青年部年間拝読御書

「立正安国論」研鑽のために(1)

青年よ立て! 全民衆の幸福のために「立正安国論」研鑽のために(1)

本年は、創価学会版『御書全集』発刊60周年の節目を刻む。永遠の広宣流布の基盤となる青年学会を築く今、青年部の年間拝読御書として「立正安国論」を学んでいく。第1回は、本抄の背景と大意、第1段を解説する。

背景と大意

「立正安国論」は、日蓮大聖人が文応元年(1260年)7月16日、39歳の時、時の実質的な最高権力者・北条時頼にあてられた「国主諫暁の書」である。

対告衆

当時、北条時頼は、すでに執権職を引退して最明寺入道と呼ばれていたが、得宗(北条氏嫡流の当主)として幕府内の実権を掌握していた。それゆえに、大聖人は時頼に対して諫暁されたと考えられる。

「諫暁」には、仏法者の立場から、相手の誤りを指摘して迷妄を開き、正しい道に導く、との意義が込められている。

本書の対告衆は、直接は北条時頼であるが、広く言えば指導者全般であると拝することができる。さらに主権在民の現代にあっては、主権者たる「国民一人一人」が「国主」であり、本書の精神を訴えていくべき対象となる。

挿絵

時代背景

当時は、大地震、大風、洪水などの自然災害が相次ぎ、加えて疫病の蔓延、深刻な飢饉などが毎年のように続き、人心は乱れ、民衆は苦悩の底にあった。

「立正安国論奥書」に、「正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の尅の大地震を見て之を勘う」(御書33ページ)とあるように、正嘉元年(1257年)8月に鎌倉一帯を襲った「正嘉の大地震」が、本書の執筆を決意された直接の動機である。

この大地震は前代に例を見ない被害をもたらし、山は崩れ、家屋は倒壊し、地が裂け、火炎が噴き出たという記録が残っている。

そして、大地震の後も、余震は続き、11月にも、再び大地震が起きる。

さらに、翌年6月には真冬のような冷え込みが続き、8月には鎌倉に大風、京都に暴風雨が襲い、穀類の被害は甚大であった。10月には鎌倉に大雨による洪水が起こり、民家が流失し、多数の犠牲者が出た。また、疫病が流行し、諸国に飢饉が広がるありさまであった。「立正安国論」提出直前の4月にも鎌倉で大火、6月には大風と洪水があった。

大聖人御自身も、この民衆の苦悩を目の当たりにされ、深く心を痛められた。

大聖人は、災難をとどめて民衆を救う道を求めて、駿河国(現在の静岡県)の岩本実相寺で一切経を精読された後、これらの災いをなくすには正法を立てる以外にないことを深く確信された。そして、「立正安国論」を著し、北条時頼の側近である宿屋入道を介して、この書を提出されたのである。

十問九答の問答

「立正安国論」は、主人と客との十問九答の問答形式で展開され、誤った仏教に執着する客に対して、主人は理路整然と真実を説き示していく。

まず、相次ぐ災難を嘆く客(=北条時頼を想定)の言葉から始まり、それに対し主人(=日蓮大聖人)は、人々が正法に背き悪法を信じていることに災いの原因があると述べられる。

大聖人は、災厄の元凶として、当時、特に隆盛を誇っていた念仏を強く破折され、「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(御書24ページ)と弾呵されている。

そして、このまま謗法に執着していくならば、経文に説かれる七難のうち、まだ起こっていない自界叛逆難と他国侵逼難の二難が起こることを警告され、「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ」(同32ページ)と、実乗の一善(妙法)に帰依するよう促されている。

最後に、客は謗法を捨て、妙法に帰依することを誓っており、この誓いの言葉が、そのまま全体の結論となっている。

挿絵

立正安国について

「立正安国」とは、「正を立て、国を安んずる」と読む。「立正」は安国の根本条件であり、「安国」は立正の根本目的である。

「立正」とは「正法を立てる」、つまり、正法の流布であり、一切衆生の成仏を可能にする妙法への「信」を人々の胸中に確立し、法華経から帰結される生命の尊厳、人間の尊重という哲理を社会の基本原理としていくことである。

また、「立正」とは、破邪顕正でもある。妙法の万人成仏、万人平等の精神に反する「民衆蔑視」と人間の絆を分断する主義・思想は、次第に人々の心に浸食し、活力を奪っていく。この「悪」を打ち破る対話によって人々の無明を払い、正法を社会に確立することができる。

