青年部年間拝読御書

青年部拝読御書 顕仏未来記 研鑚のために⑤

師の心を広めゆく伝持の人に
時代の闇を照らす「太陽の仏法」青年部拝読御書 顕仏未来記 研鑚のために⑤

青年部拝読御書「顕仏未来記」を学ぶ連載の第5回は、第5章を解説。釈尊の仏法が形骸化していった「仏法東漸」の歴史、日蓮大聖人の仏法が全世界へ弘まる「仏法西還」の本質を通し、正しき仏法の精神を伝え持つ、後継の人材の重要性を学んでいく。

第5章 月氏・漢土に仏法無きを明かす(御書508㌻1行目~10行目)

通解

 疑って言うには、確かに釈尊の未来記があなた(大聖人)に当てはまっていることは分かった。ただし、日本だけでなくインドや中国等にも法華経の行者がいるのではないだろうか。
 答えて言うには、四天下(=全世界)の中に二つの太陽があるわけがない。四海の内側(=周りを海に囲まれた一つの国)にどうして二人の国主がいようか。
 疑って言うには、インド(五天竺)や中国(漢土)に法華経の行者がいないということが、どうしてあなたに分かるのか。
 答えて言うには、月は最初西の空に出て輝き、その後、出る位置が次第に東へ移動していく。太陽は、東から出て西の方角を照らす。仏法もまたこれと同じである。正法・像法時代には仏法は西から東へ向かい、末法には東から西に伝わっていくのである。
 妙楽大師は法華文句記に「すでに仏法の中心の国(=インド)で仏法が衰えて、四方の国々に仏法を求めている姿そのものではないか」と指摘されている。これは、現在のインドに仏法がないという証文である。
 また漢土においては、宋の高宗皇帝の時、北狄が宋の首都・東京開封府を占領してから現在に至るまで150余年の歳月がたっており、すでに仏法も王法もともに滅んでしまっている。中国における一切経の中には、今では小乗経の経典は全く無くなっており、大乗経の経典もそのほとんどを失ってしまった。
 すでに平安時代末期に、日本から寂照という僧らが少しばかり経文を中国へ渡した。しかしながら中国では、仏法を持ち伝えていく人がいなかったので、それはちょうど木や石の像に法衣を着せ、鉢を持たせたようなもので、何の役にも立たなかった。
 ゆえに遵式は「仏法は、初めは西から伝わってきたが、それはちょうど月が西から東へと移っていったようなものである。今、再び仏法が東の日本から帰ってきたが、それはちょうど太陽が東から昇るようなものである」等と述べている。
 これらの釈によれば、インド・中国においては、すでに仏法が失われてしまっていることは明確である。
 問うて言うには、インド・中国に仏法が無いことは分かった。しかし、南閻浮提を除く東・西・北の三洲に仏法が無いというのは、何を根拠に知ることができるのか。
 答えて言うには、法華経巻第8の普賢菩薩勧発品第28に「仏の滅後において、閻浮提の内に広く法華経を流布させて、断絶させないようにする」と説かれている。この経文の「内」という字は、東・西・北の三洲を除くということを意味している文なのである。

挿絵

解説

★仏法東漸と仏法西還

 第5章では、日蓮大聖人お一人が末法の法華経の行者であることを論証されていく。
 初めに、「日本だけでなく、インドや、中国等にも法華経の行者がいるのではないだろうか」との問いが立てられる。それに対し、「四天下に二つの太陽があるわけがない。四海(須弥山を取りまいている四方の外海)の内側にどうして二人の国主がいようか」と述べられ、大聖人こそが唯一の法華経の行者であると宣言される。
 太陽ならびに国主になぞらえて仰せになられたところに、いかに「法華経の行者」が重要な存在であるかが示されている。
 次に、「インドや中国に法華経の行者がいないということが、どうしてあなたに分かるのか」との問いを設けられる。ここで大聖人は、正法・像法時代に、釈尊の仏法がインドから中国、日本へと伝わった「仏法東漸」の歴史と、末法において仏法が日本から中国、インドへと広がっていく「仏法西還」の流れを示される。
 まず、月と太陽の動きを通し、仏法流布の方軌を述べられる。すなわち、「月は、西より出て東を照らす」。これは、釈尊の仏法が、インドから中国、日本へと、次第に東へ伝わっていった様相を表している。
 また、「太陽は、東から出て西の方角を照らす」。これは、大聖人の仏法が、日本から全世界へと広がっていくことを示している。
 続いて、妙楽大師の「豈中国(仏教の中心地であるインド)に法を失いて之を四維(四方の国々)に求むるに非ずや」との『法華文句記』の一節を引用され、インドにもはや仏教がないことを示される。
 この妙楽の言葉は、不空(中国の真言密教の祖の一人)の弟子・含光がインドを訪れた時、インドの僧から天台の教えを紹介してほしいと言われたエピソードをふまえて述べられたものである。
 さらに大聖人は、中国において、北狄(金王朝)という北方の異民族が北宋を侵略し、その北狄が蒙古によって滅ぼされたことで、中国でも仏教が衰亡していったことを述べられ、「中国における一切経の中には、今では小乗経の経典は全く無くなっており、大乗経の経典もそのほとんどを失ってしまった」と仰せられている。
 平安時代の末期には、日本から寂照という日本天台宗の僧が中国を訪れた。
 その際、すでに中国では失われていた南岳大師の『大乗止観』を持っていたので、中国天台宗の遵式が喜んだ、というエピソードがある。その時に遵式が「今、再び仏法が東の日本から帰ってきた」と述べたことを、大聖人は紹介されている。
 また、「経典等があっても、それを持ち伝えていく人がいなかった」と指摘され、「それはちょうど、木や石の像に法衣を着せ、鉢を持たせたようなもので、何の役にも立たなかった」と喝破される。
 以上の話を通し、大聖人は、「天竺漢土に於て仏法を失せること勿論なり」と明言。また、「南閻浮提を除く東・西・北の三洲に仏法が無いというのは、何を根拠に知ることができるのか」との問いに対し、法華経普賢品の経文を引かれ、釈尊の仏法の流布の地は南閻浮提に限られることを示される。
 以上の展開を通して「大聖人こそ、全世界において、唯一の、末法の法華経の行者」であることを明かされるのである。

