女子部「御書池田大学運動」

6月度「崇峻天皇御書②」

「心の財」を積み人生の勝利者に6月度「崇峻天皇御書②」

本抄について

 本抄は建治3年(1277年)9月、日蓮大聖人が身延で認められ、四条金吾に与えられたお手紙です。別名を「三種財宝御書」といいます。
 金吾は、主君の江間氏を折伏したことがきっかけで、主君から遠ざけられるようになりました。さらに、冤罪によって、〝法華経の信仰を捨てなければ所領を没収する〟と、主君から迫られ、最大の危機に直面します。
 しかし、金吾は迷うことなく信心を選び、大聖人の御指導通りに誠実な振る舞いを貫いていきました。
 そんな中、江間氏が重い病に倒れ、医術の心得のあった金吾が治療にあたることになったのです。本抄は、この報告に対する返信です。
 大聖人は、主君からの信頼を確かなものにする大事な時だからこそ油断してはならないと、賢人としての生き方を教えられています。

拝読範囲の大意

 (御書1173㌻3行目~16行目)
 日蓮大聖人は、竜の口の法難の際、四条金吾が殉教を覚悟で刑場へお供したことをたたえられ、金吾が地獄に行くようなことがあれば、私も地獄に入ろうとまで述べられます。
 また、賢人の生き方を教えられたうえで、一日でも生きて名をあげることこそ大切であると示され、鎌倉の人々から「素晴らしい」と称賛される人に、との指針を贈られます。
 そして「蔵の財」より「身の財」、「身の財」より「心の財」を積んでいくことが、人としての勝利の根本であると教えられています。

挿絵

御文

 人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、穴賢・穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり(御書1173㌻13行目~16行目)

通解

 人間として生を受けることはまれであり、爪の上に乗った土のようにごく少ない。人間として命を持ち続けることは難しく、草の上の露のようにはかない。120歳まで生きて名を汚して死ぬよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。
 「中務三郎左衛門尉(四条金吾)は、主君に仕えることにおいても、仏法に尽くすことにおいても、世間における心がけにおいても、大変に素晴らしい」と鎌倉の人々の口にうたわれていきなさい。あなかしこ、あなかしこ。
  「蔵の財」よりも「身の財」がすぐれている。「身の財」よりも「心の財」が第一である。

解説

今いる場所で輝き仏法の偉大さを示す

 日蓮大聖人は、苦境の中にいる四条金吾に、真の価値ある人生とは何かを教えられています。
 この世に生まれ、人間として生きることは、「爪の上の土」のようにまれであり、「草の上の露」のようにはかない。つまり、この一生が掛け替えのないものであり、一瞬一瞬がどれほど大切であるかを示され、だからこそ、〝一日でも生きて名をあげることが大切である〟と述べられています。
 ここで仰せの〝名をあげる〟とは、単に社会的地位や名誉を得るということではありません。人のため、法のために尽くすことによって、周囲の人々から信頼や称賛を寄せられることです。
 大聖人は、金吾の目指すべき勝利の姿として、具体的に「主君に仕えること」「仏法に尽くすこと」、また「世間における心がけ」の3点にわたって「素晴らしい」と言われる人に、と示されています。ここには、鎌倉門下の中心者として模範のリーダーに成長し、人生を勝ち飾ってもらいたいとの深き慈愛が拝されます。
 この三つの観点は、私たちに置き換えるならば、「仕事・職場において」「広宣流布の活動において」「縁する人々との交流において」と捉えることができます。
 池田名誉会長は、「人間として生きるすべての局面において、仏性の輝きを放つときこそ、真の勝利である」と述べています。私たち一人一人が、人間性を磨き、今いる場所で、ありのままの姿で輝くことこそが、仏法の偉大さの証明となるのです。
 さらに、大聖人は、「蔵の財」「身の財」「心の財」の三種の財を通して、最高の生き方は「心の財」を積むことであると教えられます。
 「蔵の財」とは、物質的な財産のこと。「身の財」とは、健康や身につけた技能、社会的地位。そして、「心の財」とは、自身の生命に積まれた福徳であり、また心の豊かさともいえます。〝何があっても負けない〟という、信心の実践によって築いた生命の豊かさこそ、三世に崩れない最高の宝なのです。
 目に見えるものに執着し、〝何のために生きるのか〟という人生の目的を見失えば、わびしい青春となってしまいます。反対に、「心の財第一」で生き抜く人は、「蔵の財」「身の財」の価値を正しく生かしていくことができます。
 「心の財」を積むことこそ、わが人生を勝利で飾る根本の目的です。そう決めて、信心を貫いていく時、幸福の実証輝く勝利の人生を開いていくことができるのです。

挿絵

理解を深めよう

竜の口の法難と四条金吾

 〝師と共に信心を貫く時、必ず勝利できる!〟――どんなに苦しい状況にあったとしても、師弟の原点に立ち返れば勇気がみなぎります。
 今回の拝読範囲の中で、日蓮大聖人は四条金吾の勝利を願い、「竜の口の法難」のことを振り返られています。
 「竜の口の法難」の際、多くの兵に囲まれた大聖人は、斬首される場へ連行される途中、金吾のもとに使いを送られました。大聖人が処刑されると知った金吾は、取る物も取りあえず駆けつけ、殉教の覚悟で大聖人にお供したのです。大聖人の命を狙う権力を前にしても、師弟の誓いに生き抜くと決めていた金吾に、恐れはありませんでした。
 大聖人は、「今でも忘れられないことは、私が頸を切られようとした時、あなたがお供をしてくださり、馬の口にとりついて泣き悲しまれたことです」(御書1173㌻、通解)と仰せになり、金吾との師弟の絆を確認されています。
 師匠と心一つに生きることで、弟子は悩みや苦しみをも、人生を開く因とすることができます。〝自分中心〟でなく、師匠の心を自らの行動の基準とできるからです。
 池田名誉会長は、「勝利への要諦は、どこまでも、法を体現し弘通する師匠の『心』と、わが『心』を合致させることです」と語っています。
 全民衆の幸福のため、いかなる大難にも戦い抜かれた師匠。その師匠の心を、わが心として、共戦の道を進む弟子――師弟一体の闘争が広布の道を開いていくのです。

(聖教新聞2014年6月14日付掲載)