この「立正」の目的である「安国」、すなわち「国を安んずる」とは、社会の繁栄と世界の平和にほかならない。

大聖人が示された「安国」の「国」とは、権力者を中心者とした「国家」ではなく、民衆が住む安穏の「国土」を指している。

自界叛逆、他国侵逼の両難に対する警告は、悲惨な戦争によって民衆が塗炭の苦しみにあえぐことを、なんとしても回避せねばならないとの大慈悲の発露であられたと拝される。

大聖人は本書で「くに」を表現する際、「国構え(囗)」に「玉(王の意)」と書く「国」や、「国構え」に「或(戈を手にして国境と土地を守る意)」と書く「國」という字よりも、「国構え」に「民」と書く「■<囗の中に民>」の字を多く用いられている。現存する御真筆では、「くに」を表す全71文字のうち、56文字に「■<囗の中に民>」が使われている。

どこまでも民衆に同苦し、民衆に目を向けるのが大聖人の仏法である。この大聖人が示された立正安国の実現こそが、創価学会の使命である。

挿絵

第1段 災難由来の根本原因を明かす
第1章 災難の由来を問う
(御書17ページ初め~9行目)

通解

旅客が訪れて嘆いて語る。

数年前から近日に至るまで天変地異が天下の至るところで起き、飢饉や疫病が広く地上を覆っている。牛馬は至るところに死んでおり、死骸や骨は道にあふれている。すでに大半の人々が死を招き、これを悲しまない者は一人もない。

そこで、(浄土宗の)ある者は「阿弥陀の名は煩悩を断ち切る利剣である」(中国浄土宗の善導の言葉)との文を、ただ一筋に信じて西方浄土の教主(阿弥陀仏)の名を唱え、(天台宗の)ある者は「すべての病がことごとく治る」という薬師経の文を信じて、東方世界の如来(薬師如来)の経を口ずさむ。あるいは天台宗の者が「病がたちまちのうちに消滅して不老不死の境涯を得る」(法華経薬王品)という言葉を信じて法華経の真実の経文を崇め、あるいは「七難がたちまちのうちに滅して七福が生ずる」(仁王般若経)の句を信じて、百人の法師が百カ所において仁王経を講ずる百座百講の儀式を整える。あるいは秘密真言の教えによって、五色の瓶に水を入れて祈祷を行い、あるいは坐禅によって禅定(瞑想)に入る修行を行って空観にふける。あるいは七鬼神の名を書いて門という門に張り、またあるいは一国、万民を守護するという仁王経の五大力菩薩の図を多くの戸口に掲げている。あるいは天の神、地の神をたのんで幕府の四隅や鎌倉の四境に祭り、あるいは国主や地方の長官らが万民、民衆を哀れんで徳政を行っている。

しかしながら、ただ心を砕くのみで、ますます飢饉や疫病が広がり、物乞いをしてさすらう者が目にあふれ、死人は至るところに転がっている。うずたかく積まれた屍は物見台のようであり、並べられた死体は橋のようである。

よくよく考えてみると、太陽も月も五星(水星・火星・木星・金星・土星)も、なんの変化もなくきちんと運行し、仏法僧の三宝も、世の中に厳然とある。また、八幡大菩薩が百代の王(天皇)を守護すると誓った、その百代にも至っていないのに、この世は早くも衰えてしまい、その法はどうして廃れてしまったのか。これはいかなる罪によるのであり、また、いかなる誤りによるのであろうか。

挿絵

解説

第1段は、「旅客」が、当時の災難によって、社会が悲惨な現状になっていることを嘆き悲しみ、それに対してさまざまな対応が行われているにもかかわらず、効力がないことを述べ、どのような理由でこのようなことが起こるのかと、主人に問い掛けるところから始まる。

これに対し「主人」は、世の人が皆、正法に背き悪法を信じているために、国土を守護すべき善神が去り、そのあとに悪鬼、魔神が入り、それが災難を引き起こしているのであると「災難の根源」を明かし、「神天上の法門」を説く。

民衆の惨状を嘆く

冒頭で客が語る「近年より近日に至るまで……」とは、具体的には、本書執筆の直接の動機となった正嘉元年の大地震から、本書執筆の文応元年に至る4年間の状況を示されていると考えられる。

当時の記録を見ても、この時代は、種々の災難が、毎年、起こっていたことが分かる。

続いて「然る間或は」以下では、こうした災難、惨状に対して、諸宗が、さまざまな祈祷や方策を講じた姿を述べられている。

また為政者が民衆に米を施すこともあった。これは、慈悲深い政治が行われれば、天がそれに応え、災いがなくなるとの伝承によるものである。

こうした諸宗の祈祷や為政者の努力にもかかわらず、それらが一向に効果を上げていない。むしろ、疫病はますます猛威を振るい、物乞いをしてさすらう者は増え、死人はあふれんばかりであり、死体は物見台のようにうずたかく積まれ、橋のように列をなしたと言われている。

