仏法の視点から

「病と闘う青春」

「病と闘う青春」時代を創る―日蓮仏法の視座から(3)

山口雅明 男子部教学室主任

すべてを永遠の幸福への追い風に

御聖訓「病によりて道心はをこり候なり」

初めに、自身の体験からしるさせていただきたい。

2003年の夏ごろから体調不良の日々が続き、原因が分からぬまま病院を転々とした。詳しく検査した結果、「強直性脊椎炎」であることが判明。膠原病の一種で東京都指定の特定疾患(難病)であった。頸から背中、腰、手足の関節が痛み、こわばり、これらの部位が次第に動かなくなって変形したりする病気である。

原因不明のため、根治療法がない。医師の話に、頭の中が真っ白になり、「学会活動をしているのになぜ?」と、心の動揺を抑えることができなかった。

気が付くと、御本尊の前に座り、涙を流しながら題目を唱えていた。弱気な自分と格闘しながら唱題していたある日、「大白蓮華」に掲載された、池田先生の指導が目に留まった。

「地涌の菩薩というのは、もともと頑健なのです。私は結核で血を吐いてきたけれども、頑健だと決めてきたのです」

闘う前から「病気という〝気分〟」に負けてしまっているのだ!――との叱咤の言葉であった。

肺を病み、医師から「30歳まで生きられないだろう」と言われながらも、青春のすべてを広宣流布のため、恩師・戸田先生のために捧げられた池田先生。その先生と同じ〝病と闘う青春道〟を歩めることに、誇りと勇気が湧いてきた。

「必ず宿命転換します!」と誓い、仏法対話に走った。その中で、念願の弘教を実らせることができた。

挿絵

◆病の意味の大転換

日蓮大聖人の仏法は、病をどうとらえるのか――。「妙心尼御前御返事」には、こうしるされている。

「この病は仏の御計らいであろうか。そのわけは、浄名経、涅槃経には、病がある人は仏になると説かれている。病によって仏道を求める心は起こるものである」(御書1480ページ、通解)

また「太田入道殿御返事」には、入道の病気の報告を受けて「ひとたびは歎き、ふたたびは悦んだ」(同1009ページ、通解)と述べられ、病気になったことを悦ぶ理由として、浄名経(維摩詰経)や涅槃経などの文を引かれている。

すなわち、大乗の菩薩や仏は、衆生を教化するために、あえて自ら病の姿を現じたこと、そして私たちが妙法を根本とするならば、いかなる病との闘いも、宿命転換への直道となることを教えられたのである。

釈尊が「生老病死」という人間の根源的苦悩を見つめて仏教を開いたと伝えられるように、病は誰人も避けることのできないものである。

この生ある者の宿命ともいうべき病の意味を、日蓮仏法は、広宣流布という最高に尊い使命の舞台に立った地涌の菩薩の「名演」へと、180度転換したのである。

挿絵

◆地涌の菩薩の実像

生死を超えた強き絆

しかし、病との闘いは一筋縄ではいかない。症状が悪化し、思うように体が動かせないと、何度も不安と葛藤に押しつぶされそうになる。

そんな時、大きな支えとなったのは――2度の脳梗塞を乗り越えた母と、私と同じ病で戦っている同志の存在だった。

闘病中、母は見舞いに訪れる人を逆に励ますほど明るかった。入院中に出会った方とも積極的に交流し、仏縁を広げていった。現在は後遺症もなく、地域広布の最前線で戦っている。逆境をバネに生き抜く、信心の鑑である。

同じ病と闘う同志と出会ったのは2年前。医師から「じっと動かずにいる方が症状を悪化させるから、動く方がいい」とアドバイスされたそうだ。

以来、その方は〝これは人のために動く病だ〟と決めて、広布の活動に奔走したという。その体験を聞いて、目から鱗が落ちる思いだった。

我が地域でも、病が原因で身体に障がいを持つメンバーが、勇んで牙城会の任務や会合への参加に挑戦している。その労苦を厭わぬ姿は、神々しいまでに輝き、私たちを励ましてくれる。

この方々こそ「地涌の菩薩」であると私は確信する。

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◆健康社会の柱

WHO(世界保健機関)は「健康とは、単に病気がないとか虚弱でないだけではなく、身体的にも精神的にも、さらに社会的にも完全に良好な状態をいう」(保健大憲章)と定義している。

この〝身体的、精神的、社会的によい状態〟とは、いかなるものであろうか。

ストレス研究の第一人者として有名なハンス・セリエ博士は、健康的な生き方の条件として①思いやりと尊重②人生の目標③他者に尽くすこと、を挙げていた。

健康社会を築き、支えゆく柱とは、まさに「すべての人を幸福に!」との闘志に燃え、妙法を弘めゆく地涌の菩薩の生き方ではないだろうか。

◆限りない希望

池田先生と対談した、〝アメリカの良心〟と呼ばれたジャーナリストのノーマン・カズンズ氏も、かつて膠原病と闘われた。氏の透徹した信念は「意志の力としての楽観主義」であり、「希望」であった。

仏典(倶舎論)にも「希望」は身体を長養し、寿命を延ばす力があることが説かれている。

私の「希望」は、広宣流布のために思う存分、五体を使うことだ。広宣流布という大目的に立てば、病苦さえ前進の原動力となる!

宿命転換を可能にする仏法に巡りあえたこと。限りない「希望」の道を開いてくださった人生の師に出会えたこと。

この無上の幸せをかみしめ、感謝しながら、二度と来ない「今日」という一日一日を完全燃焼していきたい。師の道に続いて!

挿絵

■池田名誉会長の指導から

「病気の人は、仏界という崇高な山に登りゆく練習をしていると、思ってください。いずれ、山頂に立って、永遠に素晴らしい眺めを楽しむために、今、坂を一つ一つ、越えているのだと思ってください。

さらにまた、彼方に輝く常楽の希望の島に向かって、今、荒波を泳いでいる時であると思ってください。

すべてが、自分自身の三世にわたる、素晴らしき勝利のための栄光の記録を作っているのであると、生き抜いてください。

ともあれ、妙法を持った人に無駄はない。たじろいでも、恐れても、悲しんでもならない。

すべてが、永遠の幸福のための追い風となることを、忘れないでください」(1996年9月、岩手県総会へのメッセージ)

(創価新報2011年10月19日号)