法の思想に根差したものです。

釈尊の教えの精髄が説かれた法華経には、「娑婆即寂光\(しゃばそくじゃっこう\)」という法理があります。

「娑婆」とはサンスクリット語の〝サハー(堪忍\(かんにん\))〟を漢語にしたもので、「娑婆世界」という言葉には、私たちが生きる世界は〝さまざまな苦しみに満ちた世界〟であるという釈尊の洞察が込められていました。

釈尊がこの洞察を土台にしつつも、「私は二十九歳で善を求めて出家した」(中村元『釈尊の生涯』平凡社)と宣言したように、それは厭世的\(えんせいてき\)な認識ではなく、根底には〝人々が苦悩に沈むことなく幸福に生きるにはどうすれば良いのか〟との真摯\(しんし\)な問いが脈打っていました。

釈尊の評伝を思想的な観点からまとめあげた哲学者のカール・ヤスパースが、「仏陀が教えるのは認識体系ではなく、救済の道である」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と述べたのは、その本質を突いたものといえましょう。

そこを外して、苦しみに満ちた世界という認識だけが先行すると、世界との向き合い方は誤った方向に傾きかねない。「自分だけが苦しみから解放されれば良い」といった考えや、「社会の厳しい現実として諦めるほかない」との無力感に陥ったり、「誰かが解決してくれるのを待つしかない」といった受け身的な生き方に流される恐れがあるからです。

釈尊の本意は、娑婆世界は〝堪え忍ぶしかない場所〟ではなく、〝人々が願ってやまない世界(寂光土\(じゃっこうど\))を実現する場所〟であると説き明かすことにありました。

この法理が具体的なイメージをもって描かれているのが、法華経の見宝塔品\(けんほうとうほん\)です。そこでは、釈尊の説法を聞くために集まった大勢の人々がいた場所、すなわち娑婆世界の大地から、尊極の光を放つ巨大な宝塔\(ほうとう\)涌出\(ゆじゅつ\)したことをきっかけに、娑婆世界が寂光土へと変わっていく様子を人々が目の当たりにする場面が描かれています。

13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人は、この「娑婆即寂光」の法理の要諦について、「\(ここ\)を去って\(かしこ\)に行くには\(あら\)ざるなり」(御書781ページ)と説きました。

つまり、人々が願い求める理想の「寂光土」は、どこか別の場所にあるのでも、手の届かない遠い場所にあるのでもない。

自分たちが今いる場所をそのまま「寂光土」として輝かせていく行動を広げることに、法華経のメッセージの核心がある――と。

大聖人の時代の日本でも、戦乱に加えて、地震や台風などの災害や疫病が相次ぎ、多くの民衆が苦悩に沈んでいました。

さらに当時の社会では、自分の殻に閉じこもることで現実から目を背けさせる思想や、人間は非力な存在にすぎないとの諦観を説く思想が蔓延しており、それがまた人々から生きる気力を奪う悪循環を生んでいました。

その中にあって大聖人は、法華経で説かれる国土変革のドラマの起点となった宝塔の出現について、「見大宝塔\(けんだいほうとう\)とは我等\(われら\)一身\(いっしん\)なり」(同740ページ)と述べ、苦しみに満ちた世界を照らした宝塔と同じ尊極の光が、自分にも他の人々にも具わっていることに目覚めることが、人間の限りない力を引き出す源泉になると説きました。

そして、一人一人が自らの生命を宝塔のように輝かせ、社会を希望で照らす行動を広げる中で、自分たちが望む世界を自らの手で建設することの重要性を訴えたのです。

ケニアから世界に広がった植樹運動

以前(2005年2月)、ケニアの環境運動家のワンガリ・マータイ博士と、自分の足元から新しい世界の建設に向けた希望を灯す挑戦について語り合ったことがあります。

たった7本の苗木の植樹から始まった「グリーンベルト運動」の思い出を振り返りながら、博士はこう述べていました。

「未来は未来にあるのではない。今、この時からしか、未来は生まれないのです。将来、何かを成し遂げたいなら、今、やらなければならないのです」と。

マータイ博士が春風のような笑顔をひときわ輝かせたのは、創価大学の学生たちが「グリーンベルト運動」の愛唱歌を博士の故郷のキクユ語で歌って歓迎した時でした。

「ここは私たちの大地

 私たちの役割は

 ここに木を植えること」

歌声に合わせて全身でリズムをとり、一緒に口ずさむ博士の姿を前にして、植樹運動がケニアからアフリカの国々に広がる原動力となった〝建設の挑戦を進める喜び〟がここにあると、感じられてなりませんでした。

