創価学会についてQ&A for YOUTH

5. 〝対話〟の目的は「相手を屈服」「謝罪の強要」

元職員らの中傷ちゅうしょう行動について

5. 〝対話〟の目的は「相手を屈服(くっぷく)」「謝罪(しゃざい)強要(きょうよう)

足軽会(あしがるかい)のメンバーは、〝対話が必要だ〟などと(さか)んに主張していますが。

彼らの〝対話〟とは、(かた)らいを通して相互理解(そうごりかい)を深めるという本来(ほんらい)の対話の姿(すがた)とは(まった)くかけ(はな)れたものです。

前回紹介(しょうかい)しましたが、足軽会のメンバーが彼らの後輩である会員(以下、後輩会員Aと記載(きさい))に対して集団で連携し行った執拗(しつよう)な面談要求(ようきゅう)は、その象徴的(しょうちょうてき)事例(じれい)です。

福岡大祐(ふくおかだいすけ)(2013年〈平成25年〉12月に学会を会員除名(じょめい))を中心とする足軽会のメンバーは、後輩会員Aに対して、彼らが学生部幹部をしていた当時を〝暗黒時代と批判(ひはん)した〟として、2007年秋から面談要求を始めました。

足軽会のメンバーが入れ()わり立ち替わり面談要求をしていく中、後輩会員Aは、福岡らに対して、彼らと会うことに恐怖を感じていることを、メールで伝えていました。

しかし、それでもなお、足軽会のメンバーは連携して後輩会員Aにメールを送り()け、「全員を(てき)に回したのは他ならぬお(まえ)だ!」「(だん)じて(ゆる)さん!」「無視(むし)するなら3ヶ月後(きみ)に会いにいく」「もう(あやま)る必要はない。生涯(しょうがい)君の悪を粉砕(ふんさい)するまで戦うのみだ」などと面談を要求(ようきゅう)しました。

さらには、実際に足軽会(あしがるかい)メンバー10人で大阪に住む後輩会員Aの自宅に()()け、引き続き面談を要求する(むね)()き手紙まで(のこ)したのです。

そもそも、対話というのは、双方合意(ごうい)のうえで行われるものですが、彼らは相手の意向(いこう)無視(むし)して一方的に面談を強要(きょうよう)しており、口では〝対話〟と(しょう)していますが、その実態(じったい)は〝対話〟とは程遠(ほどとお)い、(まった)異質(いしつ)のものなのです。

彼らは〝対話〟と口では言いながら、相手の意向を無視して、面談を強要していたのですね。

面談要求を受けた後輩会員の中には、やむなく彼らとの面談に(おう)じた会員(以下、後輩会員Bと記載(きさい))もいました。

この後輩会員Bと足軽会メンバーとの面談は、彼らの面談要求に応じるとどういう結果になるのか、彼らが言う〝対話〟の実態をより一層(いっそう)()()りにするものでした。

足軽会のメンバーが学生部幹部をしていた当時、何人もの学生部員が、彼らに精神的に()()められて、学会活動に出られなくなるなどの被害(ひがい)()っていました。そうした被害事例(じれい)見聞(みき)きした後輩会員Bは、方面の幹部に報告・相談していました。

ところが、足軽会のメンバーは、それを、〝後輩会員Bが幹部に()(ぐち)した〟として逆恨(さかうら)みし、後輩会員Bと同じ地域の先輩であった滝川清志(たきがわきよし)(2014年6月に学会を会員除名(じょめい))が、2008年2月、この後輩会員Bを呼び出し、()め立てたのです。

面談において滝川は、後輩会員Bをどのように責め立てたのでしょうか。

滝川は後輩会員Bに対して、約3時間にわたって一方的に謝罪(しゃざい)(せま)ったり、他の足軽会メンバーとも面談するよう要求しました。

滝川は、後輩会員Bが自分たちに相談することなく方面の幹部に報告したのが「卑怯(ひきょう)だ」などと、筋違(すじちが)いに責め立てました。

これに対して、後輩会員Bは、〝方面の幹部に相談することが部員さんを守ることだと思った〟と説明。しかし、滝川は、後輩会員Bの言い分を全く聞き入れませんでした。

それどころか、滝川は、後輩会員Bに対して、「壮年部、婦人部とあらゆるところに、僕は知り合いがいる」「職員でもある」「あらゆる手を使ったならば、君をいっぺんに組織から追放(ついほう)することができる」と言い(はな)ち、「(後輩会員Bが)組織の中で戦えなくなることは明確(めいかく)だ」などと、自分が職員や幹部であることを誇示(こじ)して威圧(いあつ)

それでもなお謝罪(しゃざい)の意思を見せない後輩会員Bに対して、「だったなら、僕、(つぶ)すね」「全力(ぜんりょく)で潰すよ」などと(おど)したのです。

当然のことながら、職員や幹部であることを誇示し、その立場を使って〝君を潰す〟などと会員を威圧することは、到底許(とうていゆる)されることではありません。

このような滝川の威圧的な言動(げんどう)は、地元組織でも問題となりました。結局、滝川は(みずか)らの言語道断(ごんごどうだん)行為(こうい)によって、後輩会員Bに対して、謝罪文を書くに(いた)ったのです。

()()でも、相手に〝間違(まちが)っていた〟と(みと)めさせようとしたのですね。

このように彼らの〝対話〟とは、相手の主張などおかまいなく、彼らが批判(ひはん)攻撃(こうげき)対象(たいしょう)とした相手が、彼らに屈服(くっぷく)・謝罪するまで徹底(てってい)して攻撃するという威圧行為にほかなりません。

所詮(しょせん)、〝自分たちは正しい〟ということを強引(ごういん)に認めさせるための「手段(しゅだん)」としての、「対話」「面談」でしかないのです。

自分たちの言い分が聞き入れられれば〝対話は成立(せいりつ)〟。聞き入れられなければ〝対話が不在(ふざい)だ〟と(さわ)ぎ立てる──これが、足軽会の「対話」の実態(じったい)なのです。

(創価新報2018年6月20日付)