男子部「御書活」研鑽

2月度「法蓮抄」

全ては「一人」の勝利から!2月度「法蓮抄」

 2月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「法蓮抄」を研さん。万人成仏の原理とともに、「一人立つ」精神の重要性を学ぶ。

御文

 地獄の一人・餓鬼の一人・乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり顕る、譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し(御書1046ページ)

通解

  地獄界の一人といい、餓鬼界の一人といい、つまりは九界の中の一人を仏にすることによって、一切衆生が皆、仏になることができるという道理が顕れたのである。たとえば、竹の節を一つ割れば、他の節もそれにしたがって割れるようなものである。

挿絵

背景と大意

  本抄は建治元年(1275年)、曾谷教信が父の十三回忌に当たり、日蓮大聖人への御供養と、諷誦の状(=追善供養の時に読み上げる文)をお送りしたことに対する御返事である。
 本抄を頂いた曾谷教信は、下総国葛飾郡曽谷(千葉県市川市曽谷)の領主であった。富木常忍や大田乗明と共に、大聖人の「竜の口の法難」「佐渡流罪」という最大の法難の渦中にあっても、動揺することなく戦い抜いた。大聖人はその信心をたたえられ、教信を「法蓮上人」と呼ばれている。
 本抄ではまず、法華経の行者を賛嘆する功徳と、釈尊を供養する功徳とを比較され、法華経の行者を供養する功徳が、よりすぐれていることを示される。そして、亡き父の追善のために自我偈を読誦してきた功徳の大きさを、故事を引いて述べられる。
 続いて、法華経は一々の文字が皆、生身の仏である故に、教信の読んだ経文の文字が仏として現れて、慈父の聖霊を助け救うであろうと教えられ、教信の孝養の尊さを称賛される。

挿絵

破竹の勢いで「3・16」へ

  日蓮大聖人は本抄で、法華経こそ、真実の孝養の経典であると教えられている。
 なぜ法華経が、真の孝養の経なのか。それは、法華経だけが一切衆生を成仏に導くことができるからだ。
 法華経以前の爾前経では、地獄界から菩薩界までの九界と仏界が断絶していたため、何度も生まれ変わって修行し続け、九界の迷いの生命を断ち切らなければならないとされていた。
 一方、法華経では「十界互具」が示され、どんな境涯の衆生にも仏界をはじめとする「十界の生命」が等しく具わっていることが明かされた。
 これによって、拝読御文にある「地獄の一人」でも「餓鬼の一人」でも、仏の生命を開くことが可能となった。そして、地獄界や餓鬼界といった九界の一人が成仏することで、万人の成仏が示されると教えられている。
 大聖人は、この道理を、「竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し」と仰せである。竹は、一つの節が割れれば、他の節も次々と割れていく。同じように、苦しみの人生にある「一人」が、仏法の実践によって幸福になることは、苦悩を背負った全ての人たちに、幸福の道を開くことに通じる。
 だからこそ、目の前の「一人」を励まし、正しい軌道に導いていくことが大切なのである。
 若き池田先生が広布拡大の先頭に立ち、師子奮迅の戦いで拡大の突破口を開いた「二月闘争」においても、先生は最前線の一人一人に光を当て、激励に徹した。
 この先生の励ましによって立ち上がった「一人」が、また「一人」へと信心の歓喜を広げ続けた結果、未曽有の拡大が成し遂げられた。まさに、「真剣の一人」の挑戦から破竹の勢いが生まれ、壁は破られたのだ。
 池田先生は、米国の未来学者ヘイゼル・ヘンダーソン博士と対談した折、創価学会がなぜ世界的な発展を遂げたのか、との質問に対し、「『徹して一人の人を大切にしてきた』からです」と答えた。
 一人の成仏が万人の成仏を開くように、一人の勝利が、一切の勝利を開く。
 「3・16」60周年を記念する「世界青年部総会」に向け、いよいよ〝新時代の二月闘争〟が始まる。池田門下の男子部は、皆が〝一人立つ勇者〟となり、どこまでも「一人」への励ましに徹しながら、弘教と人材拡大のうねりを一段と起こそう!

挿絵

〈教学TALK〉  テーマ:異体同心

Q どうしても苦手な人がいます

A 〝広布のために団結する〟と祈ること

登場人物

 新井男子部本部長 学会3世の37歳。20代半ばまで未活動だったらしい。
 山内男子地区リーダー 信心強盛な父親と一緒に地元で建設業を営む32歳。

 信心の素朴な疑問に答える「教学TALK」。今回は「異体同心」をテーマに語らいを広げる。3月の「世界青年部総会」に向け、新井男子部本部長が山内男子地区リーダーと一緒に訪問激励に歩いています。

 新井男子部本部長 山内君と訪問激励に歩けて、うれしいよ。世界青年部総会も、大結集で迎えたいね!
 山内男子地区リーダー そういえば先日の会合で、新井さんが「団結していこう」って話してましたけど、実はそのことで悩んでいるんです。
 新井 どうしたんだい?
 山内 今日、訪問した部員さんにもいろんな方がいましたが、どうしても自分と馬が合わない方や、苦手な方って、いるじゃないですか。でも、相手も学会員なのに、「付き合いにくい」と思ってしまうのは悪いことなんじゃないかって……。
 新井 人間は十人十色だから、もともとの相性に「合う合わない」があるのは自然なことじゃないかな? そのことで山内君が自分を責める必要は全くないよ。
 山内 そうなんですか?
 新井 池田先生はかつて、同じような質問をしたSGIメンバーに対して、こう励まされた。「嫌いな人は嫌い、合わない人は合わない、それは人間の自然です。そのことによって、妙法や広布の組織そのものを誹謗するならともかく、そうでないかぎり、謗法ではありません。当然の人間性の表れです」って。
 山内 それを聞いて少しほっとしました。
 新井 その上で、先生は、「異体同心の団結」が重要であると言われているよね。異体同心とは、各人が個性を発揮しながら、広宣流布という大目的に向かって心一つに団結すること。その要諦を、日蓮大聖人は、「自他彼此の心なく」(御書1337ページ)と仰せだ。つまり、自分と他人、〝あの人〟と〝この人〟とを分け隔て、差別する心を排する、ということだよ。
 山内 うーん、でも、どうしても自分と相手の違いに目が向いてしまうんですよね。
 新井 先生は、「いっさいの差異にとらわれることなく、共に同志である、等しく地涌の菩薩であるとの原点に、常に立ち返っていかなくてはならない」と言われている。人として好き嫌いはあるかもしれないけど、「共に広宣流布を進める大切な地涌の同志」という原点を思えば、どの人も皆、かけがえのない「一人」だと気付くはず。そうすれば、相手の個性も、その人にしかない長所に見えてくるんじゃないかな。
 山内 皆が「地涌の同志である」という原点ですか。
 新井 御書に「化城即宝処」(732ページ)とあるように、大目的に向かって一歩一歩、同志と共に歩む旅路そのものが、実は、最高の人生といえる。皆で励まし合いながら仲良く前進する姿それ自体が、まさしく広宣流布の実相なんだと思う。
 山内 好き嫌いという、自分の感情に振り回されていたら、もったいないですね!
 新井 大事なことは、「広宣流布のために、あの人と仲良くなれる自分にしてください」と率直に祈っていくことだよ。そうすれば、自分自身の境涯が開かれ、やがては、どんな人とも団結していくことができるようになるから! (聖教新聞2018年1月30日付掲載)