災難の原因を尋ねる

「二離璧を合せ」とは太陽と月が光明らかに、平常通り運行し、照らしているとの意。「五緯珠を連ぬ」とは惑星の運行が正常であることを示している。

「三宝も世に在し」とは、仏教各派の信仰が盛んに行われていることを指し、「百王未だ窮まらざるに」とは、八幡大菩薩が百代の天皇を守護するとの誓いを立てているので、その守護があってしかるべきであるとの意である。

このように世が乱れる理由がないにもかかわらず、社会が衰退してしまったのは、どのような誤りや過失によるものかとの疑問が提示される。

この「何なる誤に由るや」との疑問こそ、まさに「立正安国論」の根本テーマでもある。

挿絵

第2章 災難の根本原因を明かす
(同17ページ10行目~14行目)

通解

主人が言う。

自分も一人でこのことを憂い、胸の中に言うべきことが噴き上がる思いでいたところ、あなたが来て同じことを嘆くので、しばらく、これについて語り合おうと思う。

いったい、出家して仏道に入る者は、正法によって成仏を期すのである。しかるに、今や神術もかなわず、仏の威徳にたよっても、そのしるしがない。

つぶさに現在の世のこのありさまを見ると、あまりにも愚かであり、後学の者として疑いを起こすばかりである。それゆえ、天空を仰いであふれんばかりの憤りをのみ、地に俯しては深く心を砕いているのである。

私の狭い見識を尽くし、経文をわずかばかり開いてみたところ、世の人々は皆、正法に背き、ことごとく悪法に帰している。それゆえに、守護すべき善神は国を捨てて去ってしまい、聖人はこの地を去って他の所へ行ったまま帰ってこない。そのために、(善神や聖人に代わって)魔や鬼神がやって来て、災いが起こり、難が起きているのである。

実にこのことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなければならないことである。

解説

ここに明示される災難の根源と由来は、本書全編を貫く骨格の法理であり、以後の叙述は、この法理の論証であり詳説であるともいえる。

仏教者の姿勢を明かす

まず、主人は、客の嘆きは自身の嘆きでもあることを述べ、客が来たことを機会に、その解決の方途を語り合おうと述べる。

「夫れ出家して道に入る者は法に依つて仏を期するなり」とは、出家の目的が仏法を修行して成仏することにあるということである。

ところが、仏教界の高僧たちが祈っても、今や「神術」もかなわず、「仏威」もしるしがない。

「倩ら微管を傾け聊か経文を披きたるに」とは、〝自分は見識も学問も浅いが〟という御謙遜の言葉であるが、それと同時に、判断の規準とすべき経文には、解決への方途が明確に示されているということである。

挿絵

「神天上の法門」を示す

「世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る」とは、災難の根本原因と由来を明かされた御文である。

この部分は、3意に分かれる。

まず、〝国中が正法に背いて邪法を信じている〟ことが、災難の根本原因であるということである。

次に、この一国謗法のために、〝善神・聖人が国を捨て去ってしまった〟のである。

「善神」とは、「諸天善神」のことで、人々の生命・生活や国土を守る力・働きのことをいう。

諸天善神は、正法の法味を食して威光勢力を増して、守護の働きを現す。正法が衰退して、その法味を得ることができないと、諸天は守護の役割を放棄して天界に上ってしまう。これを「神天上の法門」という。

また「聖人」とは、正法によって社会の人々を正しい方向へ導く精神的な指導者のことである。

誤った思想が蔓延すれば、聖人は国を捨て去ってしまい、人々は、自身と社会の進むべき方向を見失ってしまうことになるのである。

最後に、〝善神・聖人に代わって魔神、鬼神が来るために、災いが起こり、難が起こる〟とする。「魔」「鬼」とは、生命や国土を破壊する働きであり、人々の心を狂わせて、邪悪な考え方、生き方をさせる働きである。

結びの「言わずんばある可からず恐れずんばある可からず」は、〝実にこの人々を苦しめる謗法の誤りは声を大にして言わなければならないことであり、万人が恐れなくてはならないことである〟との意味である。

迫害が起こることを覚悟で、全人類の救済のために広宣流布の大願に立たれ、国主諫暁された大聖人のお心が胸に迫る御文である。

(創価新報2012年2月1日号)