「足軽会」の中心者である福岡大祐(2013年〈平成25年〉12月に学会を会員除名)は、足軽会の意義について、足軽会のメンバーに対して長文のメールを送っています。そこには、〝足軽会のメンバーの結束が特別なものである〟ことを強調し、「足軽を抜けることは絶対に許されない」「(足軽を抜けることを)少しでも認める同志は叩き潰す」などと記されていました。
福岡らは、彼らが学生部幹部だった当時のことを、彼らの後輩である会員などが〝暗黒時代と批判した〟として、後輩である会員に対して面談を要求。この会員は、福岡らと2度ほど面談の場を持ちました。
しかし、福岡と元職員3人(小平秀一、滝川清志、野口裕介。2014年6月に会員除名)など足軽会メンバー10人は連携して、2007年10月から翌年2月までの約5カ月間にわたり、この会員に対してメールや電話で執拗に面談を要求し、追い詰めたのです。
彼らは〝対話〟と称して執拗に面談を迫りましたが、その中身はといえば、〝自分たちは正しい〟〝自分たちを批判した相手には必ず仏罰が下る〟との独善的な考え方に基づき、彼らの後輩である会員を追い詰め、屈服させようとするものでした。
足軽会のメンバーは、彼らの後輩である会員が職場で大阪への人事異動の辞令を受けたことをもって、この会員に対して、「間違いなく君の移動(※原文ママ)は『仏罰』である!もう一度いう、間違いなく『仏罰』である!」「君にはさらに仏罰がくだる。さらにくだる」「覚えておけ。厳しい仏罰はまだまだ続く事を」などと「転勤は仏罰」と決めつけて、威圧的な言葉を送り続けました。
足軽会のメンバーは、「逃げればさらに環境はくるしくなる」「逃げるのだけは許さんよ」「君は本当に何もなくなるぞ。本当にさらに生きることが苦しくなるぞ」など、過激な言葉を浴びせ続け、さらに「とにかく会わなければおさまらん。会ってまたさらに明確にしなければならん。会わなくても必ず会いにいくから待っていなさい」等、この会員に対して一方的に面談を強要してきました。
足軽会のメンバーは、面談要求をエスカレートさせ、ついに、2007年12月の暮れ、「足軽初の関西研修」と称して、メンバー10人で大阪にある会員の自宅にまで押し掛けました。彼らは会員が不在だとわかると、「また必ずきます」「また来ます!」「会って話し合わなければ絶対わからない」「必ず会おう!楽しみにしてるから」「約束通り会いにきました。再び会ってしっかり対話していこう!」など、10人全員で記した置き手紙を残していったのです。
その後も、足軽会のメンバーは連携して、「あなたに『会いたくない』という権利はない」「いつでも会いに行く。必ず会わなければならない」など、一方的にメールを送り続けました。
彼らの中心者である福岡も「仏法は勝負である。必ず会おう。会わなければ法は動かない」「私が間違っているならば法は厳然と私に仏罰を与える。君が間違っているならばまた君に法は厳然と仏罰を与えるだろう」などと、独自の「仏罰」論を持ち出して相手を威圧し、面談を迫ったのです。
彼らの後輩である会員は、収まることのない福岡らによるメールでの面談要求や、いつ再び集団で自宅に押し掛けてこられるかもわからない恐怖から、精神的に追い詰められ、不眠や眼けんけいれんに悩まされ、抑うつ症状が見られるようになり、医師による治療が必要な状態にまで追い込まれました。
深刻な事態に発展したことを受け、2008年5月、本部指導監査委員会は、足軽会のメンバーと、彼らが攻撃・批判の対象とした会員ら双方に対して、指導しました。
その上で、足軽会のメンバーに対しては、足軽会は学会で厳禁とされている組織内組織であり、その存在が集団的な問題行動を起こすに至った要因であるとして、グループを解散するよう指導し、誓約書の提出を求めました。
これに対して、足軽会のメンバーは、〝グループはすでに解散して存在しない〟などと言い張り、同委員会の指導を受け入れず、誓約書を提出しませんでした。しかし、実際には、足軽会は一貫して存続していたのです。
〝自分たちこそ正しい〟との独善的な考え方に固執し、指導にも従わず、ウソで騙してまで、グループ活動を継続させる──これが足軽会の実態なのです。
(創価新報2018年5月16日付)