女子部「御書池田大学運動」

4月度「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」

「法華経の兵法」こそ広布と人生の勝利の要諦4月度「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」

本抄について

 本抄は、鎌倉の中心的門下・四条金吾に送られたお手紙で、弘安2年(1279年)の御述作とされています。本抄の内容から、別名を「法華経兵法事」「剣形書」ともいいます。
 文永11年(1274年)、日蓮大聖人が流罪地の佐渡から御帰還された後、金吾は決意に燃えて主君の江間氏を折伏しました。ところが、江間氏は、大聖人に敵対する極楽寺良観の信奉者であったため、金吾は次第に主君から疎まれるようになりました。
 しかし、金吾は大聖人の御指導通り、忍耐強く主君への誠実な振る舞いを貫き、やがて主君の信頼を回復。以前の3倍の領地を賜り、勝利の実証を示していったのです。
 そうした状況の中で、金吾は敵の襲撃を受けます。本抄は、敵から襲撃されたが、この難を脱することができたとの報告に対する御返事です。

大意

 日蓮大聖人は、四条金吾が無事であったことを喜ばれ、それは金吾の〝普段からの用心〟〝勇気〟〝強盛な信心〟の結果であると教えられています。
 さらに、法華経の行者を守護することは、諸天善神の誓願であることを示され、大聖人から福徳の根本である妙法蓮華経の五字を授けられた金吾を、諸天が守護することは間違いないと述べられます。
 そして、「心こそ大切」であるゆえに、不信を戒められ、強盛な信心を奮い起こすことが一切の勝利の要諦であると示されます。
 最後に、臆病の心を打ち破り、何ものも恐れぬ勇気を奮い起こしていくよう励まされています。

挿絵

御文

 なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候(御書1192㌻15行目~1193㌻2行目)

通解

 どのような兵法よりも、法華経の兵法を用いていくべきである。
 「あらゆる怨敵は、皆ことごとく滅びる」(法華経薬王品第23)との金言は、決して空しいはずがない。兵法や剣術の真髄も、この妙法から出たものである。深く信心で受け止めていきなさい。決して、臆病では何事も叶わないのです。

 

解説

信心を根本に知恵と勇気の挑戦

 日蓮大聖人は、〝どのような兵法よりも法華経の兵法を用いなさい〟と仰せです。
 「兵法」とは、一般に戦闘の作戦・戦術や武術のことです。私たちに置き換えれば、仕事や生活の中で、より良い結果を得るための努力や挑戦、工夫といえるでしょう。
 この努力や挑戦、工夫を、勝利へと結実させる方途こそ、妙法の無限の功力を信じ抜く信心です。御本尊への強盛な信心によって、その無限の功力を現すことができるのです。
 「法華経の兵法」を根本とする時、想像できないような知恵が生まれ、あらゆる障魔を打ち破ることができます。妙法こそ、万人の成仏を可能とする根本法だからです。
 反対に、信心、祈りを根本とせず、世間的な法や策に走ってしまえば、真の勝利を得ることはできません。
 四条金吾が襲撃に遭ったにもかかわらず無事だったのも、一面では剣術によるものと見ることができますが、その本質は強盛な信心の結果です。
 大聖人は〝兵法や剣術の真髄も、この妙法から出たものである〟と明かされています。
 最後に大聖人は、〝臆病では何事も決して叶わない〟と、深く信心を起こすことを重ねて促されています。
 目的を成就しようとする時、本当の敵は、外から起きてくる苦難や困難そのものではなく、自身の心に巣くう〝臆病の生命〟です。妙法根本に勇気を奮い起こし、臆病に打ち勝つ中で、不可能を可能とする力を発揮することができるのです。
 大切なのは、〝必ず勝つ〟との一念を定め、貫くことです。勇気を奮い起こし、行動することです。
 人生においても、広布の活動においても、「法華経の兵法」こそ勝利の要諦です。
 池田名誉会長は、1956年(昭和31年)の〝大阪の戦い〟の中で、勝利の要諦は、第1に強盛な祈りであり、第2に最高の作戦・行動であると語られました。
 その際、第1の要諦だけでも、第2の要諦だけでも、不可能を可能とすることはできず、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」との仰せを拝して、第1の要諦と第2の要諦を調和させ不可能を可能とする根本が信心であると教えられました。
 「法華経の兵法」、つまり信心から生まれた作戦・行動こそ最高の作戦・行動となるのです。
 一切を切り開く鍵は、信心です。自身の人間革命のために、全てを〝信心の戦い〟と捉え、勇んで広布の活動に前進していきましょう。

挿絵

理解を深めよう

「ただ心こそ大切なれ」

 日蓮大聖人は本抄で、兵法にたけた武将を例に挙げて、彼らも兵法だけではどうしようもなかったと仰せです。大義のために戦うという心、目的観によって、彼らは自身の兵法を生かすことができたとの趣旨です。
 これを受けて大聖人は、「ただ心こそ大切なれ」(御書1192㌻)と、どのような心で生きるかが大切であると示されています。
 生命には尊い仏性が具わります。しかし、無限の可能性を秘めた生命であっても、根本の迷いである無明に覆われていては、その輝きを発揮することはできません。
 ゆえに、無明を打ち破り、心に仏界の生命を現す挑戦が必要です。その具体的な実践が唱題です。妙法には、迷いと苦悩に満ちた生命をも、太陽のごとき生命に変革しゆく力があります。
 大聖人は本抄で、祈りの姿勢について、〝いかに日蓮が、あなたのことを祈っても、あなた自身が不信であるならば、濡れた火口に火をつけるようなものである〟と御指導されています。
 師匠は絶対の確信で、弟子の勝利を信じてくださっています。弟子が、この師匠の心を知り、師匠と同じく妙法への信を奮い起こしてこそ、祈りを叶えることができます。偉大なる師匠と同じ大願に立つことこそ、人生勝利の鍵です。
 池田名誉会長は語っています。「『心こそ大切』の心とは『師弟不二の心』なのです」
 広布を願う師弟不二の祈りと行動が、人生の勝利と幸福を開く究極の力となるのです。

(聖教新聞2015年3月14日付掲載)