仏法の視点から

「時間革命」

「時間革命」時代を創る―日蓮仏法の視座から(6)

髙橋毅 男子部教学室主任

広布の最前線で「時」を創れ
徹して苦労し祈り抜け 仏の大生命力がわいてくる!

御聖訓「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」

近年、交通手段や情報伝達スピードの飛躍的な進展に伴い、「時間」の価値がますます高まっている。書店に行けば必ずといってよいほど「時間の活用術」といった関連本が並ぶ。「団塊の世代」の大量退職の影響で仕事量が増えた青年も少なくない。私自身も時間のやりくりに悩み、何度も現実の壁にぶつかってきた。ここで、現代を生きる上での「時間革命」の在り方を、日蓮仏法の視座から考察してみたい。

◆「回り道」も使命に

「一念」という言葉は、極めて短い時間を表す。

親指と中指で人さし指をつまみ、急に人さし指をはずして音が発する時間を「弾指」と呼ぶ。さらに、それを60等分した最小時間を「一念」という。「一念」の、もう一つの重要な意味は、私たちの「瞬間の生命」「瞬間の心」ということである。

天台大師は法華経を解釈し、「一念三千」――すなわち、私たちの瞬間の生命(一念)に宇宙の森羅万象の全て(三千)が収まっていると説いた。

自身に本来具わる仏の生命を開き顕すならば、宇宙大の境涯を開き、いかに苦悩に満ちた境遇も必ず打開することができる、との宿命転換の原理である。

日蓮大聖人は、この原理を、末法の私たちが現実にわが身に体現できるよう、根本となる「本尊」と「修行法」を打ち立てられた。

すなわち、南無妙法蓮華経の御本尊を信じ、題目を唱え抜くならば、一人ももれなく、成仏の大境涯を開いていける。その「永遠の幸福の軌道」を明かされたのである。

境涯が変われば、時間のもつ意味も根底から変わる。「回り道」のように思えた苦闘の日々も、妙法の偉大さを証明する価値ある使命の日々へと転換できるのである。

挿絵

◆「永遠性」に連なる

一念の力は、いかに偉大であるか――その究極を教えられたのが、次の御義口伝の一節と拝されよう。 

「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書790ページ)――南無妙法蓮華経と唱えるわが一念に、億劫にもわたる辛苦、労苦を尽くし、仏道修行に励んでいくならば、本来、自身の持っている無作三身の仏の生命が瞬間瞬間に起こってくる。純真に弛みなく唱え抜いていく修行が南無妙法蓮華経なのである――と。

池田先生は、この御文は大聖人の御境涯を述べられたものであるとされ、こう綴られている。

「私たちに即していえば、広宣流布のために苦労し、祈り抜いていくならば、仏の智慧が、大生命力がわいてこないわけはないということです」

広宣流布の情熱を瞬間瞬間に燃やしていくことは「永遠性」に連なることともいえよう。苦労が大きければ大きいほど、より大きな価値を創造していけるのである。

◆「臨終只今にあり」

日蓮大聖人は御指南された。「所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を『是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣』と説かれて候」(御書1337ページ)――臨終只今にありと悟って信心に励み、南無妙法蓮華経と唱える人を法華経普賢菩薩勧発品には「是の人は命が終われば、千仏が手を授け、恐怖せず、悪道に堕ちないようにされる」と説かれている――。

臨終只今にありとの真剣な覚悟で南無妙法蓮華経と唱える人は、永遠の幸福境涯、永遠の生命の大確信に生きられるとの仰せである。

挿絵

しかし多くの人にとって、自分の死を切実に考えることは、容易なことではない。

そうした思いをくまれたのであろうか、「臨終只今」について戸田先生は語られた。

「私はまた一歩ふみこんで、こう読んでみました。

もし大聖人様が、ただ今おわしますとしたときに、大聖人様の臨終がただ今にありと思うならば、病気で寝てなんかおられますか。どうしても御本尊様の前に飛んでいかなければならない。そして真剣に題目を唱えるでしょう。

臨終ただ今にありは、わが身の臨終か、夫の臨終か、わが子の臨終か、いずれにしても臨終ただ今にありと思って南無妙法蓮華経を唱える者には『千仏手を授ける』すなわち絶対に幸せにしてやるというのです」

