女子部「御書池田大学運動」

2月度「顕仏未来記㊦」

世界広布へ勇気と真心の対話を2月度「顕仏未来記㊦」

 今月は、「顕仏未来記」の後半を学びます。第2代会長・戸田城聖先生は、「顕仏未来記」を拝して、次のように記されました。
 「成仏の境涯とは絶対の幸福境である。なにものにも侵されず、なにものにもおそれず、瞬間瞬間の生命が澄みきった大海のごとく、雲一片なき虚空のごときものである。大聖人の佐渡御流罪中のご境涯はこのようなご境涯であったと拝される」
 大難の渦中にあって、世界広宣流布を宣言された日蓮大聖人。その御確信と、民衆救済の心に貫かれた大慈悲の御境涯を心に刻みましょう。(拝読範囲は、御書507ページ10行目~509ページ本抄末尾)

本抄について

 本抄は文永10年(1273年)閏5月、日蓮大聖人が流罪先の佐渡・一谷で認められたものです。
 題号の「顕仏未来記」(仏の未来記を顕す)とは、「未来を予見し、記した仏の言葉を実現する」という意味です。
 「仏の未来記」とは、釈尊の未来記を指しますが、本抄の元意は〝末法の御本仏としての大聖人の未来記〟を明かされることにあります。
 釈尊の未来記とは、本抄の冒頭で引用されている法華経薬王品の経文を指します。ここには、末法における世界広宣流布が予言されています。本抄では、この釈尊の未来記を実現したのは、大聖人ただお一人であることが示されます。そのうえで、大聖人御自身の未来記として、法華経の肝要である南無妙法蓮華経の大法が全世界に広宣流布することが明かされます。

挿絵

御文

 日蓮此の道理を存して既に二十一年なり、日来の災・月来の難・此の両三年の間の事既に死罪に及ばんとす今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり、世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え、幸なるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことを悦ばしいかな未だ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ、願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん(御書509ページ2行目~5行目)

通解

 日蓮は、末法広宣流布の道理を知って大法を弘めてから、すでに21年になる。日々に災いが競い、月々に難が起こったが、この2、3年の間には、死罪にまで及ぼうとした。今年、今月にも、万が一にも死を免れようのない身命である。世間の人よ、私の言葉に疑いがあるならば、詳しいことは私の弟子に聞きなさい。なんと幸いなことであろうか。この一生のうちに、無始以来の謗法の罪を消滅できるとは。なんと喜ばしいことであろうか。今までお会いしていない教主釈尊にお仕えすることができるとは。
 願わくは私を亡き者にしようとする国主たちをまず最初に導こう。

解説

民衆救済を願う御本仏の大慈悲

 掲げた御文の冒頭で日蓮大聖人は、立宗宣言されてから21年、難の連続であったことを示されています。
 「此の道理」とは、釈尊が法華経で予言した通りに、末法広宣流布を担う法華経の行者が出現することを指します。
 大聖人は、この道理を自覚され、あらゆる大難にも屈せず、民衆救済の戦いを貫かれました。そして、ついには、竜の口の法難や佐渡流罪という、命にも及ぶ大難に遭われたのです。
 そのような中で大聖人は、本抄をはじめ、後世に残すべき重要な法門や門下への励ましを、烈々たる気迫で認められました。
 続く御文では、大聖人御自身の言葉について、もし世間の人々が疑いを持つようならば、大聖人門下に問うようにと仰せです。ここには、弟子を信頼し、一切を託される師匠の万感のお心が拝されます。
 また大聖人は、命に及ぶ大難の渦中にあって、「幸なるかな」「悦ばしいかな」と、大歓喜の心情を述べられます。
 すなわち、迫害に遭うことで、過去世から重ねてきた謗法の罪を消滅できること。そして、広宣流布という仏の大願に生き抜くことで、釈尊にお仕えできることを喜ばれています。
 さらには、〝願わくは私を迫害する国主たちを最初に救っていこう〟と大慈悲で包み込まれています。まさに、悠然とした師子王のごとき仏の境涯です。
 広宣流布の誓願を貫く時、仏界の生命が開かれ、どんな苦難にも負けない無限の智慧と慈悲が湧いてくるのです。
 ゆえに、たとえ今、〝思うようにいかない現実〟や悩みの渦中にあったとしても、誓願の祈りを根本に粘り強く前進していくなかで、壁を打ち破ることができるのです。
 池田先生は女子部に「広布の誓いに生き抜く青春は、必ず無限の福運の力が涌現する。必ず自分らしく輝き、自分でなければ果たせぬ使命に生き切っていけるのだ」と呼び掛けています。
 「伝統の2月」から「3・16」へ、報恩の誓いを胸に、勇気と真心の対話を広げていきましょう!

挿絵

池田先生の講義から

 大聖人は本抄で「世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え」(御書509ページ)と呼びかけられました。師匠の正義を語り広げるのは、弟子の責任であります。未来を託す師の絶対の信頼に、命を賭して応えゆく弟子の誓願の闘争の中にのみ、広宣流布の命脈はある。(中略)
 師匠の正義を満天下に示す。あらゆる大難に打ち勝って永遠に伝える。これこそ、弟子の誓願であります。そして、いよいよ、わが分身である青年部の諸君の出番であると、私は声高く宣言しておきます。(『御書と師弟』第1巻)
 ◇ ◆ ◇
 戸田先生は「広宣流布のさきがけをしようではないか」と叫ばれ、「創価学会は宗教界の王者である」と宣言されました。
 私は、私とともに戦ってきてくださった皆様とともに、「我らこそ御本仏の未来記の主人公なり」と、誇り高く宣言したい。
 そして「私は勝った! 我らは勝ちに勝った!」と言える輝かしい人生を、愉快に、朗らかに、はるかな未来へ向かって共々に生き切っていきましょう。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)

研さんのために

 ○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻、「顕仏未来記」(聖教新聞社)
 ○…『御書と師弟』第1巻、「仏の未来記」(同)

挿絵

御書カフェ -華陽姉妹の語らい-

「教えて」 折伏に挑戦したいと思いますが、友人の反応が気になってなかなか勇気がでません。 

「御文」 法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり(法華初心成仏抄、御書552ページ)
〈通解〉 法華経を耳に触れるならば、これを種として必ず仏になるのです。

 「信心はすごいよ!」とありのままに歓喜を語れば、既に立派な折伏である。その体験を語る側も聞く側も、共に福徳の花を爛漫と咲かせる因を積んでいけるのだ。
 ゆえに、すぐに対話が実らずとも、落ち込むことも、焦ることもない。
 (中略)
 自信満々と、喜び勇んで次の友へ、また次の友へと、語り広げていけばよい。(『随筆 民衆凱歌の大行進』)
 ◇ ◆ ◇
 一人の人を折伏するということは、どれほど大変なことか。妙法は「難信難解」とある通りである。だからこそ、これ以上に尊い、偉大な行動はない。
 私も、なかなか、できなくて苦労した。でも、同志と「今、一人の人が入会せずとも、幾百千万の人々が、我らを待っている」と励まし合いながら、悠々と対話を進めてきた。
 折伏は、できても、できなくても朗らかにやりなさい。皆に最高の希望と勇気を送る対話なのだから。
 そもそも、人を救おうとして悩むこと自体、すごいことではないか。
 それ自体、地涌の菩薩の悩みであり、仏の悩みである。(『勝利の人間学』) (聖教新聞2018年2月17日付掲載)