女子部「御書池田大学運動」

11月度「阿仏房御書(宝塔御書)」

自身を〝宝塔〟と輝かす仏法11月度「阿仏房御書(宝塔御書)」

  今月は、「阿仏房御書(宝塔御書)」を学びます。
 池田先生は、つづっています。
 「一人の人間が『わが身』の真実の可能性を知った時に、一人の偉大な人間革命が始まります。自身の尊極にして偉大な可能性に目覚めた人は、他者の存在の尊さにも気づきます。自他共の尊厳性を心から認め合えれば、人類は境涯を高めることができます。(中略)『わが身』の本来の姿への目覚め――。この仏法の極理を教えられた御書が『阿仏房御書(宝塔御書)』です」
 妙法を持つ「一人」の偉大さと深き使命を心に刻んでいきましょう(拝読範囲は本抄全編です)。

本抄について

 本抄は、日蓮大聖人が佐渡の門下の阿仏房に送られたお手紙です。大聖人の佐渡流罪中の御執筆とする説もありましたが、近年では身延入山後の御著作と考えられています。
 大聖人が佐渡に流罪されていた際、阿仏房は妻の千日尼と共に大聖人を懸命にお守りしました。阿仏房は大聖人が身延へ入山された後も、高齢にもかかわらず、幾度も大聖人のもとを訪れています。
 本抄は、御供養に対する御礼であるとともに、阿仏房から寄せられた「法華経に説かれる多宝如来や宝塔は、何を意味するのでしょうか」との質問に対する御返事です。

挿絵

御文

 末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり(中略)然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり
 (御書1304ページ6行目~10行目)

通解

 末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのです。もしそうであるならば、貴賤上下にかかわらず、南無妙法蓮華経と唱える人は、わが身がそのまま宝塔であり、わが身がまた多宝如来なのです。
 妙法蓮華経よりほかに宝塔はないのです。法華経の題目は宝塔であり、宝塔はまた南無妙法蓮華経です。(中略)
 したがって阿仏房はそのまま宝塔であり、宝塔はそのまま阿仏房なのです。これよりほかの知識は、何の役にも立ちません。
 あなたの身は、聞・信・戒・定・進・捨・慚という七つの宝によって飾られた宝塔なのです。

解説

信心の実践でわが生命を荘厳

 日蓮大聖人の仏法は、一人一人の生命の無限の可能性を引き出し、輝かせゆく宗教です。
 法華経見宝塔品第11では、突然、大地から巨大な塔が出現し、空中に浮かびます。その大きさは、地球の直径の3分の1にも及ぶとされ、金・銀・瑠璃などの七宝で飾られており、まばゆい輝きを放っています。
 想像もつかないほどの偉大で尊貴な宝塔。〝これは一体、何を表しているのでしょうか〟――。阿仏房の率直な質問に、大聖人は〝宝塔とは、法華経を持つ男女の姿以外にないのです〟と答えられます。すなわち、妙法を唱え、広宣流布のために戦う人こそが宝塔なのです。
 しかも、身分や社会的立場は関係なく、題目を唱える人は平等に尊い「宝塔」であり、法華経の真実を証明する「多宝如来」であると仰せです。
 続いて大聖人は、宝塔はまた「南無妙法蓮華経」であると述べられています。
 宇宙の根源の法である「南無妙法蓮華経」を、大聖人は御本尊として顕されました。私たちは御本尊を信じ、題目を唱えることで、自身を宝塔と輝かすことができます。
 大事なことは、自身が尊極な宝塔であると「確信」することです。ゆえに大聖人は阿仏房に、〝あなた自身が宝塔ですよ〟と強調され、このことを確信することが何より大切であると教えられているのです。
 さらに大聖人は、七宝とは「聞・信・戒・定・進・捨・慚」という仏道修行の七つの要件に当たることを示されます。
 具体的には、妙法を聞くこと(聞)、妙法を信じること(信)、戒律を持つ、すなわち心身の振る舞いを律すること(戒)、妙法を根本に心を定めること(定)、仏道修行に励むこと(進)、信心を第一として、執着やわがままを捨てること(捨)、反省すべきは反省し、常に向上を目指すこと(慚)です。
 これらの実践は全て、日々の学会活動に具わっています。私たちは、自らの信心と実践によって生命を飾り、最高に輝かせていくことができるのです。
 創立の月・11月。この生命尊厳の仏法を縁する友に語り抜き、幸福のスクラムを広げていきましょう。

挿絵

池田先生の講義から

 現代の底流には、二十世紀から二十一世紀に入り、いよいよ「民衆の時代」へ向かう確かな潮流があります。しかし、一方で、人間を手段化し、人間性を踏みにじる濁流もまた激しくなっている。
 だからこそ、一人の「屹立した人間」を創ることが、岐路の時代にあって一切の根幹となるのです。
 社会を浄化し、人間尊敬の思潮を創造し、生命尊厳の価値を確立する。そのための「一人」を育てることが、二十一世紀の宗教の最大の責務であると、私は確信します。
 ◇ ◆ ◇
 宝塔を荘厳する七宝の輝きとは、一人ひとりの人間革命の姿そのものです。戦っている人は必ず輝きます。
 「大願」をもって生きている姿そのものが、宝石の如く「不滅の光」を放っているのです。
 皆さま一人ひとりが、この地球上に宝塔の林立を築いていく使命を持った広宣流布の勇者です。英雄です。
 私たちの宝塔のスクラムを世界が待っています。人類が求めています。いよいよ、世界中の人々が宝塔として輝いていく「時」が到来したのです。  (『勝利の経典「御書」に学ぶ』第10巻)

研さんのために

 ○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第10巻、「阿仏房御書」(聖教新聞社)
 ○…『法華経の智慧』普及版〈上〉、「見宝塔品」(同)

挿絵

御書カフェ -華陽姉妹の語らい-

「教えて」 御書を学ぶ意義について教えてください。 

「御文」 行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず(諸法実相抄、御書1361ページ)
〈通解〉 行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。

 御書は「無限の希望」の一書です。御書を拝して行動する限り、行き詰まることは絶対にありません。(中略)
 大切なのは「御書を拝していこう」「少しでも日蓮大聖人の御心にふれていこう」という「心」です。その信心の「心」が、自分自身を一生成仏への軌道に乗せるのです。その「心」が、幸福の軌道を固めるのです。広宣流布の軌道を進むエンジンになるのです。(『永遠の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
 ◇ ◆ ◇
 私の御書にも、わが人生の激闘が刻まれている。
 「この御抄は、戸田先生と拝した」「この御文は、あの苦難の時に読んだ」――若き日から今日まで、広布の闘争は、常に御書と共にあった。
 御書には、末法の御本仏である大聖人の師子吼が、烈々と轟いている。仏の慈悲の炎が赤々と燃え、智慧の大河が滔々と流れている。この戦う生命を、わが生命に受け継ぐための教学だ。(『池田大作全集』第137巻) (聖教新聞2017年11月11日付掲載)