男子部「御書活」研鑽 2012年

11月度「辦殿尼御前御書」

前進の人こそ生命の勝利者11月度「辦殿尼御前御書」

11月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では「辦殿尼御前御書」を研鑽。あらゆる障魔に打ち勝つ「不退の信心」の重要性について学ぶ。

御文

第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし、しかりと・いえども弟子等・檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり(御書1224ページ)

通解

第六天の魔王は、十種の魔の軍勢を用いて戦を起こし、法華経の行者を相手に、生死の苦しみの海の中で、凡夫と聖人が共に住んでいるこの娑婆世界を「とられまい」「奪おう」と争っている。日蓮は、その第六天の魔王と戦う身に当たって、大きな戦を起こして、二十数年になる。その間、日蓮は一度も退く心はない。しかし弟子等・檀那等の中で臆病の者は大体、退転し、あるいは退転の心がある。

挿絵

背景と大意

本抄は、文永10年(1273年)9月、日蓮大聖人が52歳の時に佐渡の一谷で認められ、鎌倉の弟子の辦殿(日昭)および辦殿に縁のある門下の尼御前に送られたお手紙と推察される。

この2年前の文永8年(1271年)9月12日、大聖人は「竜の口の法難」に遭われ、佐渡に流罪となった。一方、鎌倉にいる門下への迫害も激しさを増し、弟子の中でも退転者が多く出たが、尼御前は勇敢に信心を貫き通した。

大聖人は本抄で、建長5年(1253年)の立宗宣言から20年余、この現実の世界を舞台に、「法華経の行者」として「第六天の魔王」と熾烈な闘争を繰り広げてきたと振り返られ、「日蓮一度もしりぞく心なし」と断言されている。

さらに臆病な弟子の多くが退転していく中で、尼御前は師匠と共に信心を全うしてきたとたたえられ、自ら頼みとする召し使いを、わざわざ大聖人のもとに遣わしたことは、釈迦・多宝・十方の諸仏もご存じであろうと深く感謝されている。

挿絵

「戦う」「勝負」「勝つ」――学会員はこうした言葉をよく口にする。

「平和を目指す仏教団体なのに、〝戦う〟ってどういうこと?」と友人から質問を受けることも少なくない。

平和といっても、一人の人間が変わることから始まる。幸福になることから始まる。

広宣流布とは、人間の幸福を〝妨げようとするもの〟との戦いである。その相手は決して遠くにいるのではない。自身の生命に内在すると、仏法は洞察する。

一人一人の生命の奥底には、尊極の仏性が具わっているが、同時に「元品の無明」も具わっている。

「元品の無明」とは、生命に具わる根源的な無知であり、ここから人間の尊厳に対する不信や、他者への蔑視が生まれる。人間の不幸と悲惨の根本的な原因が、ここにあるのだ。

日蓮大聖人は本抄で、「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう」と仰せである。

本来、この現実世界は第六天の魔王が支配する国土とされる。法華経の行者が正法を弘めようとすると、第六天の魔王が自身の領土を奪われまいとして、魔の軍勢を率いて襲いかかってくるのだ。

挿絵

「十軍」とは、さまざまな煩悩を魔軍として10種類に分けたものである。『大智度論』には、こうある。

――①欲②憂愁(憂えること)③飢渇(飢えと渇き)④渇愛(五欲に愛着すること)⑤睡眠⑥怖畏(怖れること)⑦疑悔(疑いや悔い)⑧瞋恚(怒り)⑨利養虚称(利を貪り、虚妄の名聞に執着すること)⑩自高蔑人(自らおごり高ぶり、人を卑しむこと)――

衆生が住む世界を支配しようとする第六天の魔王が、これら「十軍」を従えて、あらゆる手段を使い、法華経の行者を惑わし、圧迫してくるのである。

では、この「十軍」に対して大兵を起こすとは何か。それは「己心の魔」との真剣勝負を開始することだ。

大聖人は、第六天の魔王の正体について、「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(御書997ページ)と断じられている。

真の平和建設を阻む「一凶」とは、この生命に巣食う「元品の無明」にほかならない。

御聖訓には「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(同751ページ)とある。

「元品の無明」を打ち破るには、生命の尊厳を説き明かした妙法への「信」を根本にする以外にない。

人生で直面するさまざまな困難も、「勝つか、負けるか」「挑むか、逃げるか」「自分を信じるか、信じないか」の戦いであり、本質的には無明と向き合うことともいえる。

挿絵

妙法への「信」、換言すれば「必ず乗り越えられる」「必ず幸せになれる」「必ず広宣流布を実現する」という強い一念を失ってしまえば、人生の困難にも、広布の途上の障魔にも負けてしまう。

その「信」を奮い起こすのが題目である。

大聖人は続いて、「日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり」と仰せである。

大聖人が「南無妙法蓮華経」の大法を打ち立てられた、建長5年の「立宗宣言」以来20年余――。権力の魔性に魅入られた為政者や聖職者たちは、大聖人を亡き者にしようと数々の迫害を加え続けた。弾圧は門下にも及び、投獄や追放、所領没収などが相次ぎ、「或はをち或は退転の心あり」とあるように、多くの者が退転していった。

だが大聖人は堂々と宣言された。「日蓮一度もしりぞく心なし」と。

何があっても前へ!――「勇気」「挑戦の心」「不退転の信心」がある限り、必ず壁は破れる。「臆病にては叶うべからず」(同1282ページ)である。

池田名誉会長は語っている。「毅然と広宣流布へ『前進し続ける』ことができれば、その人はもう勝っている。生命の勝利者なのです」と。

油断や慢心があれば、その心の隙を突いて、障魔は襲ってくる。ゆえに我らは勇んで広布に戦い続けたい。

昨日よりも今日、今日よりも明日へと日々、自身に打ち勝ち、境涯を広げながら――。

挿絵

創立の精神

一人立つ弟子が正義を語り抜く

学会の創立記念日である11月18日。この日は、牧口初代会長が殉教された日でもある。

牧口先生の御書には「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(232ページ)の一節に朱線が引かれていた。獄中にあっても、日蓮大聖人の師子吼の通りに身命をなげうち、「立正安国」の旗を掲げて戦われたのだ。

民衆の幸福のため。この一点で、いかなる迫害にも屈せず一人立つ。これが創立の月に刻まれた精神である。

この魂を継いだ戸田第2代会長によって、75万世帯の弘教は達成。そして池田名誉会長の手により、創価のスクラムは世界192カ国・地域へと大発展を遂げた。「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり」(御書1360ページ)との仰せのままに、民衆救済の仏法を現代によみがえらせたのは創価の三代会長の一人立つ闘争であった。

11月は、徳島にとって忘れ得ぬ月だ。

池田先生は1981年(昭和56年)11月9日、第1次宗門事件の暗雲を払って徳島を訪問。そこから正義の反転攻勢が本格的に始まった。また本年は11・14「四国青年部の日」制定から1周年を迎える。

さあ創立の月。「一人立つ精神」で正義を語り抜き、徳島から新たな勝利の暁鐘を打ち鳴らしてみせる。

徳島総県教学部長 青木信利

(聖教新聞2012年10月30日付掲載)