青年部年間拝読御書

「種種御振舞御書」研鑽のために(2)

苦難の時こそ正義を叫べ「種種御振舞御書」研鑽のために(2)

青年部年間拝読御書「種種御振舞御書」を学ぶ連載の第2回は、第2章と第3章を解説する。度重なる迫害を正義の師子吼で打ち破り、死身弘法を貫かれた日蓮大聖人の闘争に迫る。

第2章 死身の弘法を説いて弟子を励ます
(御書910ページ3行目~911ページ3行目)

通解

(幕府の論議を伝え聞いて)日蓮は悦んで言う。

「(命に及ぶ難があることは)はじめから存知していたことである。
雪山童子は半偈のために鬼神に身を投げ与え、常啼菩薩は法を求めるために身を売り、善財童子は求法のために高山から火の中に飛び込み、楽法梵志は仏の言葉を書き残すために自分の皮をはいで紙とし、薬王菩薩は臂を焼いて灯明とし、不軽菩薩は一切衆生を礼拝し増上慢の者に杖木で打たれ、師子尊者は檀弥羅王に首を斬られ、提婆菩薩は法論に負けた外道に殺された。これらは、どういう時の修行であったかと考えてみると、天台大師は『(どのような修行をするかは)時に適うべきである』(法華文句)と書き、章安大師は『(摂受・折伏の二門は時によって)取捨すべきで一方のみに偏るべきではない』(涅槃経疏)と記している。このように、法華経は一法であるけれども、衆生の機根に従い、時によって、その修行の方法はさまざまに違いがあるのである。

釈尊は『私の入滅後、正法・像法の二千年が過ぎて末法の始めに、この法華経の肝心である題目の五字(妙法蓮華経)だけを弘める者が出現するであろう。その時には、悪王や悪比丘等が大地の微塵よりも数多くいて、あるいは大乗、あるいは小乗などをもって互いに競い合っているのであるが、この題目の行者に(折伏をもって)責められるために、在家の檀那等をそそのかして、あるいは悪口し、あるいは打ち、あるいは牢に入れ、あるいは所領を取り上げ、あるいは流罪、あるいは頸をはねるべきである、などと言って(脅迫しようと)も、退転せずに正法を弘めるならば、これらの迫害者たちは、国主は同士打ちをはじめ、餓鬼のように身を食らい、後には他国から攻められるであろう。これは、ひとえに、梵天・帝釈・日天・月天・四大天王等が、法華経の敵である国を他国から責めさせるのである』と説かれているのである。

各々、わが弟子と名乗る人々は、一人も臆する思いを起こしてはならない。(大難の時には)親のことを思ったり、妻子を思ったり、所領を顧みてはならない。無量劫の昔から、今日まで、親や子のため、所領のために命を捨てたことは大地の微塵の数よりも多い。だが、法華経のためには、いまだ一度も命を捨ててはいない。法華経をずいぶん修行したけれども、このような大難が出来したので、退転してやめてしまったのである。それは譬えば、湯を沸かしておきながら水の中に入れ、火を起こすのに途中でやめて火を得られないようなものである。各々、覚悟を決めなさい。この身を法華経に換えるのは、石を黄金と取り換え、糞を米と換えるようなものである。

釈尊の滅後、二千二百二十余年の間、迦葉・阿難ら、馬鳴・竜樹ら、南岳・天台ら、妙楽・伝教らといった人々でさえ、いまだ弘めることがなかった、法華経の肝心であり諸の仏の眼目である妙法蓮華経の五字が、末法の始めに全世界に広まっていく瑞相として、日蓮が先駆けしたのである。

わが一門の者たちは、二陣、三陣と続いて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教をも超えなさい。わずかばかりの小島である日本の国主などが脅すのにおじけづいては、閻魔王の責めを受けた時には一体、どうするのか。仏のお使いであると名乗りをあげておきながら臆するのは、話にもならない人々である」と弟子たちに申し含めたのである。

挿絵

解説

日蓮大聖人一門に大弾圧を加えようとしている幕府の動向に対し、大聖人は「日蓮悦んで云く本より存知の旨なり」(御書910ページ)と断言される。末法に法華経を弘通するところに大難が競い起こるのは当然であり、初めから承知している。むしろ大難こそ法華経の行者の証明であり喜ばしいことだ、との仰せである。

