女子部「御書池田大学運動」

8月度「一生成仏抄㊤」

唱題根本に崩れざる幸福境涯を8月度「一生成仏抄㊤」

  今月から2回にわたり、「一生成仏抄」を学びます。
 池田先生は、つづっています。
 「日蓮大聖人の仏法は、永遠に崩れない最高の幸福境涯を築き、自他ともに無上の人生を送りゆく希望の宗教です。誰人も、皆、仏になれる。しかも、この身そのままで、仏になれる。そして、何よりも、この一生のうちに、必ず仏になれる。この素晴らしき成仏への道を明確に示されたのが、日蓮大聖人の仏法です」
 今回は、自他共の無限の可能性を開きゆく信心の姿勢を心に刻んでいきましょう。(拝読範囲は、御書383ページ冒頭~15行目「取るべきなり」)

本抄について

 本抄は、御執筆の年次や宛先は不明ですが、立宗から間もない建長7年(1255年)に認められ、富木常忍に与えられたと伝えられています。
 題号の「一生成仏」とは、凡夫が、この一生のうちに成仏するということです。本抄では、日蓮大聖人の仏法の根幹である唱題行の意義について、法理と実践の両面から明らかにされ、南無妙法蓮華経の題目を唱える唱題行こそが、成仏の直道であることを示されます。

挿絵

御文

 但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず麤法なり、麤法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、方便権門の教ならば成仏の直道にあらず成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし、故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり
 (御書383ページ6行目~9行目)

通解

 ただし妙法蓮華経と唱え持っているといっても、もし、自身の生命の外に法があると思ったならば、それはまったく妙法ではなく、麤法(不完全な法)である。
 麤法は、法華経ではない。法華経でなければ方便の教えであり、仮の教えである。方便であり、仮の教えであるならば、成仏へ直ちに至る道ではない。成仏へ直ちに至る道でなければ、何度も繰り返し生まれて重ねる長遠な修行を経て成仏できるわけでもないので、一生成仏はついに叶うことはない。ゆえに、妙法と唱え蓮華と読む時は、自身の一念を指して妙法蓮華経と名付けているのだ、と深く信心を起こすべきである。

解説

〝自身が妙法そのもの〟と確信

 日蓮大聖人の仏法は、全ての人に尊極な仏の生命が具わることを説いています。
 そして、一人一人が仏の生命を現し、絶対的幸福境涯を開くための方途として、大聖人は、南無妙法蓮華経と唱える唱題行を確立されました。
 題目を唱えれば、いつでも、誰でも、その身のままで、仏の生命を現すことができます。大聖人によって初めて、万人成仏を現実のものとする道が開かれたのです。
 この万人の幸福を開きゆく唱題行の実践に当たって、最も大事なことは何か――。それは、「妙法蓮華経とは自分自身のことである」と確信することです。  掲げた御文では、南無妙法蓮華経と唱えていても、「己心の外」、つまり自身の生命の外に法があると思ったならば、妙法ではなく、麤法(不完全な法)になってしまうと戒められています。
 そして、麤法の例として、爾前権教(法華経以前に説かれた教え)を挙げられています。
 爾前権教では、成仏するためには、何度も生死を繰り返しながら長遠な期間にわたって仏道修行をしなければならないと説かれており、凡夫と仏とはかけ離れた存在として捉えられています。このような「己心の外」に仏を求める生き方は、自身の無限の可能性を否定することにつながります。
 私たちで言えば、例えば、悩みや苦難の原因を他人や環境のせいにしたり、仕方がないと諦めたり、今いる場所から離れたところに幸福を求めたりすることも、「己心の外」に法を求めている姿といえます。これではどんなに題目を唱えていても、妙法を信じていることにはならず、苦難を乗り越えることもできません。
 ゆえに大聖人は、〝自身の一念を指して妙法蓮華経と名付けているのだ、と深く信心を起こしていきなさい〟と強調されているのです。
 〝自身が妙法蓮華経なのだ〟と決めて題目を唱え、広宣流布に前進していくなかで、揺るがぬ幸福の土台が築かれていきます。
 池田先生は、第2代会長・戸田城聖先生の指導を私たち女子部に贈っています。
 「信心とは、最も強く自分で確信することです。自分自身が妙法の当体なのだから、諸天善神が守らないわけがないと確信して、題目をあげた時に、必ずそうなるんだよ」
 どこまでも自身の可能性を確信して「行学の二道」に励み、池田先生の入信70周年を荘厳していきましょう!

挿絵

池田先生の講義から

 「妙法蓮華経は我が己心にあり」と信じることは〝私は必ず幸せになれる〟〝私は必ず一生成仏できる〟と確信することです。そして〝自分も友も幸せになれる。だから友に語っていこう〟と、広宣流布の戦いに打って出る信心です。(中略)
 「妙法」は、万人の苦悩を除く大良薬である。また、万人の幸福を実現する大宝蔵です。その妙法を根本に、そして妙法に徹して、生ききるのです。自身の生命を妙法に染め上げるのです。自身の生命を妙法で固めるのです。
 私たちの現実は、次から次へ悩みがある。しかし、自分が妙法蓮華経であると定めて、〝いかなる苦難も乗り越えていける〟〝断じて幸福を勝ち取っていくことができる〟との大確信で、全てに向かって勇敢に挑戦していくことです。
 「我は妙法蓮華経なり」との深い信心を貫くならば、勇気をもって、いかなる課題にも挑戦していける。勇気を現していけるかどうか、そこに人生の勝利の鍵があります。(『一生成仏抄講義』)

研さんのために

 ○…『一生成仏抄講義』(聖教新聞社)
 ○…『御書の世界』第1巻、「一生成仏」(同)

挿絵

御書カフェ -華陽姉妹の語らい-

「教えて」 幸せになってほしい友人に仏法対話しようと決意しています。 

「御文」 一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり(椎地四郎殿御書、御書1448ページ)
〈通解〉 法華経を一句でも人に語る人は如来の使いであるというのである。

 「人を救おうとして悩むなんて、すごいことではないですか。尊く誇り高い、最高の悩みです。本当の慈悲の姿です」(中略)
 「折伏を成し遂げる要諦は何か。それは決意です。一念が定まれば、必ず状況を開くことができる。(中略)
 もちろん、信心の話をしても、すぐに入会するとは限りません。それでも、粘り強く、交流を深めながら、相手の幸福を日々祈り、対話を重ねていくことです。種を蒔き、それを大切に育て続けていけば、いつか、必ず花が咲き、果実が実ります。焦る必要はない。(中略)
 ともあれ、苦労して弘教に励んだ分は、全部、自分の福運になります。相手が信心しようが、しまいが、成仏の因を積んでいるんです」(中略)
 「折伏は、一人ひとりの人間を根本から救い、未来永遠の幸福を約束する、極善の実践です」
 (小説『新・人間革命』第13巻「北斗」の章) (聖教新聞2017年8月12日付掲載)