青年部年間拝読御書

青年部拝読御書 顕仏未来記 研鑚のために⑥

大聖人の未来記を学会が実現青年部拝読御書 顕仏未来記 研鑚のために⑥

青年部拝読御書「顕仏未来記」を学ぶ連載の第6回は、第6章を解説。日蓮大聖人御自身の未来記を通して、末法において創価学会が世界広布を現実のものとしてきた事実を学ぶ。

第6章 御本仏の未来記を明かす(御書508㌻10行目~509㌻2行目)

通解

 問うて言うには、釈尊の未来記については、以上のようなものであることが分かった。それでは、あなた(大聖人)の未来記はどういうものなのか。
 答えて言うには、釈尊の未来記に順じて考えてみると、今という時はすでに後の五百年、すなわち末法の始めに当たっている。末法の真の仏法が必ず東の国の日本より出現するはずである。その前相として、必ずや正法・像法に起きた以上の天変地異があるであろう。
 いわゆる、釈尊生誕の時、説法の時、そして入滅の時には、吉瑞も凶瑞も共にそれ以前にも以後にも起こったことのない大きな瑞相であった。
 仏は聖人の中の根本となる人である。さまざまな経々の文を見ると、仏が生まれた時には、五色の光が四方に遍く行きわたって、夜でも昼のように明るくなった。仏が亡くなった時には12の白い虹が南北にわたってかかり、太陽は光を失ってしまい闇夜のように暗くなった。
 その後、正法・像法の二千年の間に、仏教やそれ以外の教えの聖人たちが生まれたり亡くなったりしたが、釈尊の時の瑞相にはとうてい及ばなかった。
 しかるに、去る正嘉年中から今年(文永10年)に至るまでの間に、あるいは大地震が起こり、あるいは大天変があり、それらは釈尊の生誕・入滅の時の瑞相のようであった。これによって知るべきである。釈尊のような聖人が生まれてきているのであろうと。
 (文永元年には)夜空にわたって大彗星が出た。これはいったい、どの国王や臣下の出現の瑞相とすることができるだろうか。また(正嘉年間の)大地震により大地が3度も揺れ動いて傾き裂けたが、これはいったい、どの聖人・賢人をもってこれに相当させることができるであろうか。
 まさにこれらは一般世間でいう吉凶の大瑞ではなく、ただひとえに末法の大法が興隆し、それまでの仏法が廃れることを示す大瑞であると知るべきである。
 天台大師は『法華文句』に「雨の降り方の激しさから、その雨を降らしている竜の大きいことを知ることができる。蓮華の咲き方の盛んなのを見て、根を下ろしている池の深さを知ることができる」と説いている。
 妙楽大師は『法華文句記』に「智慧のある人は物事の起こりを知り、蛇は自ら蛇を知っている」等と述べている。

挿絵

解説

★大法興廃の瑞相

 第6章では、日蓮大聖人御自身の未来記を明かされる。大聖人は末法において閻浮提に広宣流布すべき仏法が、必ず東土の日本に出現すると予言。そして大聖人の仏法が、東洋へ、世界へと広宣流布していくことを断言される。
 はじめに、「釈尊の未来記が大聖人によって真実になったことは分かったが、末法の法華経の行者である大聖人は、未来についてどのように見通しているのか」という問いを掲げている。
 それに答えて、大聖人は、「仏記に順じて之を勘うるに」と断られているように、あくまでも仏の未来記にのっとって、御自身の未来記を示される。釈尊が「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して」と、末法が法華経流布の時であると予言したことを受け、今がまさしくその時であり、「仏法必ず東土の日本より出づべきなり」と、末法の大白法が日本から出現すると述べられている。
 この日本から大仏法が興隆し、世界へと流布することを予告されたこの御文こそ、末法の御本仏である大聖人御自身の未来記を明かされた部分である。
 大聖人はその証明として、今、眼前に起こっている「正像に超過せる天変地夭」が、その「前相」であると仰せである。
 前相とは瑞相のことで、ある事象の起こる時には、必ずそれを示唆する現象界の変化が現れる。ここでは、瑞相を仏のごとき末法の聖人の出現、そして、大法の興廃の兆しとして説明されている。
 まず、釈尊の誕生、説法(転法輪)、入滅の際に「前後に絶えたる大瑞」があった事実を挙げられ、正像にはこの釈尊の時のような大瑞は起きていないと示されている。
 一方、大聖人御在世当時には、正法・像法時代に見られなかった天変地異が盛んに起きていた。とりわけ、大聖人が鎌倉で弘法に励まれていた正嘉元年の大地震、そして、大聖人が伊豆流罪から赦免された翌年の文永元年の大彗星は、当時の人々の人心、生活に深刻な影響を与える大天変・大地夭であった。
 ここでは、瑞相の大きさは、それが示す事実の意義の大きさに比例するという道理から、天変地異は「仏の如き聖人」が生まれる瑞相であると仰せられている。
 これら天変地異は、それに対応する「王臣」「聖賢」がいないことから、「通途世間の吉凶の大瑞」ではなく、「惟れ偏に此の大法興廃の大瑞」であると断じられる。
 ここで大聖人は、はっきりと「此の大法興廃」と仰せである。興廃の「興」とは大聖人の末法の大仏法が興隆すること。「廃」とは、正像二千年にわたって流布し、衆生を利益してきた釈尊の仏法が廃れることを意味する。
 前章で、釈尊の仏法を月に、大聖人の仏法を太陽に譬え、さらにここでは瑞相論のうえから、今、日本に釈尊の仏法に代わって、大聖人の仏法が勃興すると、はっきり宣言されたのである。

