仏法の視点から

論(RON)――日蓮仏法の視点から

論(RON)――日蓮仏法の視点から第3回 社会を変革する力

関西男子部教学部長 石田仁

尊極な仏の生命は万人に具わる

真の連帯をわが地域から

御聖訓

 「千草万木・地涌の菩薩に非ずと云う事なし」

 7月中旬まで、約1カ月にわたって開催されたサッカー・ワールドカップ。日本では、皆で集まって観戦し、大いに盛り上がる若者たちの姿があちこちで見られた。ここでは、人々が心の底で求める「一体感」をキーワードに、社会を変革するための力について考察したい。

挿絵

W杯に熱狂する若者たち

 普段はサッカーにあまり興味がなくても、ワールドカップの時だけは深夜や早朝、テレビの前で手に汗を握った人も多かったのではないだろうか。
 熱戦の模様とともに、ニュースがこぞって伝えたのが、試合に熱狂する人々の様子だ。テレビには、パブリックビューイングなどの場で「ニッポン」を連呼し、日本代表の攻守に一喜一憂する人々の姿が、しばしば映し出された。
 日本は1次リーグで敗退。しかし、試合に負けた後も、多くの若者が繁華街に繰り出し、ハイタッチを交わすなどして盛り上がった。
 同様の現象は、前回の大会でも起きていた。社会学者の古市憲寿氏は、著書の中で、こうした若者の姿をナショナリズムとの関係で論じつつ、「日本をネタにただ盛り上がっているに過ぎなかった。ワールドカップにおける『日本』というのは、一瞬で消費される商品と何一つ変わらないのである」と記している(『絶望の国の幸福な若者たち』講談社)。
 若者たちの盛り上がりは、特段、ナショナリズム的な色彩を持つようなものではない――試合の結果にかかわらず起きる〝純粋なお祭り騒ぎ〟を思う時、こうした指摘にもうなずける。
 その上で私は、これらの盛り上がりには、若者たちが求める〝何か〟が表れているのではないかと思う。それは〝一体感への欲求〟とでもいうべきものである。

挿絵

排他的な「一体感」の悲劇

 「皆と一緒に何かをしたい」。これは、おそらく多くの人々が本然的に持つ欲求であろう。たくさんの仲間と「一体感」を味わうことで喜びや感動は増すし、自分が集団の中にいることで、一種の安心感を得られるからだ。
 こうした欲求を満たす枠組みがスポーツである限り、それは〝健全〟なものといえよう。
 しかし、その一体感の源泉が特定の「民族」や「言語」など、人間の出自や存在基盤に関わるものである場合は注意が必要だ。それは道を誤ると、排他的な「民族主義」(あるいはナショナリズム)へと発展する危険性を持つからだ。さらに、こうした民族主義に基づいて権力や領土をめぐる争いが起こると、それは容易に暴力の爆発へと進んでしまう。
 今年、国際社会に大きな衝撃を与えた事件の一つは、ウクライナ領であったクリミアが、隣国のロシアに「編入」されたことだ。
 ウクライナ東部ではロシア語を母語とするロシア系住民が、独立を求めて武力闘争を始めた。ウクライナ政府と武装勢力との戦闘は今も続いており、双方に多数の死傷者が出ている。その多くは青年たちだ。ほんの少し前まで隣近所の住民として暮らしてきた人々が、ある日を境に武器を取り、殺し合う。これまでも世界各地で起きた「民族対立」による悲劇が、現在も繰り返されている。

