男子部「御書活」研鑽

9月度「四条金吾殿御返事」

「法華経の兵法」で挑め9月度「四条金吾殿御返事」

9月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「四条金吾殿御返事」を研鑽。広布と人生に勝利するための「法華経の兵法」を学ぶ。

御文

なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず(御書1192㌻)

通解

  どのような兵法よりも、法華経の兵法を用いなさい。「あらゆる敵は、皆ことごとく打ち破る」(法華経薬王品第23)との金言は、決して空言であるはずがない。

挿絵

背景と大意

  本抄は、日蓮大聖人が鎌倉の門下の中心的存在であった四条金吾に送られたお手紙で、弘安2年(1279年)の御述作とされている。その内容から別名を「法華経兵法事」「剣形書」ともいう。
 当時、金吾は極楽寺良観の信奉者である主君・江間氏を折伏したことで疎まれ、同僚からの圧迫も激しくなっていく。しかし、大聖人の御指南通り、主君に誠実な振る舞いを貫き、弘安元年には以前の3倍の領地を受け取るなど勝利の実証を示した。こうした状況の中、金吾は敵の襲撃を受ける。本抄は、敵に襲われたが難を脱したとの報告に対する御返事である。
 大聖人は、金吾が無事であったことは「日ごろの用心」「勇気」「強い信心」のたまものであると述べられる。そして、「法華経の行者」を守護することが諸天善神の誓願であり、いかなる兵法よりも「法華経の兵法」を用いていくことが勝利の肝要であると教えられ、強盛な信心を奮い起こしていくように励まされている。

挿絵

師弟不二の祈りは無敵

  人生は勝負である。健康、仕事、家庭、地域、人間関係……。私たちは直面するさまざまな試練や苦難に際して、常に自分が勝つか、負けるかが問われる。
 そうしたさまざまな苦難を打ち破り、幸福な人生を勝ち取る秘術を、日蓮大聖人は「法華経の兵法」と教えられている。
 襲撃を逃れた四条金吾に対し、大聖人は、〝決して剣術の才能によって無事であったと思ってはならない〟と指摘されている。そして、日本と中国の武将の例を通し、いかに武勇があり、戦術に長けていても、運や果報がなければ勝利することはできない、との道理を示される。
 〝再び襲撃があるかもしれない〟〝断じて金吾に命を落とさせまい〟――本抄には、金吾の「慢心」を打ち破られようとする大聖人の御慈愛が感じられてならない。
 そもそも「兵法」とは、戦闘の作戦や武術のことを指す。私たちにとっては、生活万般において、より良い結果を得るための方法といえる。
 今、生活の知恵や仕事の作法など、あらゆる「マニュアル」があふれている。また、自身の経験から導き出す「独自の方法」もあろう。こうした世間法にこだわり、〝信心で挑むまでもない〟と考えるところから、大聖人が指摘される「油断」や「慢心」が生まれる。それは、言い換えれば、真っすぐに信心で捉えられない人間の根源の弱さ、すなわち「元品の無明」ともいえるだろう。
 これに対して「法華経の兵法」とは、信心を根本とした絶対勝利の方法である。大確信の祈りで仏の生命を涌現させれば、智慧と勇気があふれ出る。その生命で困難に立ち向かうからこそ、法華経薬王品の文に「諸余の怨敵は、皆悉な摧滅せり」(法華経600㌻)とある通り、あらゆる障魔を打ち破り、人生を開いていけるのである。
 いかなる時も、宇宙根源の法である妙法に基づく時、絶対に行き詰まることはない。まさに、「祈りとして叶わざるなし」の信心なのだ。
 池田名誉会長は語っている。
 「『師のために!』『広布のために!』――この一念を定めたときに、青年の本当の力が出るのです。あえて私の体験から言えば、これが『法華経の兵法』です」
 「法華経の兵法」を最大限に発揮できる自分自身になるには、どうすればよいか。
 いかなる苦難にも、広宣流布のため、自身の成長のために立ち向かっていくという「覚悟の信心」に立つことだ。策や要領に走らず、「信心で乗り越えよう」と一念を定め、御本尊に向かうことである。
 「師と共に」「師と同じ心で」御本尊に祈る時、無限の力が湧き出ることを心に刻みたい。
 いよいよ下半期がスタートした。師弟不二の無敵の「法華経の兵法」で、新たな勝利の歴史を開いていきたい。

挿絵

この一節で励ましTALK  新入会の友の疑問に答えます!

Q 仕事が面白くないので転職しようと思っています

A どの職場であれ「輝ける自分」に!

 

 伊藤くんが「相談したい」と、小林男子部本部長を訪ねました。

 伊藤くん 実は、転職しようかどうか悩んでいるんです。
 小林男子部本部長 どうして? 労働条件や給与面に不満でも?
 伊藤くん いや、仕事内容がキツいとか、給料が少ないとかじゃないんです。世間で騒がれているような〝ブラック企業〟でもないし……。
 小林 となると、人間関係かな?
 伊藤 そうなんです。上司とウマが合わなくて……。とにかく僕のやることに対してうるさいんですよ。「報告はもっと要点を明確に!」とか、「なぜ早く相談しなかったんだ!」とか。それに同期の仲間は次々と新しい仕事を任されているのに、僕はいつもと同じ作業を繰り返すだけ。やってらんないよって感じです。
 小林 そういうことか。じゃあ僕からは一つだけ。転職するもしないも全て自由だ。その上で、伊藤くんは何のために仕事をしているの?
 伊藤 え? 生活のため……かなあ。
 小林 それも大事だね。でも「職場とは自分を磨き、輝かせていける場所だ」ということを忘れちゃいけないよ。日蓮大聖人は「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書1295㌻)と仰せだ。「御みやづかい」とは仕事のこと。つまり〝この仕事を法華経の修行と思っていきなさい〟という意味なんだ。
 伊藤 仕事と信心が、どう結びつくんですか。
 小林 信心といっても、現実の生活を離れては存在しない。職場に即して考えるなら「苦手な仕事ができるようになった!」「上司の信頼を得た!」となるのが信心の実証とは言えないかな。
 伊藤 そういえば4月の〝御書活〟で学びましたね。
 小林 職場を「自分を鍛える場」とするなら、小言に聞こえていた上司の言葉も聞こえ方が変わってこないかい?
 伊藤 確かに。仕事で活躍するために必要な力を教えてくれているのかも……。あの上司、本当はいい人なのかな。
 小林 「よきところ・よきところと申し給はば又かさねて給はらせ給うべし」(同1183㌻)――どこであっても「よきところ」と捉えていけば福運が増す――と教えられている御文もあるんだよ。大事なのは「感謝できる自分」に成長していくことだ。「この職場だから自分は人間革命できるんだ」ってね。
 伊藤 そう思えるようになるには?
 小林 どんな小さな仕事でも、やるからには「その道のプロになろう!」「学会員として実証を示そう!」と決めてはどうだろう。そのために真剣に祈り、努力と工夫を重ねるんだ。
 伊藤 つまり、僕の成長がそのまま信心のすごさを証明するってことですか。
 小林 そう! 大事なのは「職場で輝く自分になる」「いてほしい人になる」ことだ。まずは、その挑戦の心が自分にあるかないかを問うてみようよ。そこから、とるべき選択も行動も、見えてくるはずだから。

(聖教新聞2014年8月30日付掲載)