2021年のSGI提言

各国の連帯が事態打開の礎に

第5段
各国の連帯が事態打開の礎に

大多数の国が同時に〝被災〟

次に第二の柱として強調したいのは、各国が立場の違いを超えて「連帯して危機を乗り越える意識」に立つことの重要性です。

新型コロナのパンデミックが招いた被害が、一体どれほどのものになるのか。

国連防災機関(UNDRR)は、「数多くの命と健康の痛ましい喪失」と「経済的・社会的な困窮」を防ぐための対応の重要性を指摘しながら、次のように述べています。

「雇用の喪失と収入の途絶による影響も加えると、これまで人類が経験してきたどの災害よりも、新型コロナウイルス感染症という単一の災禍によって被害を受けた人が多いといえるでしょう」と。

規模の大きさもさることながら、危機の様相が未曽有となっているのは、大多数の国がコロナ危機によって〝被災〟した状況にあることです。

21世紀に入ってからも、世界ではスマトラ島沖地震(2004年)をはじめ、パキスタン地震(2005年)、ミャンマーでのサイクロン被害(2008年)、中国の四川大地震(2008年)、ハイチ地震(2010年)など、巨大災害が発生してきました。

いずれも現地に深刻な被害を及ぼしましたが、被災直後の救援から復興にいたるまでの過程で、他の国々がさまざまな形で支援する流れが広がってきました。10年前の東日本大震災に対しても、たくさんの国が次々と支援の手を差し伸べてくれたことが、どれだけ被災地の人々を勇気づけたか、計り知れません。

災害時には、こうした国際的な連帯の輪の存在こそが、先の見えない不安を抱える被災地の人々にとって大きな心の支えとなるものだからです。

しかし現在のコロナ危機は、大多数の国が同時に〝被災〟しているために、状況はより混迷を深めています。

世界の国々を「航海を続ける一隻一隻の船」に例えてみるならば、すべての船が一斉に嵐に巻き込まれ、経験したことのない荒波にさらされる中で、コロナ危機という〝同じ問題の海〟にいながらも、別々の方向に押し流されてしまう危険性があるからです。

では、コロナ危機の克服という〝海図なき航海〟において、羅針盤となるものを、どのようにして探っていけばよいのか――。

かつて私が対談した歴史家のアーノルド・J・トインビー博士は、こう述べていました。

「私たちが手にできる未来を照らすための唯一の光は、これまでに経験してきたことの中にある」と。

そこで私が振り返りたいのは、かつて冷戦対立が激化する最中にあって、ポリオの感染拡大を防ぐためのワクチン開発で、アメリカとソ連が歩み寄って協力した史実です。

それまでポリオを予防する方法として「不活化ワクチン」が主に利用されていましたが、接種方法が注射に限られていた点に加えて、高価であるという問題点がありました。この課題を解消するべく、経口摂取が可能な「生ワクチン」の開発がアメリカで始められたものの、すでに「不活化ワクチン」の接種が進んでいたために、新しいワクチンの被験者になれる人が、それほどいませんでした。

一方のソ連では、当初、自国の子どもたちにも関わる問題とはいえ、敵対関係にあるアメリカとの協力には消極的でした。しかしソ連が、感染者の増加を憂慮して歩み寄りを模索するようになり、アメリカもソ連との協力の必要性を認識した結果、1959年以降、ソ連とその周辺国で大規模な治験が行われる中で、ついに「生ワクチン」が実用化にいたったのです。

当時、この「生ワクチン」によって、日本の多くの子どもたちが救われた出来事は、私自身、鮮烈な記憶として残っています。

ポリオが日本で大流行したのは、1960年のことでした。

その翌年も再び感染が広がり、連日のニュースで患者数が報じられる中で、ワクチンの投与を求める声が母親たちを中心に強まりました。その時、カナダから輸入された300万人分に加えて、ソ連から1000万人分もの「生ワクチン」の提供が受けられたことで、流行は急速に沈静化していったのです。

米ソ両国の協力の結晶ともいうべき「生ワクチン」の投与が、日本でも実現し、幼い子どもを持つ母親たちの間で安堵の表情が広がっていった光景は、60年の歳月が経った今でも忘れることはできません。