創価学会についてQ&A for YOUTH

6. 足軽会の存在と結束を何よりも優先

元職員らの中傷ちゅうしょう行動について

6. 足軽会(あしがるかい)の存在と結束(けっそく)を何よりも優先(ゆうせん)

元職員3人らは、彼らが結成したグループを、〝同窓会のようなものだ〟と主張していますが。

そもそも、彼らは独善的(どくぜんてき)な考え方を持ったグループをつくり、問題行動を()こし、学会と会員に迷惑(めいわく)をかけてきた集団です。

一般的(いっぱんてき)に同窓会とは、かつて同じ時を過ごした者同士が一時的に集い合い、()りし日の思い出を(なつ)かしむといったものですが、彼ら「足軽会」のつながりは、同窓会とはおよそかけ(はな)れたものです。

中心者である福岡大祐(ふくおかだいすけ)(2013年〈平成25年〉12月、学会を会員除名(じょめい))が、足軽会のメンバーに送った長文のメールは、彼らが独自のグループ(組織内組織)であることを如実(にょじつ)(しめ)すものでした。

福岡は、足軽会を「同じ原点(げんてん)を持つ同志」の集まりであり、〝たとえ学会の中にあっても築くべき(ぜん)連帯(れんたい)である〟などと()べています。

また、福岡は「足軽の信仰(しんこう)」などと、彼ら足軽会の信心が特別なものであるかのように、メンバーに書き送っています。

すでに本連載でも紹介(しょうかい)した通り、福岡は「足軽を()けることは絶対に(ゆる)されない」「(足軽を抜けることを)少しでも(みと)める同志は(たた)(つぶ)す」などと〝足軽会の固い結束〟を強調していますが、そのような彼らが同窓会などであるはずはありません。

もともと、足軽会というグループは、彼らの組織人事への不満(ふまん)について学生部幹部に抗議(こうぎ)したメンバーの集まりにすぎません。実際、福岡がこのメールの中でも「自分も、あの時、卒業覚悟(そつぎょうかくご)で会社(=学会本部)の先輩(せんぱい)でありまた幹部に立ち上がった足軽同志に心から感謝(かんしゃ)しています。またその心を忘れることはない」と書いている通りです。

彼らの結束がいかに特殊(とくしゅ)なものであるのか、それは現在の彼らの居住形態(きょじゅうけいたい)からも一目瞭然(いちもくりょうぜん)です。

普通の学会員もそうであるように、彼らも、もともとはそれぞれが(ちが)う地域で離れて()らしていました。

ところが、本部指導監査(かんさ)委員会で足軽会の解散(かいさん)を指導された後、元職員3人をはじめ他のメンバーは、福岡が住んでいる地域に次第(しだい)(うつ)り住み、現在ではおよそ半径100メートルの範囲(はんい)に足軽会のメンバーが暮らしており、なかには、同居(どうきょ)しているメンバーもいます。

小平秀一(こだいらしゅういち)滝川清志(たきがわきよし)(2014年6月、会員除名)にあっては、福岡の自宅から数軒(すうけん)離れたところに(なら)んで住宅(じゅうたく)購入(こうにゅう)しています。

このように居住形態(きょじゅうけいたい)からみても、彼らの結束(けっそく)は、その()らしぶりにまで(およ)んでおり、彼らが同窓会とは(まった)異質(いしつ)の集まりであることは明らかです。

彼らは足軽会(あしがるかい)の結束を、今も強固(きょうこ)(たも)ち続けているのですね。

足軽会を〝学会の中にあっても築くべき善の連帯〟と意義づけている彼らの特徴(とくちょう)は、〝自分たちこそが正しい〟との独善的(どくぜんてき)な考え方に(もと)づいている点です。

彼らは、〝自分たちが学生部幹部をしていた当時のことを暗黒時代と批判(ひはん)した〟として、後輩である会員らを批判・攻撃(こうげき)対象(たいしょう)とし、後輩会員が彼らに屈服(くっぷく)謝罪(しゃざい)するまで、〝対話〟と(しょう)した執拗(しつよう)な面談要求(ようきゅう)(おど)しまがいの言動(げんどう)など威圧行為(いあつこうい)に及びました。

その結果、彼らが批判・攻撃の対象とした後輩会員が、彼らの執拗な面談要求によって精神的に()()められ、治療(ちりょう)が必要なほどの深刻(しんこく)事態(じたい)(いた)り、彼らの問題行動は本部指導監査(かんさ)委員会で取り上げられました。(「4.集団で威圧的な言葉浴びせ、追い詰める」「5.〝対話〟の目的は「相手を屈服」「謝罪の強要」」を参照)

同委員会は、彼らが結成した足軽会の存在が集団で問題行動を()こすに至った要因(よういん)であるとして、グループを解散するよう指導しました。

本来であれば、学会からの指導を真摯(しんし)に受け止めるのは当然のことです。

しかし、彼らは学会の指導を受け入れず、〝自分たちは正しい〟との独善的な考え方を優先(ゆうせん)して、実際にはグループを存続(そんぞく)させていたにもかかわらず、〝足軽会はすでに解散して存在しない〟と誤魔化(ごまか)し、グループを解散しなかったのです。

現在、彼らは〝自分たちこそが学会精神を体現している〟〝自分たちを処分(しょぶん)した学会本部は間違(まちが)っている〟などと主張していますが、このこと自体、彼らが一貫(いっかん)して、学会の指導よりも彼らのグループの存在と結束を優先する独善的な考え方に基づく「組織内組織」であったことを(あらわ)しています。

彼らは、学会の指導よりも自分たちの考え方を優先して問題行動を起こしたにもかかわらず、反省もせず居直(いなお)り続けたのですね。

御書には、「(そう)じて日蓮が弟子檀那(だんな)等・自他彼此(じたひし)の心なく水魚(すいぎょ)(おもい)()して異体同心(いたいどうしん)にして南無妙法蓮華経と(とな)(たてまつ)(ところ)生死一大事(しょうじいちだいじ)血脈(けつみゃく)とは()うなり、(しか)も今日蓮が弘通(ぐつう)する処の所詮是(しょせんこれ)なり、()し然らば広宣流布(こうせんるふ)大願(だいがん)(かな)うべき(もの)か」(1337㌻)と(おお)せです。

日蓮大聖人の仰せのままに、学会員が「異体同心(いたいどうしん)の信心」を(つらぬ)いてきたがゆえに、今日まで世界広宣流布(こうせんるふ)は進んできたのです。

戸田先生は、「どこまでも『異体同心』の精神がなければ、広宣流布はできない。『異体同心』の精神に(そむ)くならば、日蓮大聖人の教えに背くものである」と指導されています。

しかし、彼らは大聖人の仰せに(はん)し、独善的(どくぜんてき)な考え方に(もと)づいた活動によって、異体同心の広布の組織を攪乱(かくらん)したのです。

所詮(しょせん)、「破和合僧(はわごうそう)」をなした「師子(しし)身中(しんちゅう)の虫」──それが、彼ら足軽会(あしがるかい)なのです。

(創価新報2018年8月1日付)