青年部年間拝読御書

第1章 生死一大事血脈の法を明かす<br />妙法の力で民衆を救う主体的実践者に!

青年部拝読御書「生死一大事血脈抄」研鑽のために①第1章 生死一大事血脈の法を明かす
妙法の力で民衆を救う主体的実践者に!

 青年部拝読御書として、「観心本尊抄」に続き、全民衆を生死の苦から救う根本の重要事を示された「生死一大事血脈抄」を研鑽する。連載の第1回は、背景と大意、第1章を解説する。

御文

  御状委細披見せしめ候い畢んぬ、夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり、其の故は釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり(御書1336㌻1行目~2行目)

通解

  お手紙を詳しく拝見しました。
 あなたがお尋ねになった「生死一大事血脈」とは、妙法蓮華経のことである。
 そのわけは、この妙法蓮華経の五字は、釈迦・多宝の二仏が宝塔の中で上行菩薩にお譲りになった法であり、過去遠々劫より以来、寸時も離れることのない血脈であるからである。

挿絵

背景と大意

  「生死一大事血脈抄」は文永9年(1272年)2月11日、日蓮大聖人が51歳の時、流罪の地、佐渡・塚原で認められ、最蓮房日浄に与えられたとされる御書である。
 佐渡流罪中の1月16、17日には、「塚原問答」があった。佐渡のみならず、越後(現在の新潟県のほぼ全域)・越中(現在の富山県)・奥羽(現在の東北地方)・信濃(現在の長野県)等から多くの法師(僧侶)が集まったが、ことごとく、大聖人に完膚なきまでに破折された。
 この塚原問答に示されるように、念仏者たちの憎悪は強く、「今日切るあす切る」(御書323㌻)と仰せのように、大聖人は絶えず命を狙われる日々であった。一方で、阿仏房、国府入道らが大聖人の偉大な御境涯に触れ、帰依している。
 最蓮房は京都の出身で、元は天台の学僧であった。大聖人と同時期になんらかの理由で佐渡へ流罪されていたようで、2月はじめに大聖人に帰依したとされる。本抄のほかに、「諸法実相抄」、「祈禱抄」、「当体義抄」などの重要な法門の御書をいただいている。
 本抄は、最蓮房が天台の学僧だったこともあり、生死一大事血脈という仏法の極理にかかわる重要問題を質問したことに対しての御返事である。
                                 ◇
 「生死一大事」とは、生と死を繰り返して流転する生命において根本の大事となる法を意味する。また、「血脈」とは、法が仏から衆生へ伝えられていくことを譬えた表現である。したがって、「生死一大事血脈」とは、生命にとって根本的に重要な法を仏から衆生に伝えることを意味する。
                                 ◇
 本抄では、初めに、生死一大事血脈として伝えられるべき法とは妙法蓮華経であり、それは法華経で釈迦・多宝の二仏から上行菩薩(=釈尊滅後の悪世での妙法弘通を託された地涌の菩薩のリーダー)に付嘱された極めて重要な法であり、また、過去遠々劫より伝えられてきた法であるとされている。
 そして、生死と妙法蓮華経の関係を明らかにされて、妙法蓮華経が生死一大事血脈の法であることをさらに明確にされている。
 すなわち、あらゆる生命の生死、また、あらゆる事物の生成・消滅は、すべて「妙法蓮華経の生死」であり、妙法蓮華経の起滅であるとされ、妙法蓮華経が万物の生死と因果を貫く宇宙根源の法であることを明かされている。これにより、十界の全ての衆生の生死は妙法蓮華経の生死であることになる。また、釈迦・多宝の二仏も生死の二法を表しているとされる。
 次に、衆生が生死一大事の血脈を受けるためには、どのような信心の姿勢に立つべきかを、次の諸点にわたって教えられている。
 第1に「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(同1337㌻)と仰せである。究極の仏と究極の法と私たち衆生の生命の三つがともに妙法蓮華経であり、差別がないと信じて南無妙法蓮華経と唱える信行に生死一大事血脈がある。三つが差別ないと信じるとは、要するにわが身の内に尊極の仏の生命が具わっていることを信じることである。
 第2に「過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり」(同㌻)と仰せである。過去世・現在世・未来世の三世にわたって、御本尊から離れないという信心の持続が、すなわち生死一大事の血脈であるとされている。現在の生涯不退転の信心に血脈が通うのである。
 第3に「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(同㌻)と言われている。広宣流布を目指して、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えるところにのみ血脈が伝わるのである。
 次に、大聖人と最蓮房の師弟に深い宿縁があることを述べられるとともに、最蓮房が仏法の極理に触れる問題を質問したことに対し、前代未聞のことであると喜ばれて、大聖人御自身が上行菩薩の役割を担っていることを示唆される。
 最後に、生死一大事血脈の血脈とは「信心の血脈」であると結論され、一層強盛な信心を起こすよう激励されて本抄を結ばれている。

