女子部「御書池田大学運動」

7月度「兄弟抄㊦」

師弟不二を貫き人生の勝利者に7月度「兄弟抄㊦」

  今月は、「兄弟抄」の後半を研さんします。
 池田先生は、つづっています。
 「一人一人の『勝利の物語』。それを実現するのが『師弟の大道』です。『自分中心』では、魔に打ち勝つことはできません。広宣流布の師匠とともに立ち上がることは、確固たる自分自身を築く『正道』です。そして、自身の胸中に『幸福の大道』を見いだした人は、絶対に敗れることはありません」
 いかなる苦難にも負けない、「心の師」を求め抜く「師弟不二の信心」を学んでいきましょう。(拝読範囲は、御書1084ページ11行目~1089ページ本抄末尾)

本抄について

 本抄は、日蓮大聖人が、武蔵国池上(東京都大田区池上)の門下である池上宗仲・宗長兄弟と、その夫人たちに対して送られたお手紙です。
 池上家は、有力な工匠(建物の建築や修理を統括する役)として鎌倉幕府に仕えていました。しかし、父が兄弟の法華経の信仰に反対し、兄・宗仲を勘当します。本抄は、その報告に対する激励のお手紙です。文永12年(1275年)の御述作とされてきましたが、現在では建治2年(1276年)と考えられています。
 当時の勘当は、家督相続権を失うことであり、経済的基盤も、社会的立場も奪われることを意味しました。本抄が認められて以後、兄への2度目の勘当がありましたが、兄弟は大聖人の御指導通りに実践し、最後は父が入信するに至るのです。

挿絵

御文

 心の師とは・なるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり。
 設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはくらせ給うべし、中にも日蓮が法門は古へこそ信じがたかりしが今は前前いひをきし事既にあひぬればよしなく謗ぜし人人も悔る心あるべし、設ひこれより後に信ずる男女ありとも各各にはかへ思ふべからず
 (御書1088ページ15行目~18行目)

通解

 「心の師とはなっても、自分の心を師としてはならない」とは、六波羅蜜経の文である。
 たとえ、心を煩わせる、どのようなことがあっても、夢と思って、ただ法華経のことだけに専念していきなさい。なかでも日蓮の法門は、昔には信じることが難しかったが、今は前々から言っておいたことが的中しているので、理由もなく誹謗した人々も、悔いる心が起きているであろう。
 たとえ、これより後に信仰する男女があっても、あなたがたに替えて思うことはできない。

解説

どこまでも「法」根本の生き方を

 掲げた御文で日蓮大聖人は、六波羅蜜経の文を引かれ、〝心の師とはなっても、自分の心を師としてはならない〟と教えられています。
 〝自分の心を師とする〟とは、縁によって揺れ動く、自身の心に振り回されてしまうことです。悩みや苦難にぶつかった時、自分の弱い心やわがままに従ってしまえば、乗り越えることはできません。
 反対に、〝心の師となる〟とは、法を根本としていくことです。私たちでいえば、「御本尊根本」「御書根本」に前進していくことです。
 そして、この法根本の生き方を教えてくださるのが、仏法の師匠です。
 〝師匠だったらどうされるか〟と、常に心に師匠を思い浮かべながら行動するなかに師弟不二の実践があります。
 さらに大聖人は、〝たとえ何があろうと、夢だと思って、ただ法華経のことだけに専念していきなさい〟と仰せです。
 どんなに苦しく、大変な状況であっても、ただ「法華経の事のみ」――すなわち、広宣流布に心を定めて信心を貫いていけば、必ず乗り越えていくことができるのです。
 本抄の御執筆当時、大聖人が「立正安国論」で予言された「自界叛逆難」(内乱)と「他国侵逼難」(他国からの侵略)が的中し、すでに現実のものとなっていました。
 この予言的中の現証を見て、それまで大聖人を誹謗していた人々の中にも、悔いる心を起こす人がいました。こうしたなかで大聖人は、純粋に信心を貫き、師弟の道を歩み通してきた池上兄弟と夫人たちを最大にたたえられ、〝たとえこの先、信心する人がいても、あなたたちには替えられない〟と深い信頼を寄せられます。
 悩みや苦難に負けず、師匠と共に広布の大願に生き抜く中に、真の弟子の道があるのです。そして、弟子の勝利のドラマは、「未来までの・ものがたり」(御書1086ページ)として、未来に永遠に輝いていくのです。
 池田先生は「弟子の勝利こそ、師匠の祈りであり、喜びなのです」と呼び掛けています。師弟の月・7月。師と共に、誓い新たに幸福のスクラムを広げていきましょう。

挿絵

池田先生の講義から

 私も、現代において日蓮仏法の広宣流布に生き抜かれた戸田先生という如説修行の師匠がいて、自分自身があります。私の胸中には、いつも「心の師」である戸田先生がいる。今も日々、瞬間瞬間、胸中の師と対話しています。これが「師弟不二」です。(『一生成仏抄講義』)
 ◇ ◆ ◇
 現代において、「只法華経の事のみ」という「心の師」を求める生き方を堅実に歩んできた学会員は皆、見事に勝利の実証を示しています。
 (中略)
 その方たちこそ、「広宣流布の宝」です。また、「人類の宝」です。「法」を根幹として、また「師弟不二」に徹して、自身の宿命を転換し、何ものにも揺るがぬ幸福境涯を確立されています。
 同時に、社会の繁栄、世界の平和のために尽力し、自他共の幸福の実現という無上の人生を歩む。この宝の如き学会員を、日本だけでなく世界中の知性も賞讃する時代に入りました。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第2巻)

研さんのために

 ○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第2巻、「兄弟抄」(聖教新聞社)
 ○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第8巻、「兵衛志殿御書」(同)
 ○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻、「兵衛志殿御返事」(同)
 ○…『御書の世界』第3巻、「弟子の法難」(同)

挿絵

御書カフェ -華陽姉妹の語らい-

「教えて」 「女子部は全員が幸福に」との学会指導に感動しました! 

「御文」 此の経を持つ人は百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成る(上野尼御前御返事、御書1580ページ)
〈通解〉 この経(=法華経)を持つ人は、百人は百人全ての人が、千人は千人全ての人が、一人も欠けずに仏に成る。

 仏法の広大無辺の慈悲の世界には、いささかの差別もなければ、一人の例外もない。誰人たりとも、必ず幸福の境涯を開き、わが生命を妙法蓮華の当体と咲き薫らせていくことができる。(中略)
 「女子は門をひら(開)く」(御書1566ページ)と仰せの通り、一人の妙法受持の乙女から、友人にも、家族にも、地域にも、社会にも、そして未来にも、どれだけ希望と歓喜の門が開かれるか、計り知れない。
 日本全国、さらに全世界からの華陽の乙女たちの健気な報告に、私も妻も、心を弾ませる毎日である。(中略)
 何があっても、華陽のスクラムは仲良く賢く励まし合い、明るく朗らかに歌声を響かせながら、思う存分に青春を乱舞していただきたい。(2012・10・18付、「随筆 我らの勝利の大道」) (聖教新聞2017年7月8日付掲載)