仏法の視点から

論(RON)――日蓮仏法の視点から

論(RON)――日蓮仏法の視点から第4回 「誓」に生きる

北陸男子部教学部長 土山勝弘

「仏の大願」を「わが誓願」に!

「広宣流布の信心」に無量の功徳が

御聖訓

 「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」

 1982年(昭和57年)9月、池田先生は恩師・戸田城聖先生の生誕の地・石川で「誓」と揮毫された。何があろうと、弟子の誓いは揺るがない――。これが「誓願の北陸」の魂である。広布の前進にあって、その重要性が強調される「誓願」。本稿では、日蓮仏法における「誓願」の意義について考察したい。

挿絵

師弟共戦の歌を高らかに

 ■<歌印>ああ誇りなり コスモスと
 レンゲの薫る 故郷に
 ああ常楽の 北陸は
 いざや謳わん 幸の広布を
 ……

 第1次宗門事件の渦中にあった1978年(昭和53年)8月、池田先生は北陸の歌「ああ誓願の歌」を作詞された。その歌詞には、前年の秋に北陸の同志が届けた、立山の麓の「コスモス」が歌われている。
 「ああ誓願の歌」は、同志の真心に応え、先生が何度も推敲を重ねられた師弟共戦の歌である。荒れ狂う迫害の吹雪の中で北陸の友はこの歌を口ずさみ、〝創価の旗〟を掲げ続けた。
 6年後の84年(同59年)8月26日、先生は石川・金沢市内で開かれた第1回「北陸平和文化祭」に出席。「ああ誓願の歌」の大合唱を聴かれ、後年、このようにつづられている。
 「『この歌声が聞きたかったのだ!』と、私は何よりも嬉しかった。初代、二代、三代と貫き通してきた創価の『勇気』を、そのまま受け継いだ北陸の友の心の響きが凝結していたからだ」と。
 何があろうとも、我らは師匠と共に、この「誓願」の道を歩み抜くのだ!――あの大合唱には、北陸の同志の不屈の思いが込められている。この日は後に、8・26「北陸の日」となった。我らの不滅の原点である。

挿絵

いかなる苦難も越えて

 日蓮大聖人の「誓願」とは、そもそも何であったのか。
 それは「大願とは法華弘通なり」(御書736㌻)と仰せの通り、「世界広宣流布」の実現である。言い換えれば、全民衆の幸福の実現であり、世界平和を実現することにほかならない。
 大聖人は、立宗に当たって、深い思索と熟慮を重ねられた。正法を弘通すれば、必ず「三障四魔」が競い起こることを覚悟された上で、「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ」(同200㌻)と、不退転の決意で、広宣流布への第一歩を踏み出された。
 「開目抄」ではさらに、いかなる大難が吹き荒れようとも、身命を賭して、妙法流布に生き抜くとの誓願が示されている。有名な次の一節である。
 「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん(中略)大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(同232㌻)
 当時、大聖人は佐渡に流罪された「罪人」の身。鎌倉にいる門下も、所領没収、投獄などの過酷な弾圧を受け、多くが退転してしまった。
 辛うじて残った門下の心にも、「大聖人は本当に法華経の行者なのか」「法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか」との疑念が渦巻いていた。
 大聖人は、こうした疑問に「開目抄」での思索を通して明確に答えられるとともに、「諸天の加護の有無」といった次元を超えて、何があろうと広布に生き抜くとの「覚悟」「誓願」を示された。そのことによって、弟子たちもまた、いかなる苦難があろうとも、同じ「誓願の信心」に立って、広宣流布へ生き抜くことを呼び掛けられたのである。

挿絵

世界広布実現の原動力

 700年の時を超え、大聖人の「誓願」を、わが誓願として立ち上がったのが、創価三代の会長である。
 初代会長・牧口常三郎先生が使用されていた御書には、「開目抄」の「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」との一節に朱線が引かれていた。戦時中、非道な軍部政府と戦い抜かれた牧口先生は、70年前の1944年(昭和19年)11月18日に獄中で殉教された。
 牧口先生と一緒に牢に入った第2代会長の戸田先生は生きて牢獄を出られ、創価学会の再建に立ち上がられた。そして日本における75万世帯の折伏の達成を誓い、それを成就されたのである。
 池田先生もまた、この「開目抄」の一節を心に刻み、幾多の大難を乗り越え、第3代会長として世界広布の道なき道を開かれてきた。
 先生の不屈の闘争によって、大聖人の太陽の仏法は、民族や言語の差異を超えて、全世界に広がった。大聖人の「大願」であった「世界広宣流布」を、初めて学会が現実のものとしたのである。その原動力こそが「広宣流布の誓願」であり、「師弟の誓願」であった。