そして、末法における弘教は、相手に合わせる「摂受」ではなく、堂々と正法を語り抜いていく「折伏」であることを示される。天台大師や章安大師の引用は、仏道修行の実践や弘教の方法は「時」や「衆生の機根」によって異なることを述べたものである。続く内容は、法華経や涅槃経、また「立正安国論」でも引用された四経(金光明経・大集経・仁王経・薬師経)などの意をとって大聖人が表現されたもので、邪智・謗法の充満する末法において南無妙法蓮華経を弘めれば、三類の強敵が法華経の行者に襲いかかるが、そのため、その国は諸天に加護されなくなり、「自界叛逆難」(内乱)や「他国侵逼難」(他国からの侵略)が起こるというものである。

不惜身命とは勇気

大聖人は、弟子たちに「各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず」(同ページ)と、「臆病」を厳しく戒められている。退転の最大の要因は、難が起きたことよりも、難にひるむことにある。魔は家族や仕事に付け入って、法華経の行者が成仏することを妨げようとする。そうした魔の働きを見破るのが「勇気の信心」であり、「不惜身命の実践」である。

ゆえに大聖人は〝思い切って信心を貫けば、石を黄金に換えるように、凡夫の身を仏身へと変えていける。大難に直面した時こそ成仏の好機なのだ〟と、全門下に不惜身命の覚悟を促されているのである。

池田名誉会長は「勝利の経典『御書』に学ぶ」で、「『不惜身命』とは、小さな自分への執着を捨てて、大きな自分を獲得すること」「三世の生命から見れば、無量の福徳に、永遠に強く深く、包まれていく」とつづっている。

わが身を惜しまず法を惜しむ生き方は、決して自己の生命や家族、仕事をないがしろにすることではない。「勇気」を奮い起こし、眼前の苦難を信心を根幹に乗り越えていく連続闘争のなかでしか、絶対的幸福の境涯を開いていくことはできないのである。

挿絵

二陣三陣と続け

法華経の肝心であり、諸仏の眼目である南無妙法蓮華経は全世界に広まるべき大法である。末法において、大聖人が「さきがけ」として妙法を顕し、弘めたとの仰せは、大聖人こそ法華経の行者であり、末法の御本仏であることを示唆されている。

また、門下に対し、一閻浮提広宣流布の戦いに「二陣三陣つづきて」(同911ページ)と呼び掛けられる。大聖人の「さきがけ」を受けて門下が「後に続け」とは、広宣流布は「師弟の道」であり、大聖人と同じ死身弘法の実践によってのみ実現するということである。

大聖人は、広布の大道に続く人は末法の凡夫であっても、迦葉・阿難や天台・伝教よりも、はるかにすぐれた使命と功徳と智慧と慈悲を持つようになると仰せである。そして、大迫害を加えてくる権力者たちを「小島のぬしら」と喝破される。

〝末法に妙法を弘める我らは地涌の菩薩であり、「仏の御使」なのだ。権力者を恐れるようであってはならない〟と、私利私欲や名聞名利のために騒ぎ立てる輩を悠々と見下ろし、笑い飛ばしていく大境涯を示されるとともに、権力の脅しに断じて臆してはならないと弟子たちを激励されるのである。

第3章 念仏者等の讒言と平左衛門尉の敵対
(同911ページ3行目~14行目)

通解

こうしているうちに、念仏者や持斎・真言師らは、自身の智慧は(大聖人に)及ばず、(行敏の名で大聖人を訴えた)訴状も(大聖人の反論で主張が総崩れし)効果がなかったので、上郎(幕府高官の夫人)や尼御前(武家の未亡人)たちに取り入って、さまざまなつくりごとを言った。

「(日蓮は)故最明寺入道殿(北条時頼)や極楽寺入道殿(北条重時)を無間地獄に堕ちたと言い、(この人たちが建立した)建長寺・寿福寺・極楽寺・長楽寺・大仏寺などを焼き払えと言い、道隆上人や良観上人らの頸をはねよと言っている。御評定(評定衆の会議)では何の処置もなかったが、日蓮の罪禍は免れがたいではないか。ただし以上のことは〝間違いなく言ったのか〟と本人を召し出して尋ねられたほうがよい」ということで、(9月10日、幕府に)召喚された。

