男子部「御書活」研鑽

5月度「開目抄」

苦難に胸張り前進!5月度「開目抄」

5月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「開目抄」を研鑽。「難を乗り越える信心」の重要性を学ぶ。

御文

我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし(御書234ページ)

通解

  私も、そして私の弟子も、いかなる難があっても疑う心がなければ、必ず仏界に至るのである。
 天の加護がないからと信仰を疑ってはならない。現世が安穏ではないからと嘆いてはならない。
 私の弟子に朝に夕に教えてきたけれども、疑いを起こして、皆、法華経を捨ててしまったようだ。拙き者の常として、約束したことを大事な時に忘れてしまうものである。

挿絵

背景と大意

  本抄は文永9年(1272年)2月、佐渡流罪中の日蓮大聖人が、四条金吾を通して門下一同に与えられたものである。
 当時は大聖人のみならず、門下にも所領没収、投獄、追放等の迫害が及び、弾圧を恐れた弟子たちは次々と退転していった。こうした背景から、大聖人は本抄で「なぜ諸天の加護がないのか」等の問いを立てられ、〝末法の法華経の行者が難を受けるのは経文通りである〟ことを示される。
 そして、諸天の加護がどうあれ、全民衆の救済のために妙法を弘め、日本の柱・眼目・大船となろうとの大誓願を示され、弟子たちに、どんな苦難も信心を貫き通せば必ず成仏できると呼び掛けられる。
 最後に、大聖人こそ、人々が尊敬すべき主師親の三徳を具えた存在であることを宣言され、本抄を結ばれている。

挿絵

行学の実践で鋼の自分を

  広宣流布は永遠に、仏と魔との闘争である。仏法では、末法において、法華経の行者が妙法を弘めていけば、必ず「三障四魔」が競い起こり、「三類の強敵」が出来すると説かれている。
 難に直面した時にこそ、信心が試される。その時に、諸天の加護がないと疑ったり、安穏でないと嘆いたり、退いてはならない。今回学ぶ御文で大聖人は、難にあった時こそ「疑う心なく」、すなわち、大聖人と同じく不惜身命の「強き信」を貫いていきなさいと仰せである。
 冒頭に「我並びに我が弟子」とあるように、大事なことは、弟子が師と同じ決意で立ち上がり、広布に邁進していくことである。
 大聖人と同じ心に立ち「日蓮が一門」(御書1360ページ)となった時、実は、すでに成仏への道は広々と開かれている。後は、その大道を歩み通せば、「自然に」成仏に至るのである。
 大聖人と同じ誓願で、広宣流布を進める人こそ真の弟子である。こうした大聖人の不惜身命の信心を受け継ぎ、現代に実践してきたのは創価の三代会長をおいて他にいない。師と共に前進する「師弟不二」の実践にこそ、一生成仏の大道があることを深く銘記したい。
 大聖人は門下に対して、法華経の行者に難が起こるのは必然であり、徹して戦い抜くよう、繰り返し教えられてきた。しかし、現実には大難が起きると、多くの弟子が疑いを起こして、退転してしまった。ゆえに、「まことの時」にこそ、師弟の約束を決して忘れることなく、強き信心で立ち向かっていかなくてはならないと強調されている。
 では、「まことの時」とは一体、どのような時か。それは難に直面し、宿命転換のチャンスを得た時である。
 池田名誉会長は、こう記している。
 「人生には、自分が試される〝まことの時〟がある。ゆえに、日ごろ、いかなる心構えで生き、どう努力しているかが大事になる。日々、地道な精進を重ねていてこそ、いざという時にチャンスをものにすることができるのだ」(小説『新・人間革命』第19巻「凱歌」)
 また、「この『まことの時』に強い人は、例外なく、御書を生命に刻んだ人である」とも断言されている。
 誉れの青年時代――信心根本に、徹して挑戦と成長の日々を送っていきたい。地道で着実な行学の実践を貫くことによって、宿命の嵐にも揺るがぬ鋼のごとき自分自身が鍛えられていく。確固たる人生の礎が築かれていくのだ。
 さあ、「5・3」から青年の月・7月へ! 我らは苦難にも胸を張り、後継の師子として前進していきたい。師弟不二の実践で、勝利の共戦譜を綴っていこう。

挿絵

この一節で励ましTALK  新入会の友の疑問に答えます!

Q 忙しくて学会活動の時間がつくれません。

A 大変な中での挑戦に大功徳が!

 

 最近、会合を休みがちな伊藤くん。心配した小林本部長が家を訪ねてみると――。

 伊藤くん きょうは、すみません。仕事やら何やらで忙しくて……。
 小林男子部本部長 気にすることないよ。次、頑張ればいいんだから。
 伊藤 でも、これだけ忙しいと学会活動するヒマもありませんよ。
 小林 ヒマな人が信仰するわけじゃないさ(笑い)。でも大事な問題だから、一緒に考えてみようか。学会活動は「義務」ではなく「権利」なんだよ。
 伊藤 権利? 幸せになるための……ですか?
 小林 そう。具体的に言えば、小さな境涯から大きな境涯の自分へと人間革命するためであり、自らの生命に福運を積むためさ。それには忙しさに「心」が負けないよう、「心」をリードしていくことが大事だ。御書には「心の師とはなるとも心を師とせざれ」(1025ページ)とある。
 伊藤 心に対して師匠となる……? 心を師としちゃいけない……?
 小林 人間の心は、どうしても弱く迷いやすい。その心に従っていたら、つい楽な方へと流されてしまう。そうならないために、心を強く正しくリードする仏法を根本に生きていきなさい、との御教示だよ。
 伊藤 活動の上で、どう実践すればいいんでしょう?
 小林 大事なことは「広宣流布へ戦う心」を失わないことだよ。少しでも「会合へ行こう!」「対話に挑戦しよう!」という気持ちを奮い起こし、努力することだ。学会活動を通して忙しさに負けない自分をつくっていける。その原動力が「真剣な祈り」だよ。
 伊藤 先輩たちから、よく「まず祈りから」といわれます。
 小林 日蓮大聖人は「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」(御書790ページ)と仰せだ。瞬間瞬間に起こる自身の一念が、広布に向かっているか。5分でも10分でもいい。「広布のために!」――そう決めて真剣に祈ってごらん。必ず生命力と智慧が湧くよ!
 伊藤 確かに今のぼくは、生命力がガタ落ちです。いつも何かに追われていて、智慧を出したり、工夫を重ねたりする努力も忘れて……。いつしか、自分で自分のことを諦めていたのかもしれません。
 小林 智慧も大事。努力も大事。そして人生に勝つためには、福運が大事だ。大聖人は「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(同329ページ)とも断言されている。大変な状況の中で学会活動に挑戦するからこそ、成長も功徳も大きい。
 伊藤 つまり、忙しくて大変な時こそ人間革命のチャンスだと?
 小林 伊藤くんには「僕はこうやって学会活動をやり抜いた!」という勝利の実証を示して、ほかのメンバーに、その体験を語れるようになってほしい。そう思えば、今の苦労にも大きな意味があるじゃないか。さあ、一緒に頑張ろうよ!

(聖教新聞2014年4月29日付掲載)