仏様の臨終を思え、家族との別れを思え、そうして生命のありのままの姿を直視して、大聖人の教えに迫っていけ、と戸田先生は教えられたのではないだろうか。

この一生で成仏できるか否か――それは、瞬間瞬間に、何を思ったか、行動したか、あるいはしなかったかによって決まっていく。一瞬一瞬が「勝負」なのだ。

ある同志に言われて、ハッとしたことがある。

「帰宅して題目三唱する。その時の三遍の題目に、信心の姿勢が表れる」と。

日々の勤行・唱題も、友の激励もそうだ。〝いつものこと〟とせず、一回一回、一遍一遍に、どれだけ深い思いを込めていけるか。その真剣勝負の積み重ねによって、揺るぎない「信心」が、築き固められていくに違いない。

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◆「勝つ」と決めて祈る

池田先生は、仕事と学会活動の両立に悩む男子部員に、次のような励ましを送っている。

「人間は厳しい状況下に置かれると、ともすれば、具体的にどうするかという前に、もう駄目だと思い込み、諦めてしまう。つまり、戦わずして、心で敗北を宣言しているものなんです。実は、そこにこそ、すべての敗因がある。

自分は仕事も学会活動もやりきるのだと決め、時間を見つけて、ともかく真剣に祈ることです。そして、生命力と知恵をわかせ、工夫していくことです」

両立を勝ち取る第一の要諦は、真剣に祈ること。〝絶対にやりきる!〟と決めて祈る。そこに生命力と知恵は、無限にわいてくる。

その上で、具体的に工夫したいのは「優先順位を決める」ことであろう。体は一つ。一度に全てをやりきることはできない。焦らず落ち着いて、期限と重要度から取りかかる順番を決め、着手することが大事である。生命力がないと、これができない。

また「見方を変える」ことも大切だ。サイコロの「1」の裏には「6」がある。困難な課題の裏には、前向きな意味が隠れているものである。嫌な面だけにとらわれて足踏みしていてはもったいない。今、置かれている状況の見方を変え、一歩踏み出していってはどうだろう。時間がないからこそ、あえて、職場への早朝出勤、いわゆる〝朝勝ち〟に挑戦している友も多い。

詰まるところ、「時間革命」とは、限られた時間を何に使うかという「価値観」を問うことともいえよう。

挿絵

◆「毎自作是念」の心

私たちが毎日読誦している法華経寿量品の自我偈には、こうある。

「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」

――私(釈尊)は常にこのことを念じている。どのようにすれば、衆生を、無上の道に入らせ、速やかに仏身を成就させることができるだろうか、と――。

何もかも最初から分かっているのではない。「どうしたら、あの人を、この友を、幸福の軌道に入らせることができるか」と常に考えている、悩んでいる、祈り続けている――それが仏の心だというのである。

いつも心に何を抱いているかに、人間の本質が表れる。「常に何を祈っているか」が、その人の境涯だ。

大聖人は「いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書1558ページ)と仰せになった。

この大精神に直結し、広宣流布への「毎自作是念」を貫いてきたのが創価学会の三代会長である。

「一人の新たな真の同志をつくる。それから、一人また一人とつくっていく。これが、とりもなおさず、時をつくることになる」とは、戸田先生の至言である。

池田先生は語られた。

「一日一日が大事である。一日で一週間、十日分の価値を創ろう、一年を十年分に生きぬこう――これが私の信条である」

この稀有なる師匠の偉大な闘争の息吹に包まれて、広宣流布という最高のロマンに、青春を燃焼させていける私たちは、何と幸せな一人一人であることか!

私たちの「意識革命」「境涯革命」にこそ、最高の充実をもたらす真の「時間革命」がある。

池田先生は、私たち青年に呼び掛けられた。「時を待つのではない。動きに動いて、勝利の時を創るのだ」と。

環境を嘆いている暇があったら、一分一秒でも、喜び勇んで広布の最前線へ!――きょうも、この心意気で「人間革命の世紀」の栄光の扉を、力強く開いていきたい。

(創価新報2012年5月16日号)