思い返せば、博士と対談したのは、温室効果ガス削減の最初の枠組みとなった「京都議定書」の発効から2日後のことでした。

「京都議定書」の発効のような、歴史の年表に刻まれる出来事に比べると、マータイ博士がケニアで最初に始めた行動は目立たないものだったかもしれない。

しかし、博士が自分の足元で灯した希望の光は、歳月を経るごとに共感の輪を広げて、国連環境計画のキャンペーンなどの多くの植樹運動につながり、博士の逝去後も続けられる中で、現在まで150億本にものぼる植樹が世界で進められてきました。

また、昨年の国連の気候行動サミットでも、パキスタンやグアテマラなど多くの国が、合計で110億本以上の植樹を今後進めることを誓約したのです。

今も忘れ得ぬマータイ博士の言葉があります。

「私たちは、自らの小さな行いが、物事を良い方向に変えていることを知っています。もしこの行いを何百万倍にも拡大することができたなら、私たちは世界を良くすることができるのです」

〝建設の挑戦を進める喜び〟がどれだけの力を生み出すのかを、実感をもって訴えかける言葉ではないでしょうか。

SGIの「希望の種子」展では、このマータイ博士をはじめ、大気汚染の防止に取り組んだ未来学者のヘイゼル・ヘンダーソン博士など、自分の足元から行動の輪を広げた人々の挑戦を紹介してきました。

マータイ博士が行動を始めたきっかけは、故郷のシンボルとして大切に感じていたイチジクの木が経済開発のあおりで伐採されたのを知ったことでした。

また、ヘンダーソン博士が立ち上がった理由は、ニューヨークで深刻化していた大気汚染のために、幼い娘さんの肌がすすで汚れるようになったことでした。

いずれも、その原点には心に受けた強い痛みがあった。だからこそ博士たちは、「世界で欠けていてはならない大切なもの」が何かを、身に染みて感じたのだと思います。

二人は、その痛みを痛みのままで終わらせなかった。マータイ博士が〝木々を植えることは貧困と飢えのサイクルを断ち切り、平和を育む〟との思いを胸に植樹運動を広げ、ヘンダーソン博士が〝きれいな空気を子どもたちのために取り戻したい〟と願い、仲間と力を合わせて行動を起こしたように、自分たちが望む世界を現実にするための「建設」のエネルギーへと昇華させていったのです。

こうした数々の挑戦の物語を紹介する「希望の種子」展で最後に現れるのは、たくさんの葉をつけた1本の木のイラストを背景に〝空白〟が広がっているパネルです。

その〝空白〟は、一人一人が今いる場所で挑戦できることは何かを考え、その行動を「希望の種子」として世界に植えることを呼び掛けるメッセージとなっているのです。 

国連創設75周年を記念する取り組み

折しも国連では、創設75周年を記念して、「UN75イニシアチブ」と題する取り組みが今月からスタートしました。これは、人類が直面する多くの課題を見据えながら、「どのようにすれば、より良い世界を建設できるのか」について対話と行動を喚起するための取り組みです。

さまざまな形で対話の場を設け、特に国際社会から置き去りにされがちだった人々に重点を置く形で、世界中の人々が抱いている希望や恐怖に耳を傾けるとともに、その経験から学ぶことが主眼となっています。

こうした対話を通じて、国連創設100周年にあたる2045年に向けたグローバルなビジョンを描き出し、実現に向けた協働的な行動を推進することが目指されているのです。

国連では、対話の中心課題の一つとして気候変動を挙げています。

この絶好の機会を逃すことなく、それぞれの人々が深刻な脅威や課題を前にして感じている思いを、より良い世界の建設に向けてのポジティブな挑戦を生み出す糧にすることが大切ではないでしょうか。

気候変動による被害を受けてきた人々をはじめ、多くの人々の思いを、一つ一つのピースとして持ち寄ることを通し、今後築いていきたい世界のビジョンについて、人間としての実感に根差したイメージを共に重ね合わせていく――。

その対話を通じた共同作業と、ビジョンに対する共感の広がりがあってこそ、温暖化防止の取り組みを勢いづかせながら、持続可能な地球社会への確かな軌道を敷くことができると確信するのです。