(その席上)奉行人(平左衛門尉)が「御沙汰は以上のとおりである」と言ったので、(それに答えて)「以上のことは、一言も違わず言った。ただし、最明寺殿や極楽寺殿が地獄へ堕ちたと言ったというのは、つくりごとである。この(謗法によって地獄に堕ちるという)法門は、最明寺殿や極楽寺殿がご存生の時から言ってきたことである。

詮ずるところ、それらのことは、この国を思って言っていることであるから、世を安穏にたもとうと思われるならば、かの諸宗の法師たちを自分とともに召喚して、取り調べられるがよい。そうしないで、かの法師たちに代わって、理不尽に日蓮を罪におとすようなことがあるならば、この国に後悔するようなことが起こるに違いない。

日蓮が幕府の御勘気を蒙るならば、仏のお使いを用いないことになってしまう。その結果、梵天・帝釈・日天・月天・四大天王のお咎めがあって、日蓮を遠流や死罪にした後、百日、一年、三年、七年の内に、自界叛逆難といって、この北条家のご一門に同士打ちが始まるであろう。その後は、他国侵逼難といって四方から、特に西から攻められるであろう。その時、後悔するに違いない」と平左衛門尉に申しつけたけれども、平左衛門尉は、太政入道(平清盛)が狂ったように、少しも周りをはばかることなく猛り狂った。

挿絵

解説

ここで日蓮大聖人は「迫害の構図」を浮き彫りにされる。

文永8年(1271年)、極楽寺良観が祈雨の勝負で大聖人に惨敗。教義の上でも大聖人にかなわない良観は、この惨敗で自説の誤りを認めるどころか、卑劣にも鎌倉在住の悪僧を結集し、大聖人迫害の謀略を企てる。

7月8日、念阿良忠の弟子・行敏が大聖人に対論を挑んでくる。うごめく行敏の陰に良観らの策謀があることを見抜かれた大聖人は、私的な問答ではなく公場対決するよう呼び掛けられる。ところが、その返書を受け取った行敏は、幕府の問注所(裁判所)宛てに大聖人を訴える訴状を提出するのである。当時の裁判の手続きに添って、大聖人は訴えの反論の書状を提出(「行敏訴状御会通」)。その冒頭で、良観並びに良忠こそ訴えてきた張本人であることを明示されている。大聖人の明快な反論になすすべもない良観は、今度は、幕府要人の夫人たちに取り入って、大聖人が〝歴代執権が地獄に堕ちた〟と悪口していると讒言し、召喚するように画策する。そして9月10日、大聖人は問注所へ召喚される。取り調べにあたった平左衛門尉は、讒言の内容を取り上げて尋問する。大聖人は「北条時頼や重時が亡くなってから〝地獄に堕ちた〟と言ったというのは全くの偽りで、生前から言ってきたことである」「真実かどうか、法の正邪は公の場で決すべきだ」と鋭く迫られ、大聖人を流罪・死罪にすれば自界叛逆難・他国侵逼難が必ず起こると厳しく戒められた。大聖人を居丈高に取り調べるつもりであったであろう平左衛門尉は、厳しい諫めを受けて逆上するのである。

迫害の構図を見破れ

この御事跡から伺えることは、悪が正義の人を迫害する手段はデマと讒言であるということである。そして、大聖人が「がうじゃうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ」(御書1084ページ)と仰せのように、それらのデマを打ち破るのは一歩も退かぬ師子吼であるということである。

現代における学会への迫害も、退転者の嫉妬や民衆勢力の台頭を恐れた権力者らが、一部マスコミと結託してでっち上げたデマが元であり、同じ構図である。しかし、日蓮大聖人の闘争のままに厳然とデマを打ち破りながら、死身弘法、不惜身命の実践を貫いてきた創価三代の会長の闘争によって、一切を変毒為薬し、仏法は世界192カ国・地域に広がった。

広宣流布は仏と魔との間断なき闘争である。仏法を弘めるところ、三障四魔、三類の強敵が競い起こることは必定である。今こそ後継の青年部が、広布の大道を歩む「無上の誉れ」と「不惜身命の覚悟」で立ち上がり、苦難の時こそ、厳然と正義と真実を叫び切っていきたい。

(創価新報2013年2月20日号)