女子部「御書池田大学運動」

2月度「如説修行抄㊤」

法華経ゆえの難は経文通りの実践の証し2月度「如説修行抄㊤」

本抄について

 本抄は、文永10年(1273年)5月、日蓮大聖人が流罪地の佐渡・一谷で認められています。題号の「如説修行」とは、「仏の説の如く修行する」、すなわち、釈尊の説いた通りに実践するとの意味です。「仏の説」とは、「釈尊の説」との意味であり、大聖人門下にとっては「末法の御本仏である大聖人の説」と拝せます。
 大聖人が佐渡へ流罪された当時、大聖人一門への弾圧も、いよいよ激しさを増し、門下の中には疑いを起こして退転する者も多くいました。
 本抄で大聖人は、末法の法華経の行者に三類の強敵が競い起こることは全て経文通りであり、大聖人ならびにその一門こそ、「如説修行の行者」にほかならないことを明かされています。
 そして、迫害に耐えて折伏・弘教に励んでいる門下一同に対し、大聖人と同じ心で折伏の実践を貫いていくよう激励されています。

大意

 日蓮大聖人は、末法において法華経を流布すれば、釈尊在世よりも激しい怨嫉(敵対、反発の意)が起こり、大難が競い起こることを教えられます。
 その理由として、末法の師である大聖人は外見は凡夫であり、弟子は末法濁悪の衆生であるゆえに善師を遠ざけ悪師に近づいてしまうことを示され、真実の法華経の行者には三類の敵人が必ず出現すると断言されています。
 そして常日頃、このことを大聖人は弟子に教えてこられたのですが、いざ難が起こると、驚き退転してしまうことを嘆かれています。
 法華経に説かれる通りに妙法流布を進めてきたのは大聖人お一人であり、その戦はいまだやむことがないと仰せになり、あらゆる人が南無妙法蓮華経を信じ唱えるようになる時、理想の時代が開かれることを教えられ、法華経の経文通りの「現世安穏」は疑いないとの御確信を示されています。

挿絵

御文

 真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり、されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし況滅度後の大難の三類甚しかるべしと、然るに我が弟子等の中にも兼て聴聞せしかども大小の難来る時は今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ、兼て申さざりけるか経文を先として猶多怨嫉況滅度後・況滅度後と朝夕教へし事は是なり(御書501㌻5行目~8行目)

通解

 真実の法華経の如説修行の行者として師となり、その弟子檀那となると、三類の敵人が必ず現れるのである。
 そうであるからこそ、「この法華経を聞き、信心を始めた日から覚悟を決めるべきである。法華経に『ましてや、釈尊の滅後はなおさらである(況滅度後)』と説かれる通り、三類の敵人による大難が激しいであろう」と言ってきたのである。
 ところが、私の門下のなかにも、以前からそう聞いておきながら、いざ大小の難が起こってくると、今になって初めて気付いたかのように驚き、肝をつぶして、信心をやぶってしまった者がいる。かねてから言っておいたではないか。
 経文を第一として、「釈尊の在世でさえ敵対し嫉妬する者が多い。それにも増して、滅後にはなお激しい難を受ける、激しい難を受ける(猶多怨嫉、況滅度後、況滅度後)」と朝夕繰り返し教えてきたのは、このことである。

 

解説

一歩も引かぬ心で広布へ

 「わが弟子よ! 私と共に広宣流布に立ち上がれ!」――弟子の勝利を願う師の魂の叫び。そこには、共戦の弟子を信じる師の深き心があります。
 日蓮大聖人は、「真実の法華経」を弘める如説修行の行者には、三類の強敵の出現は必定であり、釈尊在世よりも甚だしい難に遭うことを断言され、覚悟を決めて広布に進むよう呼び掛けられています。
 「真実の法華経」とは、末法の一切衆生を救う南無妙法蓮華経です。南無妙法蓮華経が万人成仏の唯一の法であるからこそ、それを弘めることは、自他の仏性を信じられない人々の生命の無明に働き掛け、人々からの反発を招くのです。この生命の無明の働きの具体的な現れこそ「三類の強敵」です。
 「三類の強敵」とは、法華経の行者を迫害する3種類の人々のことであり、仏法に無智な衆生である「俗衆増上慢」、諸宗の僧である「道門増上慢」、そして人々から仰がれる高僧の「僭聖増上慢」を指しています。
 大聖人は、広宣流布にただ一人立ち上がられた日より、人々から迫害を受け、命にも及ぶ大難に遭われました。それこそが、大聖人が経文の通りに仏法を行ずる如説修行の人であり、法華経の行者であることの証明です。
 経文の通りの大難を受けることについて、大聖人は例えば「大に悦ばし」(御書237㌻)と仰せになり、難こそ誉れと捉える偉大な境涯を示されています。
 しかし、「千が九百九十九人は堕ちて候」(同907㌻)と仰せのように、多くの門下は当時、〝如説修行の行者は現世安穏であるはずなのに、なぜ三類の強敵が現れるのか〟と疑いを起こして退転していきました。いざ難が起こると、驚き、退転する――その哀れな姿を大聖人は嘆かれています。
 法を正しく実践しているかどうかの基準となるのが、経文です。大聖人は法華経に照らして、御自身の実践の正義を示し、その道に弟子も続くよう呼び掛けられているのです。
 拝読範囲で、大聖人御自身が末法の如説修行の行者として、正法に説かれる通りに真実の教えを明らかにする折伏の戦を起こしていることを示されています。そして、その実践を貫く時、広宣流布が実現し、法華経に説かれる「現世安穏」との経文が現実のものになると教えられています。
 池田名誉会長は本抄の講義で、「広宣流布への挑戦は苦闘の連続です。それは同時に、無上の歓喜が伴う仏界涌現の実践にほかならないのです」と述べています。何があろうと師弟不二の実践を貫き、永遠に崩れざる幸福境涯を開いていきましょう。

挿絵

理解を深めよう

佐渡流罪

 本抄は、日蓮大聖人が佐渡流罪の中で認められました。佐渡の環境は大変、厳しく、流罪とはいっても実質は死罪に等しい処分でした。
 大聖人が暮らされた塚原三昧堂は、天井は板間が合わず、四方の壁は破れて雪が積もって消えることがないような荒れ果てたところでした。衣食にも事欠き、紙の調達さえ十分ではない中で、大聖人は著作を執筆し続けられたのです。
 例えば「開目抄」では、大聖人こそ末法の衆生を救う御本仏であることを明かされ、何があっても民衆救済の誓願を貫くことを宣言されています。また、「観心本尊抄」では、末法の衆生が成仏のために受持すべき南無妙法蓮華経の御本尊について説き明かされています。
 当時、迫害は門下にも及びました。竜の口の法難以降、末法の御本仏としての立場に立たれた大聖人が執筆を続けられたのは、門下が信心を貫けるよう励ますためであり、また末法広宣流布へ向けて法門を確立するためでした。
 池田名誉会長は、「古来、大難を耐え忍んだ者はいたとしても、大聖人の偉大さは、その大難のなかで御自身のことよりも、民衆救済、人類救済のための闘争を始められたということです」と語っています。
 大聖人は、何の罪もないなか、佐渡流罪を余儀なくされても、決して動ずることなく、正法を行ずる信念のままに広布の闘争を断固、続けられました。この広布に生きる不屈の心を受け継いでいきましょう。

(聖教新聞2015年2月14日付掲載)