★「人間復興」の宗教革命

 宗教は、人間の幸福のためにある。しかし、その目的を見失えば、宗教は形式に堕し、人間を「手段化」する危険をはらんでいる。
 仏教は時を経て、インド、中国、朝鮮、日本へと東に伝わる「仏法東漸」の中で、次第に形骸化していった。
 仏典には「五箇の五百歳」が説かれている。これは、釈尊滅後の仏法流布の状態を500年ごとに5期に分けて説明したもので、①解脱堅固(衆生が小乗教を修行し、解脱を求めた時代)②禅定堅固(衆生が大乗教を修行し、禅定を持つ者が多い時代)③読誦多聞堅固(経典の翻訳事業や講説などが盛んに行われ、熱心に読誦したり、聴聞したりする者が多い時代)④多造塔寺堅固(多くの寺や塔が建立される時代)⑤闘諍堅固(教えが形式化され、内容が失われ、互いに自説に執着して他人と争う時代)――となる。
 一面からみると、これは「仏教の形骸化」という観点で捉えることができよう。すなわち、まず釈尊の教えが修行者の中に息づく時代がある。やがて仏の神格化、絶対化が始まり、仏教自体は用いられても、成仏という目標からはかけ離れ、修行の実態が失われていく。そして、ただ寺塔の仏菩薩にすがる段階を経て仏法の精神が失われ、自説のために仏の教えを利用する者があふれ、釈尊本来の仏法が力を失っていく――というものである。
 いわば、「仏法東漸」とは、末法に向かっての「宗教の形骸化」の歩みであったといえよう。そこには「宗教のための人間」があっても、人々の幸福を願う「人間のための宗教」という釈尊の精神はない。
 そう考えると、「仏法西還」の原理とは、「形骸化への挑戦」であるともいえる。闘諍堅固のゆえに、釈尊の真意に戻り、根本の教えを西還することは、とりもなおさず、「人間の宗教」の復興である。
 釈尊の教えが歪められた末法において、大聖人は、仏教本来の精神を輝かせるため、一人立たれた。「人間を手段化する宗教」「生命を不信の闇で覆う謗法」と、真っ向から勝負された。
 大聖人が弘められたのは、「南無妙法蓮華経」の題目である。「万人に仏の生命が具わっている」との釈尊の精神を、末法において〝昇華〟させた大法である。ゆえに大聖人の仏法は、末法の闇を照らす「太陽の仏法」であり、弘通の闘争は、〝「人間復興」を掲げた一大宗教革命〟なのである。

★広布は「師弟」で進む

 仏教が衰退していった原因の一つとして、大聖人は、「伝持の人」(後世に仏法を受け伝えていく人)がいなかったと仰せである。インドから中国へと経典は伝えられ、教えは広がった。しかし、「伝持」していく人がいなかったがゆえに仏教は滅した、と。
 「広宣流布」「令法久住」といっても、単に形式的に法が広まることではなく、あくまでも、その精神の継承が重要である。
 では、いかなる「伝持の人」が必要なのか。私たちに即していえば、「どのような人材」が広宣流布を進めていけるのか――。
 形骸化の経過をふまえて考察するならば、それは、師の心を知り、実践し、伝えていく、との「師弟」の精神にあふれた人材だといえよう。
 仏法は、「師弟」にこそ真髄がある。連綿と続く師弟の人間関係によって、仏法本来の精神を絶えず流れ通わせることができるのだ。
 師弟は、共に戦い、共に歩む。そこには絶えざる触発があり、心からの喜びがあり、常に自らを省みる自律性が生まれる。形式も打算もない。人間同士の真剣なる錬磨――これが「師弟」である。この仏教の正統の精神、大聖人の魂を実践している団体こそ、創価学会に他ならない。
 師の心をわが心として戦う中に、広宣流布の確かなる伸展があることを胸に刻み、私たちはどこまでも前進し抜いていきたい。

(創価新報2014年5月21日号)