彼らの〝対話〟とは、語らいを通して相互理解を深めるという本来の対話の姿とは全くかけ離れたものです。
前回紹介しましたが、足軽会のメンバーが彼らの後輩である会員(以下、後輩会員Aと記載)に対して集団で連携し行った執拗な面談要求は、その象徴的な事例です。
福岡大祐(2013年〈平成25年〉12月に学会を会員除名)を中心とする足軽会のメンバーは、後輩会員Aに対して、彼らが学生部幹部をしていた当時を〝暗黒時代と批判した〟として、2007年秋から面談要求を始めました。
足軽会のメンバーが入れ替わり立ち替わり面談要求をしていく中、後輩会員Aは、福岡らに対して、彼らと会うことに恐怖を感じていることを、メールで伝えていました。
しかし、それでもなお、足軽会のメンバーは連携して後輩会員Aにメールを送り付け、「全員を敵に回したのは他ならぬお前だ!」「断じて許さん!」「無視するなら3ヶ月後君に会いにいく」「もう謝る必要はない。生涯君の悪を粉砕するまで戦うのみだ」などと面談を要求しました。
さらには、実際に足軽会メンバー10人で大阪に住む後輩会員Aの自宅に押し掛け、引き続き面談を要求する旨の置き手紙まで残したのです。
そもそも、対話というのは、双方合意のうえで行われるものですが、彼らは相手の意向を無視して一方的に面談を強要しており、口では〝対話〟と称していますが、その実態は〝対話〟とは程遠い、全く異質のものなのです。
面談要求を受けた後輩会員の中には、やむなく彼らとの面談に応じた会員(以下、後輩会員Bと記載)もいました。
この後輩会員Bと足軽会メンバーとの面談は、彼らの面談要求に応じるとどういう結果になるのか、彼らが言う〝対話〟の実態をより一層浮き彫りにするものでした。
足軽会のメンバーが学生部幹部をしていた当時、何人もの学生部員が、彼らに精神的に追い詰められて、学会活動に出られなくなるなどの被害に遭っていました。そうした被害事例を見聞きした後輩会員Bは、方面の幹部に報告・相談していました。
ところが、足軽会のメンバーは、それを、〝後輩会員Bが幹部に告げ口した〟として逆恨みし、後輩会員Bと同じ地域の先輩であった滝川清志(2014年6月に学会を会員除名)が、2008年2月、この後輩会員Bを呼び出し、責め立てたのです。
滝川は後輩会員Bに対して、約3時間にわたって一方的に謝罪を迫ったり、他の足軽会メンバーとも面談するよう要求しました。
滝川は、後輩会員Bが自分たちに相談することなく方面の幹部に報告したのが「卑怯だ」などと、筋違いに責め立てました。
これに対して、後輩会員Bは、〝方面の幹部に相談することが部員さんを守ることだと思った〟と説明。しかし、滝川は、後輩会員Bの言い分を全く聞き入れませんでした。
それどころか、滝川は、後輩会員Bに対して、「壮年部、婦人部とあらゆるところに、僕は知り合いがいる」「職員でもある」「あらゆる手を使ったならば、君をいっぺんに組織から追放することができる」と言い放ち、「(後輩会員Bが)組織の中で戦えなくなることは明確だ」などと、自分が職員や幹部であることを誇示して威圧。
それでもなお謝罪の意思を見せない後輩会員Bに対して、「だったなら、僕、潰すね」「全力で潰すよ」などと脅したのです。
当然のことながら、職員や幹部であることを誇示し、その立場を使って〝君を潰す〟などと会員を威圧することは、到底許されることではありません。
このような滝川の威圧的な言動は、地元組織でも問題となりました。結局、滝川は自らの言語道断の行為によって、後輩会員Bに対して、謝罪文を書くに至ったのです。
このように彼らの〝対話〟とは、相手の主張などおかまいなく、彼らが批判・攻撃の対象とした相手が、彼らに屈服・謝罪するまで徹底して攻撃するという威圧行為にほかなりません。
所詮、〝自分たちは正しい〟ということを強引に認めさせるための「手段」としての、「対話」「面談」でしかないのです。
自分たちの言い分が聞き入れられれば〝対話は成立〟。聞き入れられなければ〝対話が不在だ〟と騒ぎ立てる──これが、足軽会の「対話」の実態なのです。
(創価新報2018年6月20日付)