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仏法が説く根本的な共通性

 一体感や連帯感の基盤を、何に求めるか。それによって、こうした欲求が平和と建設の方向へ進むのか、争いと破壊の方向へ進むのかが分かれてしまう。
 今や全世界に広がったSGI(創価学会インタナショナル)。民族や言語、文化的背景を超えた連帯には、世界の識者から驚嘆と称賛の声が寄せられている。
 では、SGIの「一体感」「連帯感」の源泉は何か。
 それは、端的に言えば、万人の生命が平等で、最高に尊貴であるという仏法の哲理だ。また、広宣流布と世界平和という崇高な目的に向かって進む「師弟の絆」であり、「同志の結合」である。さらには、一人一人が、広宣流布を誓って今世に出現した「地涌の菩薩」であるとの確信が、創価の同志の連帯の基盤となっているといえよう。
 文化や民族、言語などの差異を超えた人間の大連帯。この姿自体が、日蓮仏法の普遍性と偉大さを証明するものであるが、仏法が指し示す「共通の基盤」は、「同じ信仰を持っている」という次元にとどまらない。
 学会員であるか否かにかかわらず、全ての人間は共通の「生命の大地」を持つ――そのことを仏法は教えているのだ。
 池田先生は『法華経の智慧』で、戸田先生の「仏とは生命なり」「我、地涌の菩薩なり」との獄中の悟達に関連して、次のように述べられている。
 「〝足下を掘れ、そこに泉あり〟という言葉は有名だが、自身の根源を掘り下げていく時、そこに万人に共通する生命の基盤が現れてきた。それが永遠の宇宙生命です。戸田先生は、まさに自身の根源を悟られるとともに、〝あらゆる人が、じつは根本においては地涌の菩薩である〟という人類共通の基盤を悟られたのです。その〝生命の故郷〟を知ったのが、学会員です」
 あらゆる人が根本においては地涌の菩薩とは、どういうことであろうか。
 従地涌出品についての「御義口伝」には、「千草万木・地涌の菩薩に非ずと云う事なし」(御書751㌻)と仰せだ。地涌の菩薩というと、私たちは普通、「人」を思い浮かべる。しかしここでは、万物を生み、育み、生死を繰り返しながら一切を生かそうとする〝宇宙という大生命の「働き」〟を指していると考えられる。
 池田先生は、こう言われている。
 「宇宙の慈悲とは『本有の仏界』の力用である。また『本有の菩薩界』の力用であり、これが地涌の菩薩の働きなのです。ゆえに総じては、宇宙の生きとし生ける一切のものが神聖なる地涌の菩薩なのです。別しては、この生命の法に目覚めた者を地涌の菩薩と呼ぶのです」
 法華経には、地涌の菩薩について「無量百千万億の国土の虚空に遍満せるを見る」(創価学会版法華経455㌻)とも記されている。地涌の菩薩は、まさに宇宙にあまねく満ちる存在として表現されているのだ。
 仏法の英知は、人間の生命を掘り下げていった時、そこに宇宙に満ちた慈悲の働きと一体の尊極なる大地が現れてくることを教えている。それは信仰の相違をも超えた、より根本的な「共通性」であり、「一体性」であるといえよう。
 池田先生は、こうも述べられている。
 「人種や民族に、自分たちの〝ルーツ〟を求めても、それは虚構です。砂漠に浮かぶ蜃気楼のようなものだ。人類共通の〝生命の故郷〟にはなれない。むしろ、他者との差異ばかりを際立たせ、対立・抗争の元凶となってしまう。今、求められているのは『人間観の変革』です。これが変われば一切が変わる」
 私たち人間は、〝生命の根っこ〟においては、同じ基盤を持つ同胞なのだ――こうした思想を広げていくことが、平和を創り、真に平等で民主的な社会を築く原動力となる。

挿絵

「足元から」行動を起こす

 では、私たちはどうすれば社会を変革できるのか。長年、貧困問題に取り組んできた「反貧困ネットワーク」事務局長の湯浅誠氏は、次のように述べている。
 ――世の中を変えるには、多くの人が〝もっとデカイことを〟と発想するが、現実に苦しむ人たちに寄り添い、目の前のことに向き合えなければ、結局は足元をすくわれる。面倒だが、さまざまな民意を調整し、人々を結びつけていくこと。自分たちにできる「その積み重ねだけ」が、社会を豊かにする――と(『ヒーローを待っていても世界は変わらない』朝日新聞出版、要旨)。
 「足元から」行動を起こす。「わが地域」で地道な取り組みを繰り返し、人々を結びつけていく。このようにして育まれた「一体感」こそが、社会をより良い方向へと変革する力となっていく。その実践者となる豊かな可能性が、私たち学会員の生き方にも脈打っているのではないだろうか。
 福井のある男子部メンバーは、中学2年の時、大好きだった兄を病気で亡くした。ショックから自暴自棄になり、荒れた生活を送るように。周囲から厳しい視線を浴び、高校も退学。心を閉ざした。そんな時、男子部の先輩が、何度も自宅に足を運んでくれた。
 根負けして、会合に顔を出すようになった。「ありがとう、また来ての」。いつも喜んで迎えてくれる壮年・婦人部の姿に触れ、少しずつ心の壁が溶けていった。人を避けていた自分が、いつしか人と関わりたいと願うようになり、人の幸せを真剣に祈っていた。
 彼には、引きこもりの友人がいた。足しげく励ましに通い続けた真心が届き、共に会合に参加するように。そして、温かな創価の世界に触れた友人は、進んで入会。本年、創価班大学校生として2世帯の弘教を実らせた。〝蘇生〟のドラマの連鎖は、大きな感動を広げている。
 奈良のある男子部の友は、経営する建設会社が苦境に陥っていた5年前に入会した。わらをもつかむ思いで祈りながら、毎日、必死で働いた。折伏にも挑み、これまで7人の友を入会に導いた。
 ある日、気がついた。今までの人生では経験のない充実感を、毎日味わっている。人のために尽くす喜びを知り、他人の支えにも心から感謝できるようになった。
 「学会活動できることが、何よりの幸せだと実感するようになりました」と。
 彼の地道な励ましに触れ、10人以上のヤング男子部メンバーが立ち上がり、この上半期、部では8世帯の弘教が実った。清新な決意で活動に駆ける一人一人の姿は、地域の希望となっている。
 多くのメンバーが口々に語ること。それは「同志と共に歩めることがうれしい」ということだ。師弟の理想へ向かって、〝地涌の友〟との一体感をかみしめつつ、自らがなすべきことを積み重ねていく人生――そこに真の充実があり、幸福がある。
 人間と人間を結びながら、より良い社会を築いていく。その挑戦を、今いる場所から起こしていきたい。

(創価新報2014年8月6日号)