挿絵

学会と共に生き抜く

 「誓願」に生き抜く人生ほど、尊く、価値あるものはない。
 大聖人は、青年門下であった南条時光に宛てたお手紙で、次のように仰せである。
 「願くは我が弟子等・大願ををこせ(中略)をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ」(御書1561㌻)
 これは、熱原の法難の渦中にあった時光ら弟子たちに対して、断じて妙法流布に生き抜くのだとの覚悟を促された御書である。
 池田先生は、この御文を通して、次のように言われている。
 「わが身は『つゆ』のようにはかなく、『ちり』のように取るに足りない身かもしれない。その身も『大願』を起こすことで、法華経の大海と一体化して永遠に失われない身となる。また、妙法の大地となって、永遠に朽ちることがない。大願を起こせば仏の大境涯に連なるのだ、とのお約束です」(『御書の世界』第1巻)
 広宣流布という仏の「大願」「誓願」に生き抜くことで、わが身には仏界の生命が脈動してくる。私たちは、仏の大境涯に連なっていくことができるのである。
 単に、自身の安穏や成功を願うのではない。友の幸福を祈り、地域の繁栄や平和の実現を願って行動していく。たとえ苦境に陥ろうとも、一度立てた「誓い」を貫いていく。
 その中にこそ、偉大な境涯革命がある。その行動に、無限の勇気と智慧、そして無量の功徳があふれ出てくるのである。
 「誓願に生きる」といっても、決して特別なことではない。それは、広宣流布の団体である創価学会の中で、同志と共に、生涯にわたって、生き抜いていくことである。師匠の指導を学び、実践することである。学会活動の目標、自身の生活の課題に挑戦し続ける日々の行動の中にこそ、「誓願」の実現があると確信する。

挿絵

新たな人材が躍動

 第1回「北陸平和文化祭」での「ああ誓願の歌」の大合唱から本年で30年。8月24日、石川・富山の両県で「創価青年大会」が晴れやかに開催された。
 富山の青年大会で、コーラス隊の一員として参加した男子地区リーダー。彼の父親は30年前の「北陸平和文化祭」に出席し、師弟共戦を誓った一人である。〝自分も父のように、池田先生との原点を築きたい!〟と、彼は懸命に練習と折伏に挑戦。本年、2人に弘教を成し遂げ、青年大会には、その2人の友人と共に出演を果たすことができた。
 石川のある男子部員は、3年前の創価青年大会の演目に出演。しかし、その少し前、母親のがんが再発し、「余命は1カ月」と医師から宣告された。〝今こそ、自分の信心の戦いで諸天善神を揺り動かそう!〟と、毎日、仕事や学会活動、青年大会の練習に全力を尽くした。
 迎えた当日、青年大会を大成功で終え、病室の母のもとへ。母親は息子の成長を泣いて喜び、安らかに霊山へ旅立った。彼は「最高の親孝行ができました」と、悔いなく母を見送れた思いを語ってくれた。
 現在は、男子部の部長として活躍し、今年、2人の友人に弘教を実らせた。また、本年の青年大会の出場者の激励に全力で取り組むなか、部に新たな人材が陸続と立ち上がっている。
 師匠と共に自身の勝利を飾る。〝師弟共戦の誓い〟こそ、北陸の誇りだ。その精神は、世代を超えて、脈々と受け継がれている。
 先月の創価青年大会では、先生が作詞された学会歌「誓いの青年よ」を参加者が力の限りに歌った。
 その1番の歌詞には、次のように記されている。

 ■<歌印>誓いの青年よ 出発は今
 広布の大願 いざや果たさん
 時代を変える 力はここに
 地涌の青春 挑み舞いゆけ

 この歌詞の意義について、先生は随筆でつづられた。
 「『青年』と書いて『きみ』と読むようにしたのは、『きみ』と『私』が一対一で結びついた共戦の誓いこそ、師弟の根幹であるからだ」
 師弟の絆に、物理的な距離は関係ない。一人一人が師匠の指針を心に刻み、「広布の誓願」に生き抜いていく。そこに、世界広布の新時代は開かれるのだ。その先頭を、私たち北陸青年部が走っていきたい。

(創価新報2014年9月3日号)