男子部「御書活」研鑽

12月度「一念三千法門」

「一人も残らず」勝利者に12月度「一念三千法門」

 12月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「一念三千法門」を研さん。如説修行の実践で、「一人も残らず」勝利の人生を開くための信心の姿勢を学ぶ。

御文

 法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し、譬えば春夏田を作るに早晩あれども一年の中には必ず之を納む、法華の行者も上中下根あれども必ず一生の中に証得す(御書416ページ)

通解

  法華経の行者は如説修行するならば、必ず一生のうちに一人も残らず成仏することができる。例えば、春、夏に田を作るのに、早稲・晩稲の違いがあっても、一年のうちには必ず収穫するようなものである。法華経の行者も上根・中根・下根があっても必ず一生のうちに証得する。

挿絵

背景と大意

  本抄は正嘉2年(1258年)、日蓮大聖人が37歳の時に鎌倉で執筆されたと伝えられている。
 本抄では、法華経には一念三千の法門が明かされているため、他経より勝れていることを示される。
 続けて、大聖人は、「一念三千の観念も一心三観の観法も妙法蓮華経の五字に納れり」(御書414ページ)と、唱題行が成仏への要諦であることに言及。さらに、題目を唱える声に触れることが、下種につながることを示され、「娑婆世界は耳根得道の国」(同415ページ)と述べられる。
 そして、一切衆生とは有情だけでなく、非情の草木も含むとされ、如説修行の人は必ず一生成仏できると、妙法の功徳の大きさを教えられている。

挿絵

悔いなく掉尾飾り栄光輝く明年へ!

  私たちが日々、実践している信仰の目的は「一生成仏」にある。つまり、この一生のうちに仏の境涯を築き、自他共の幸福を開いていくことだ。
 法華経以前の経典(爾前経)では、いくら仏道修行をしても、この一生のうちに成仏することはできず、何度も生まれ変わって修行を重ねなければならないとされていた。
 そのような考え方に対して、法華経では誰もが今世で成仏できることが強調されている。成仏とは、「仏という特別な存在に成る」ことではなく、わが身に「仏界の生命境涯を開く」ことにほかならない。
 今回の拝読御文では、一生成仏について、稲の収穫に例えながら説明されている。
 稲作においては、早稲・晩稲の違い、つまり、成熟の早さに差があっても一年の内に必ず収穫することができる。
 同様の原理が「法華経の行者」にも当てはまる。たとえ機根(衆生が仏法を理解する能力)の違いがあったとしても、大聖人の仰せのままに御本尊を信受し題目を唱え、弘教に励んでいくことにより、誰もが必ず一生成仏を遂げることができるのだ。  池田先生は、今回の御文を通して指導されている。
 「いかなる人も必ず成仏が約束されている。『一人も残らず』と仰せである。時として、直ちに結果が出なくても、絶対に人生を勝ち開いていけるのだ。一切が修行だ。すべては、いっそう強い人間となり、深い人生を歩むための御仏意といってよい」
 広布の旅路も、人生も、多くの難が待ち受ける長い道のりであろう。しかし、途上に何があろうとも、恐れることはない。法華経には万人成仏が説かれている。如説修行の実践を貫くならば「一人も残らず」勝利者になることは間違いないのである。
 激闘の連続であった本年も、いよいよ総仕上げの師走を迎える。各人が掉尾を飾る戦いをしていきたい。
 悩める友への仏法対話や、同志への訪問激励。さらには、自身が抱える仕事や家庭における課題の克服――真剣に祈り抜き、挑戦する中で、必ず活路は開かれる。また、最後まで戦い抜く、その信心の姿勢があってこそ、何ものにも左右されない不動の境涯が開かれよう。
 明年は「世界広布新時代 栄光の年」。「3・16」には、広宣流布の記念式典60周年、さらに、「11・18」には、広宣流布大誓堂完成5周年を迎える。
 栄光を開く新たな戦いの開幕へ。一人一人が本年を最後まで戦い切り、悔いなく「勝利の総仕上げ」を!

挿絵

〈教学TALK〉  テーマ:随方毘尼

Q 勤行は正座じゃないとダメ!?

A 仏法は多様な文化を尊重

登場人物

 新井男子部本部長 学会3世の36歳。20代半ばまで学会活動をしていなかったらしい。
 トム アメリカ出身の30歳。日本で入会し、男子部員として活動中。近々帰国する予定。

 信心の素朴な疑問に答える「教学TALK」。今回は「随方毘尼」をテーマに語らいを広げる。アメリカ出身のトムが母国に帰る直前に、男子部の会合へ参加。新井男子部本部長に聞きたいことがあるようです。

 トム 皆さんから信心を教えてもらい、本当に感謝です。別れるのは寂しいですが、帰国しても、この信心の素晴らしさをアメリカの友達に伝えていきます。そこで新井さん、一つ質問があるのですが……。
 新井男子部本部長 僕たちも寂しいよ。会合で、いつもトムが折伏の話をする姿に、皆が刺激を受けていたからね。それで、質問って?
 トム 日本では正座での勤行・唱題にトライしてきましたが、アメリカでも正座じゃないとダメですか? アメリカの生活は、いすが基本で、正座の習慣はありません。
 新井 トム、もちろん無理に正座する必要はないよ。海外の人にとっては、正座しながらの勤行・唱題は苦痛でしかないだろうしね。姿勢を正し、敬意をもって御本尊と向かい合うことができれば、問題ないよ。
 トム オー! それを聞いてホッとしました。ありがとうございます。
 新井 仏法には「随方毘尼」という言葉があるんだけど……。
 トム ズイホウビニ?
 新井 「随方」は、地域の風習に従うこと。「毘尼」は守らなければいけない規律という意味だよ。仏法の根本の法理にたがわない限り、各国・各地域の風俗や習慣、時代の風習を尊重し、従うべきであるという教えなんだ。
 トム オー、ワンダフル! 仏法は多様性を尊重しているのですね。
 新井 その通り! だからこそ、日蓮仏法は世界に広がっているんだよ。日蓮大聖人は、「この戒(随方毘尼)の心は、仏法の本義を、はなはだしく欠いていないならば、少しばかり仏教にたがうことがあっても、その国の風俗にたがうべきではないとして、仏は一つの戒を説かれたのである」(御書1202ページ、通解)と仰せになっている。ちなみに、日本で春と秋に行われている「彼岸会」は、釈尊が説いたものではなく、日本独自の風習が定着したものだよ。
 トム そうなんですね。てっきり仏教のオリジナルなしきたりだと思っていました。
 新井 仏法では、正法という根本基準を立てた上で、成仏・不成仏という仏法の根本原理に関する事柄でなければ、一般の風俗、世間の普通の約束事を尊重していくことを説いている。
 池田先生は「どこまでも『その国の幸福のため』『その人の幸福のため』に、一番よい道を考えてあげるのが、仏法の心である。(中略)常識のある『柔軟な知恵』にこそ、仏法の光は輝いている。そこに真の『強盛な信心』はある」と教えられているよ。
 僕たちは、これからも相手の心に寄り添いながら、誠実に仏法を語り広げ、世界中に友情と共感のスクラムを築いていこう! (聖教新聞2017年11月25日付掲載)