★時代変革の主体者

 大聖人の天災観(瑞相観)とは、いかなるものか。御書を拝すると、佐渡流罪を境に、それ以前(佐前)と以後(佐後)で力点の置き方が変わってきている。
 本章では、大聖人の未来記を明かされる中で、瑞相として「正嘉の大地震」と「文永の大彗星」が挙げられている。この天災は諸御書の中でも、天変地異の代表的な例として、しばしば取り上げられている。
 佐前に記された「立正安国論」では、「正嘉の大地震」を謗法の報いであるとともに、さらなる大難が起きることを示す「先相」であると位置づけられる。こうした天災観の力点が大きく転換していくのは、文永8年(1271年)の「竜の口の法難」を経て、発迹顕本された後からである。
 「大悪大善御書」に「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき」(御書1300㌻)とある。
 大聖人は、天変地夭と社会の混乱について、災厄としての面に心を痛められ、災難のない平和な世界の実現へ身命を賭して戦われた。そして、このような苦しい末法の時代にこそ、民衆が蘇生する大正法が必ず広まるのだと、力強く訴えられた。
 竜の口の法難の直後に執筆された「富木入道殿御返事」では、大聖人は大地震について、正法を弘める師の出現を示唆する瑞相と述べられる。また佐渡期に執筆された「観心本尊抄」や「呵責謗法滅罪抄」では、天変地夭を正法・正師の出現を示す瑞相であるとされた。
 一つの事象が「瑞相」であるかどうかは、客観的に決定されるものではない。その事態を断じて転換していくとの意志と行動によって、主体的に捉え直されていくものであろう。
 ゆえに、大聖人が本章で、大地震、大彗星を大法興廃の大瑞と位置づけられているのは、未曽有の天変地異を正法興隆の契機にしていこうとの、決意と確信の表れであると拝される。

★池田名誉会長が世界広布を現実に

 大聖人が妙法弘通の実践に立ち上がられた時代は、御聖誕の前年に起きた「承久の乱」が象徴するように、古代の貴族政治から中世の武家政治へ移行していく歴史の激動期であった。
 仏法の世界においても「僧兵」に象徴される既成仏教勢力の堕落が顕著となり、末法思想がまん延。念仏に代表される、世をはかなむ思想が広がっていた。
 半面、新たな仏法を求める人々の心は強まっていた。新たな各宗派の台頭が示すように、日本の仏教史上において最も激動の時代であったといえよう。
 そのような時代に、大聖人は「日本第一の智者となし給へ」(同1292㌻)との誓いを立て、民衆救済を願って出家された。大聖人は御自身の闘争の姿こそが、「妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて」(同910㌻)と、世界広布の瑞相であると言われた。
 創価学会は1930年(昭和5年)に誕生。宗門が軍部政府の弾圧を恐れる中、牧口常三郎初代会長は〝一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである。宗祖聖人のお悲しみを、恐れるのである。いまこそ、国家諫暁の時ではないか〟と正義を叫び抜き、無実の罪で投獄され、獄死した。
 戸田城聖第2代会長は、この先師の遺志を受け継ぎ、民衆の悲惨と不幸をなくすため、戦後の荒野に一人立ち、平和への闘争を開始した。
 そして、第3代会長の池田名誉会長が大聖人の未来記である世界広宣流布を現実のものとしていったのだ。
 大聖人の仏意仏勅を受け継ぐ創価学会の出現こそ、大聖人の闘争に〝二陣三陣〟と続く世界広布の瑞相であったといえよう。
 名誉会長はつづっている。
 「世界広布の第二幕は、絢爛たる地涌の友の乱舞によって、仏法に基づく価値創造の華が万朶と咲き誇っていく時代です。私は、そのための舞台を完璧に整えてきました。世界の各界の人々が、私たちの平和と文化の行動に期待を寄せております」(『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
 大聖人の未来記を現実のものとした学会によって、今や広布の拡大は世界同時進行で進んでいる。各地にあって青年が生き生きと仏法を語り、妙法を唱える姿こそ、大聖人の未来記の証明である。今こそ私たち青年部の熱と力で、世界広布をさらに拡大してまいりたい。

(創価新報2014年6月18日号)