挿絵

解説

  はじめに「お手紙を詳しく拝見しました」と言われている。このことから、最蓮房からの手紙の中に生死一大事血脈についての質問があったと考えられる。
 その答えとして、冒頭に「夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり、其の故は釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり」と述べられている。
 これは、「妙法蓮華経」こそが生死一大事血脈として伝えられるべき「法」であることを示されているのである。
 本抄で仰せの「妙法蓮華経」とは単なる経典の題名ではない。
 大聖人は、妙法蓮華経を「法華経の肝要」として捉えられた。いわば法華経という経典に説かれている一切の教えは、妙法蓮華経という根本法から開き顕されたものであり、また、妙法蓮華経の一法を指し示しているのである。
 そのような根本法としての妙法蓮華経が、生死一大事血脈として伝えられるべき法であると言われているのである。

挿絵

万人成仏の究極の法

  大聖人はここで、妙法蓮華経は法華経において釈迦・多宝の二仏から上行菩薩に譲られた法であると仰せである。
 法華経宝塔品第11から嘱累品第22に至る12品は虚空で行われる説法の儀式なので「虚空会の儀式」と言われる。
 この儀式は、上行菩薩を中心とする地涌の菩薩に対して、釈尊が滅後の弘教を託すための儀式であり、上行菩薩は、釈迦・多宝の二仏から妙法蓮華経を託されるのである。
 仏が入滅した後の衆生を救うために伝えられるべき法は、万人を成仏させる究極の法であり、その重大な法が妙法蓮華経である。これこそが生死一大事血脈の法なのである。
 池田名誉会長は、『生死一大事血脈抄講義』の中で、虚空会の儀式における「釈迦仏」「多宝仏」「上行菩薩」の役割について、釈迦仏は法の正しさや適切さを明らかにし、多宝仏は妙法蓮華経に法の普遍性が備わっていることを証明し、上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩は、「久遠の法」を所持し、顕し、弘める主体的実践者であることを述べている。
 次に大聖人は、「此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり」と言われている。法華経において上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩は、釈尊が五百塵点劫というはるか久遠の昔に成仏したとき以来の弟子であるとされる。
 地涌の菩薩が久遠以来、仏から教化され、受持し抜いてきた法が、妙法蓮華経であり、その法を釈尊滅後の弘通の法として託されたのである。
 妙法蓮華経が過去遠々劫から離れることのない法であるということは、釈尊が久遠において成仏したときの成仏の根本法が妙法蓮華経であるということである。
 名誉会長は、その実践的な意義について、「上行菩薩が妙法蓮華経を自らの生命に顕す『智慧の力』に優れているゆえに、『いつでも実際に顕していける』ということ」「他に弘める『実践の力』に優れているがゆえに、『いかなる悪世にも弘めていける』ということ」と示している。
 さらに上行が釈迦・多宝から譲り受けるというのは、あくまでも経文の上に説かれる内容であるのに対し、上行の内証、言い換えれば、大聖人御自身の御内証に、妙法蓮華経という根本法が現れていることを明かされているのである。

挿絵

池田名誉会長の講義から

 栄光燦たる創価学会の歴史を、仏教史に照らして断言できることは何か。それは、末法の一閻浮提に「地涌の義」を実現し、無数の地涌の闘争で民衆を救済することが広宣流布である。そして、そこにこそ虚空会の儀式における血脈相承の根本目的があるということです。(『生死一大事血脈抄講義』45㌻)
                                 ◇
 「血脈」とは本来、妙法の力によって民衆を救いゆく実践を行う人の正統性を証明するものです。それとともに、釈尊から上行菩薩へ付嘱された大法が、末法に出現する上行、並びに上行に連なる地涌の闘争によって、日本国の一切衆生、果ては全世界の民衆へ広がっていくなかに、正統の血脈の継承があるといえます。(同) (創価新報2015年10月21日号)